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五十日

昨日は父の四十九日で、今日は亡くなって五十日目である。

昨日までは喪に服していたというか、
帰国してからしなければならないことが山積みであったので、
しばらく更新は休んでいた。
今日からも、ブログ更新はできる時にしようと思う。

父の法要を頼んだギュメ僧院、ダラムサラ分院のお坊さんは、初七日から四十九日までの法要の流れを軽く説明してくれた後で、こう言った。
「俺達の故郷では、四十九日が終わった後で、翌日の五十日にも供養をして法要をする。故人はもう新しい生に生まれ変わっているだろう?
新しい転生でつつがなく生きていけるように、法要をするんだ。」

彼の話によると、七日ごとの法要の最初の四回は、故人の悪業を浄化するための法要だそうだ。
四回の法要で業がきれいになったら、より良い来世を得るために薬師如来や無量寿如来など、祈願の法要を行うそうである。
最初から「極楽浄土へ生まれますように。」などと祈っても、本人の業が浄化されていなければ望みが叶わぬからだそうだ。

四十九日の間は、有と有の間で中有と呼ばれる。
中有の人となった故人は意識だけの存在で、自分の持つ業に応じて、いろいろな映像が現れる。
またその一方で、この間は生前親しんだ人々に挨拶回りに行くそうである。

しかし五十日目には、次に生を受けるところが決まっている。
新しい生が始まった故人のために行うものが、五十日目の供養と法要である。

さて、最近知人で高齢の近親者を亡くされた方が何人もいらっしゃる。
高齢者のケアマネージャーをされている方も、最近、今までにないほど契約をされているお年寄りが亡くなられていると言っていた。

今回は、生きる者が故人のためにできることをシェアしたいと思う。

が、その前に一つ。
父は享年九十一歳で大往生であったけれど、家族はもう少し長生きするだろうと思っていた。本人が言っていたのは、「九十五歳になったら引退する。」
しかしながら、あまりにも急に今回のことが起きた。寝耳に水だった。

父は二回のワクチン接種を終わらせていた。
心房細動、嚥下障害等持病はあったものの、一人で生活していた父は、体力は衰えながらも病院や太極拳には定期的に顔を出していた。
しかし接種後、起きることが困難になり、衰えた体で郵便物を取りに出たのだろうか。
転んで顔面を打ち、脳の血管が破けて、
結局は回復せずに入院先の病院で亡くなった。

賛否両論あるだろうが、筆者はワクチン接種が体力減退の引き金になったと思っている。

幸い母は二回接種後の今も元気にしているけれど、

どうか皆さん、次回摂取は社会状況と内容物と副反応をしっかり把握してから、打つ・打たないを決めて下さい。

さて、故人のために生きる者ができることである。

チベット社会では主に法要をお願いすることが多いけれど、
他にも細かな知恵?があるのでここにシェアする。
何時、何故そうするのか?は、『倶舎論』等の記述から推し量ることができる。

『倶舎論』には、生きものが死んでから生まれ変わるまでの間、中有についての記述もある。
生まれ変わる時に意識がどのような過程を経ていくかも記されている。

その中で、故人の意識は次の転生を得るまで、最長四十九日間、意識だけの状態に留まる。
その間、中有の者は七日に一回死んで生まれ変わる。
中有で生まれ変わる先も、四十九日が済んで実際生まれる先も、今までの生で積んできた業(カルマ)が熟した世界の現れである。

この四十九日間、七日ごとに法要を行うのは、この生まれ変わる機会により良い生に転生できるようにする為である。
なので、法要を行うのは命日一週間後のその曜日ではなく、前日に行うことになる。
前日の法要で功徳を積めば、その功徳がより良い転生を導く後ろ盾になるからだ。

人の心と身体が離れた時(死時)、その人は意識(心)だけになる。
心だけになった時、その人を守ってくれるのは福徳である。
福徳があれば、故人の心に映る映像は明るいものになるから。
心明るく穏やかであれば、転生するにも明るい方向へ向かえるものだ。

反対に怖れに苛まれて逃げ惑ったり、怒りや欲望に翻弄されれば、不安定な心は衝動的に苦しみの多い現れを間違って選び、苦しみの多い転生先を選んでしまう。

この時に心に映る映像は、生前自分が他者に対してしたことが、そのまま鏡のように映るので、自他を利益し、自他が喜ぶようなカルマを積み、福徳を積んでいると、
死ぬ時に時に助けになるのだ。

本人が福徳を積めれば一番良いのだが、
本人ができない場合、その子ども等近親者が行って親のために廻向すれば、本人が積む福徳の半分の福徳ポイントが、親の福徳に加算される。
それも生前の方が良い。

筆者の場合は、父入院の知らせを受けた後、ダラムサラという場所柄もあって大僧院の分院複数に父の名前でお布施をした。
何故僧院にしたのかというと、多くのお坊さんが勉強し修行をしている僧院にお布施をすれば、それだけ多くの僧伽を供養したことになるからである。
一つの対象を供養するより、多くの対象を供養する方が同金額でも福徳を多く積む。

僧院が近くに無ければ、自分の信じる宗教団体へお布施をすることも良いけれど、
個人的には、本当に困っている人々に役に立つ形の援助をした方が、福徳は多く積むことができると思う。

いずれにせよ、布施をする時には死に瀕している者の名前で行い、廻向はその人のためにしてもらう。

父が病院に搬送された時は意識不明で、コミュニケーションが取れないと弟から聞かされていたが、
お布施をした翌日だったか、父の意識が戻ったと聞いた。
効果が出たのかと自分でも少し驚いた。

数日後の朝、父が亡くなったという知らせを受けた。
帰国時の航空券の支払いが終わって、五分も経たない時だった。

臨終にはいずれにせよ立ち会えない状態だったが、四十九日には出席せよという弟の希望。しかし何故だか、葬儀の折に初七日と四十九日も終わってしまった。
急いで帰る必要はないとのことだったが、知らせを受ける前に航空券は買ってしまっていた。

日本での四十九日は終わってしまったけれど、故人は今、中有の状態にある。
七日ごとの生まれ変わりが、これから最多で七回繰り返される。

亡くなった知らせを受けてから、再度父の名前で諸々の僧院へお布施をし、
その中で最も故人を大切に供養してくれそうな僧院を独断で選んだ。
それがギュメ僧院だった。

どの僧院が良いかは、ご縁によるものだ。
父の場合はギュメ僧院だった、ということである。

七回の供養は、同じ曜日に繰り返される。
父は金曜日に亡くなったので、木曜日が七日ごとの法要の日になった。
我家は僧院分院に頼んだが、自宅で行う人々もいるだろう。

ダラムサラにいた時は法要に一時間ほど同席させてもらった。
頼むだけではなく、もちろん自分でも何かしら参加した方が功徳は多く積まれる。
お坊さん達の低音が響く祈りや、身体細胞がバラバラになるかのような大音響の鳴り物を聴きながら、
筆者は『極楽祈願文』と観世音菩薩の真言を一人ボソボソと唱えていた。

また、筆者の親代わりの先生からも父のためのオーダーがあった。
上記の『極楽浄土祈願文』を唱えることと、観世音菩薩のご真言を唱えることだった。
近親者が唱え、故人のために廻向すれば、他の者が行うより直で故人の役に立つ。

アドバイスに従い、昨日まで毎日『極楽浄土祈願文』を普段の祈りに追加して唱えて祈っていた。

祈ることも大切だけれど、故人が近くで様子を見ていることを考えると、毎朝お水や線香で供養したり、ご飯を炊いたら一膳目を故人に供えたり、
何よりも愛情と感謝を故人に伝えることが、本人が最も喜んでくれるのではないかと感じている。

昔から人々が行ってきたことである。

実際、帰宅して一見目の父の遺影は悲しそうで、何か恨めしそうにこちらを見ていたが、
日を追うごとに表情が柔らかくなってきたように感じた。
時々『変な奴だ』とニヤニヤしているようにもみえた。
今は真直ぐ目を見てくれるように感じる。

まとめると、
故人本人には、福徳がその後の幸せを得るための貯金のようなものである。
福徳は、本人が積むと一番効果がある。
それも生前に積む方が良い。
他者を幸せにすることが、福徳を積むことである。
同じ善行をしても、幸せになる人が多ければ多いほど、福徳は多く積める。
(最大多数の幸せを動機にして行動をすると、福徳は倍増する)

本人ができなかった場合は、近親者が故人のために福徳を積むことができる。
その場合積まれる福徳は、本人が積む場合の半分。
(一説には七分の一)
生前に福徳を積む方が、効果があることは同じ。
布施などの場合、故人の名前でするか、廻向を故人のためにしてもらう。
(布施する時に、どういう状態なのか説明すれば更に良し)

四十九日の間は故人が近くにいることもある。
日常的にお水やご飯を供養したり、愛情や感謝を伝える。
怒りや執着で、来世への旅立ちを邪魔しないようにする。


追記:

昨日は今回の現世の最終日ということで、逝く前に何が食べたいか、父に心の中で訊いてみた。
「ブランデーケーキが食べたい」と言っているように感じたので、四十九日のお供えはブランデーケーキにした。

ここ数年は心臓の薬に合わないということでアルコールもカフェインも控えていたし、
嚥下障害が酷くなってからは普通の食物も喉を通らなくなっていた。
甘いものが好きな父だったので、そんな風に思いついたのだろうか。

誰もが命の最終日を必ず迎えるものだけれど、
そうなったからと言って全てが無くなるわけではない。
身体から離れても、心は続いていく。

心の貯えとして実際役に立つように、
生きている間に心・言葉・身体の行いを紡ごう。



DECHEN
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