見出し画像

Twitterを開設した時の話でもしてみる

2017年3月、僕はTwitterで会社のアカウントを立ち上げた。
https://twitter.com/SUGURU_BIGKATSU

社内の広報関係スタッフが良い感じで運用してくれている。一方で今の運用ではここら辺が限界かな、ということで今回はこれまでのX(Twitter)の変遷をまとめてみた。


1.アカウントの開設と探索


Twitterの企業公式アカウント開設にあたり、当時の社長からは色々な(納得できる)理由で反対されていた。それでも色んな企業公式中の人とか、経営者の方に話を聞いてみて、立ち上げてみるメリットの方が大きいと思い2017年3月に開設を決意した。

当時の目標はフォロワー3万人。
シャープさんとかタニタさんが企業アカウントの先陣を切っていて、運用方法なんかも参考にしている人も多かったと思う。

開設するときにまず悩んだのがアカウント名。お菓子の業界あるあるだけど、商品ブランドが強すぎて社名があまり表に出ない。カルビーさんクラスになると社名も商品名もばっちり認知されてるけど、駄菓子とか珍味って社名が知られていないことがほとんどだと思う。

だからまずは、ビッグカツという商品と株式会社すぐるという社名を紐づける目的で「ビッグカツのすぐる」というアカウント名にした。今はいか姿フライも知ってほしいから「ビッグカツといか姿フライのすぐる」という欲張りセットみたいな名前になっている。

運用方法は特に決まっていなかったので、毎日の〇〇記念日にちなんだ投稿とエゴサを主にしていた。「ビッグカツ」で投稿している人への反応と、どんなシーンで投稿しているのかの分析をとにかくしまくった。

2-3カ月くらいこんな感じで運用していて、フォロワーは300人とかだったと思う。

2.スマホゲームを始める


数カ月エゴサをしていると、スマホゲーム用のアカウントと地下アイドルが駄菓子関連のツイートをよくしているのが分かった。だから、まずは僕もスマホゲームをすることにした。

ゲームのアカウント名をビッグカツとかBIGKATSUに設定。ちょくちょくTwitterでも進捗を報告したりなんかした。すると徐々に同じゲームをしている人からフォローされ、またゲーム内でも話題になることがあった。一緒にプレイしたいというお誘いがあったり、たまたまYouTuberさんのライブ配信で映ってコメントいただくことなんかもあった。

アカウント名がそんなだから、ゲーム内でも「これ公式?」みたいな感じになった。そして徐々にTwitterでも購入報告をしてくれる方が増えた。結構この原体験は強烈で、今のVRでの活動にも繋がってる。広報はブランドを独り歩きさせられたら成功、みたいなイメージが出来上がった。

4つゲームを同時期にプレイしていた時が一番大変だったかな。まさかのゲームの運営さんとコラボすることになったりもして、意外と手応えを感じた取り組みだった。

3.プレゼントキャンペーンの挑戦


とはいえゲームばかりしているわけにもいかないので、アカウント開設から半年くらいでプレゼントキャンペーンも実施してみた。この時お世話になったのがお酒のKURANDさん。というか、Twitterの運用方法とかキャンペーンのやり方とかはKURANDさんに教えていただいた。店舗でのイベントなんかもしていただいて、大変お世話になりました。

このタイミングで色んな企業さんとも交流やコラボをしていった。2017-18年ころはコロナ前ということもあって、結構中の人同士の交流や情報交換も盛んだったと思う。このタイミングで一気にフォロワーが増えて、目標にしていた3万人を達成した。

色んな企業さんとご一緒させていただいていると、面白いこともたくさんあった。

例えばキャラクターの誕生。

今うちのキャラクターである「ビッグカツくん」は、もともとTwitterで知り合った企業のデザイナーさんが落書きで描いて下さったものだ。見た瞬間、契約書を作って使用する権利を買った。今考えると無茶苦茶なことしたなと思う。

原画

4.業務化


そうこうしているうちにフォロワーが7万人くらいになっていたので、運用を現場のメンバーに任せることにした。優秀な新人が入社してくれたりしたから、このあたりはめぐり合わせだった。運用マニュアルと炎上対策マニュアルを作り、正式に業務として確立させた。KGIはフォロワーのまま、分析に力を入れた。

何時に投稿するのが良いか。どんな投稿が良いか。どんな賞品が良いか。他メディアへの導線は?画像は?文言は?コラボ先は?

一つ一つ数字とにらめっこしながら毎月分析をした。優秀なスタッフが入ってくれたからここら辺のことを考える余裕が生まれた。この段階で今の運営スタイルがほぼ100%確立したと思う。

このフェーズがあったおかげで、担当者が変わってもTwitterの運用が止まらなかった。色んなアカウントを見てきて、運用を属人化させること、担当者のセンスに依存することのリスクはすごく感じていた。だからここでしっかり業務化できたことは一つの安心材料になった。

運用が安定したことと、コロナ禍に突入したこともあって、相当攻めの打ち手も打てるようになった。

5.組織化


2020年に入ると運用が安定してきて、自分たちのスタイルが確立してきたことで改めて戦略を考える余裕が生まれた。ターゲットを絞り、他メディアとの導線を設計して、意図をもってコラボ等の新しい取組を行った。

これまでがただのSNS投稿作業とすると、徐々にだけど広報チームのマーケ業務ぽくなっていったと思う。

やっぱり僕たちの商品は、「売り場に並ぶこと」の次に「ターゲットに売り場で思い出してもらうこと」が重要。この思い出してもらうためのアプローチを真剣に考える時間が増えた。いわゆるAIDMAとかAISASに基づいたメディア戦略に切り替わっていった。

特に重要視したのは、ニッチだからこそ強烈なファンやユーザーが存在する業界とのコラボ。面白いことができる可能性も高いし、ユーザーの反応も良い。それに、そういう取り組みが表に出ると、色んな方面からお声がけいただけたりもする。何より、スピード感と実行力が高いから一緒に仕事をしていて楽しい。

ここまできてようやく広報が楽しいと思えるようになってきた。自由度が高いからすごくワクワクする。それに自分達の価値を改めて見直すきっかけにもなった。

6.離

振り返ってみると、本当に色々あったと思う。色んな人に助けてもらいながら、これで正解なのかも分からないまま進んできた。これまでの取り組みが序・破だとすると、いよいよ「離」のフェーズに入ってきていると思う。

チームメンバーとも話しているけど、今のままではこのあたりが限界。ここまでしっかりと業務化、組織化してこれたからこそ、ここからはまた一歩外に出て非連続的な成長をしないといけない。

それがどういう姿なのかまだよくわからない。このままXで良いのかも分からない。

ただ方針転換するタイミングであることだけははっきり分かる。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?