なろう小説を書く俺、純文学を書く僕
最近肘が痛い。寝転がってスマホで執筆するようになったからだ。この体勢あんまりよくねえな。
わいは小説を書いている。
ジャンルはあえて大別するなら「なろう小説」と「純文学(現代文学)」だ。まあ二つとも大衆小説って言ってもいいけどな。
わいの中に何故その二種類の小説があるのかというと、それは「気分」によって生まれたものですわな。
どういうことか。
つまり、読者に寄せた小説が「なろう」。自分に寄せた小説が「純文学」。そんな感じ。
小説って仕事終わりのランチみたいにその日によって書きたいものが変わる。少なくとも傾向が変わる。少なくともわいはそうなのよ。少なくともね。
だから自分の中に、おのずとそういう区分ができた。ジャンルなのかな? 区分に近い。ただ、どっちでも好きなようにやってるよ。
現在、ハギワラシンジとは違う名前で「小説家になろう」にてなろう小説を書いている。異世界に転移して好き勝手やるって感じ。楽しいよ。欲望とか倫理観とか悪逆とか、そういうのを気にせずに書いている。web小説って意外と人の目気にしたりするからね。
ちょっと自慢したいのが二月の半ばからほぼ毎日3000字の連載小説を書いているんです。今確認したら260000字以上あった。わい、自分がそんなに小説書けると思っていなかったよ。
キャラを作ってはっちゃけさせる。読者のアバターになって代わりに好き放題する、させる。そこにわいの趣味やら欲望をプラス。それが楽しい。そして、いくらでも書けちゃうんだよな。このキャラたちは何をするのか、何をしていくのか、なにを考えるのか、これからどこに流れどこに向かうのか。これって、僕が今まで書いていた「自分よりの小説」の書き方では得られなかったことだなーって思う。ま、個人的な話だけども。
でも、長編連載小説を書いていくのは大変だ。
読者の反応は割かしシビアで、嫌でもPV、評価、ブクマに気分を左右される。pv落ち込んできたなーって思うとモチベーションが下がる。おれは何故この小説を書いているんだっけ、と。我に返る。まったく話を理解していない読者、ワケわからんところで感動する読者、謎の低評価。こちらの意図は繋がらない。少なからず気疲れがある。だがそこに、楽しさもある。
現在70話弱なので、どうにか100話までは続けたい。わいはなろう小説を読むとき、その数字を目安にしていたから。「100話書けるってやばくね?」って尊敬してたし。三桁ですよ。そこまでいったらまじすごいと思う。
あー、頑張ろ。もうちょい休業続いてくれ。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?