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(第2回)幻の黒沢脚本『達磨寺のドイツ人』

 「いい物語」を語るときに、昨今はどうしても、「わかりやすく、みんなに支持される」ものを求めてしまう。「興奮のサプライズ」だったり、「絆を確かめ合う感動のフィナーレ」みたいなものだ。

 いい物語とは「心が揺さぶられる」、ただそれだけのものだ。

 それは必ずしもわかりやすいものではないし、また、みんなが愉快になれることでもない。善もあり悪もあり、興奮も退屈もある。そして、そんな物語が、ひっそりと土地に就く。

 「いい物語」があった場所を、人は慈しむ。自分に縁のなかった場所が、その物語を味わうことによって親しみのわく「たのしい観光地」へと変化する。

 群馬県・高崎にある少林山達磨寺は、山間の静かな寺だ。

 毎年、年始めに行われる「だるま市」には20万人を超える人々が訪れるが、ふだんは豊かな緑と静謐な時間が周囲を覆う、ふと「隠れ家」にしたくなる、そんな寺だ。

 昭和の大監督・黒澤明は、この寺を舞台にある脚本を書いた。『達磨寺のドイツ人』である。それは昭和16(1941)年に書かれ、その後、映画化されることはなかった。理由は定かではない。現在、その脚本は、岩波書店『黒澤明全集』(1987=昭和62年発行)に収蔵されている。

 昭和14(1939)年、第二次世界大戦勃発前、国際社会の緊張が高まる時代が、この物語の背景である。

 山奥の静かな寺、達磨寺にドイツの有名な建築家、ルドウィッヒ・ランゲがやってきた。日本の建築を知るため、日本の風土に馴染むため、あこがれの日本という環境のなかで日本建築に関する草稿をしたためようと、その60歳すぎのドイツ人は、この地を訪れ、一年あまりに渡って滞在した。

 見慣れぬ白い大男に、村の人々はとまどいの表情を見せる。

 最初は怖がっているが、次第に心を開いていく村のこどもたち、国際情勢の変化に応じて、コロコロと態度を変えるおとなたち。主人公のそばで温かく見守ってくれる山寺の人々。静かな日常の風景に、ときおり感情の発光があり、それがすっと心に染みる。

 それはまるで、美しいモノクロフィルムだ。70年以上も前の音のない世界。垣間見る人々の情熱の灯り。脚本を丁寧に読んでいくと、その幾多の光景がいまにも触れられそうな質感を伴い、次々と頭のなかで再現されていく。

 ルドウィッヒ・ランゲのモデルは、ドイツ人建築家・ブルーノ・タウトである。

 桂離宮の魅力を再発見するなど、日本の文化や建築界に多大な影響を残した彼は、一時期、この寺に居を構え、日本に関する著作などを残していた。その住居跡は、「旧洗心亭」としていまでも達磨寺の一角に残されている。

 私たちは、いつでもこの達磨寺を訪れることができる。だがそこには、物語の登場人物は、もう誰もいないし、その物語が刻まれた映像もない。旧住居の傍らに、タウトが暮らしていたという、控えめな解説があるだけだ。

 なにがどうしたというほどのものでもない。わかりやすいものはなにもない。ただ心が少し揺さぶられる。そんな「たのしい観光地」である。

〜2016年8月発行『地域人』(大正大学出版会)に掲載したコラムを改訂


【黄檗宗少林山達磨寺】群馬県高崎市鼻高町296
明治14年の火災により創建の詳細は不詳である。ブルーノ・タウトの滞在に関する解説が、境内に控えめに展示されている。必勝、合格などの達磨の名入れでも有名である。

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