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(第3回)牛乳好き独身男、総領事ハリスを想う下田

 よく下田へひとり旅に出る。東京圏からのいい感じの近さとほどよい「行きにくさ」が、孤独の私には心地よく、なにをすることもなく毎年同じ宿を訪れ、同じ店で地魚を食う。必要以上に感傷的にはならないけれど、やっぱり少しは自分に「感情移入」する。それがひとり旅であり、下田という街のいい感じの「ほの暗さ」だと思っている。

 その昔、某大物作家にインタビューした際に、当時頭角を表していたベストセラー作家の作品に対してこんなことを言った。「小説は、読者が主人公に感情移入することが大事だ。それができない作品は、ある意味欠陥小説である」。異論はあるにせよ、主人公への感情移入は、小説や物語の黄金律なのである。

 自分への「感情移入」と他者(物語の主人公)への「感情移入」。旅における「こころの置きどころ」は、なるほどけっこうナーバスだ。

 ある日下田を訪れた私に、感情移入の「位相転換」が起こった。それは、この地に駐留した初代米国駐日大使・ハリスのことを、注意深く知るようになったからである。

 1854年、マシュー・ペリー率いる四隻のアメリカ合衆国東インド艦隊が、浦賀にやってきた。浦賀奉行所をはじめとする当時の日本人たちは、上を下への大騒ぎだった。日米双方の間での慎重なやり取りが行われた後、やがて、日米和親条約が締結されることとなり、その舞台は下田へと移っていった。

 下田港には、条約の締結に伴い、玉泉寺にアメリカ領事館が設置されることとなった。ここに駐留したのが、初代駐日総領事がタウンゼント・ハリスである。

 51歳で日本へと赴任したハリスは、日本での5年9ヶ月の滞在の後、故郷へと帰っていった。その間も含め、彼は生涯独身だった。

 日本側は、幕府と直接交渉をするために下田から江戸へと行きたがるハリスのご機嫌を取ろうと「侍女」をあてがった。その見え透いた「策略」にハリスは激怒し、侍女はすぐに解雇された。この事実が、(要職に就く独身者という珍しさから)歪曲して伝わり、小説や映画などで流布された。『唐人お吉』である。

 下田にある玉泉寺は、なんとも趣のある寺だ。裏手の小高くなった「外人墓地」から見下ろす下田湾は、江戸時代当時の景色を容易に想像させてくれる。

 現在、ハリスと同年代に達した私は、ここで着任当時のハリスに思いを馳せる。大の牛乳好きのハリスは、恋しいママと牛乳のない異国の地で、さぞかし苦労をしたことだろう。

 慣れぬ気候や食事で体調を相当に悪化させたおりには、日本側の計らいでなんとか牛乳にありつけ、また、アメリカ側からの物資調達の影響で肉食も可能になった。その面影は、玉泉寺の境内に、「牛乳の碑」「屠殺の碑」として残っている。

 おいしい食べ物を味わう、景色を味わう、そして人を味わう。旅にはさまざまな味わいがある。その土地に根ざした物語の主人公にちゃんと「感情移入」ができると、そこは一気にたのしい観光地になる。そこには、味わう側のコツもあるが、提供側のちょっとしたワザもまた、見せどころのひとつなのである。

〜2016年10月発行『地域人』(大正大学出版会)に掲載したコラムを改訂

【曹洞宗瑞龍山玉泉寺】静岡県下田市柿崎31-6
天正の初め(1580年代)に開山した古刹。現在の本堂は嘉永元年(1848年)建立。嘉永7年の日米和親条約の締結により、玉泉寺は米国人の休息所、埋葬所に指定された。境内にある黒船の乗員たちの墓地から下田湾が一望できる。

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