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それでも僕がこの仕事を続ける理由

「これからは好きなことを仕事にする時代」

SNS、Youtube等を見ていると、こんな言葉がよく目につくようになった気がする。僕はこの言葉を見たり、聞いたりするたびに劣等感を感じる。

自分には特別「好き」といえるものがなくて、したい仕事もなかったからだ。けれど生きていくには仕事をしなくちゃいけなくて、お金を得るために自分の一番身近にあった教師という仕事を選んだ。いや、選んだというより最終的に選択肢がそれしかなかった。

だから、僕には自分が教師である理由がわからなかった。公務員として身分保障され、土日は休みで生活に何不自由することもない。だが、なんの理由もなく自分が教師を続けていることが、この仕事を熱望している人や目の前の子供に対して申し訳ない気持ちでいっぱいになる。

だからこそ、この一年は必死で働いた。言われた仕事がいくら今の自分の実力に見合ってなくても、全部引き受けた。たとえ子供たちが暴言を吐いても必死に向き合った。少しでもこの申し訳なさを埋め合わせるために、そしてこの仕事を「好き」になるために。

2月の終わり、突如として教師としての一年間が終わりを告げた。コロナウイルスの感染拡大を受けて全国各地の学校が臨時休業という形をとったのだ。本音をいえばすごく申し訳ないが、ほっとした。これでしばらくはゆっくりできるんだなと。と同時に、子供と会えなくなってさみしいとかそういう感情は一切生まれてこなかった。

そのとき思った、「あーやっぱり自分はこの仕事に魅力とかやりがいを感じることはできなかった、「好き」になれなかった」と。なにかやりきれない気持ちになった。こうした気持ちを抱えて、静かな校舎で過ごす日々が続いた。

とある日、クラスの保護者の方々とお会いする機会があった。そのなかで一人のお母さんが別れ際にこんなことを言ってくれた。

「先生のおかげでうちの子、去年ズタズタにされたプライドを取り戻すことができました。今は自分に自信を持てたみたいです。本当にお世話になりました。」

僕はこの一言をずっと待ってたような気がする。新任の未熟者に対する単なるお世辞かもしれない。けれどその時の僕にはこの1年少しは子供の役に立てたんだなと実感できるなによりも大切な金言だった。

僕が教師として子供たちに何を残せるのか、また自分が先生といわれることにいまだに自信はない。だが、このお母さんの言葉はもう1年必死でもがいてみようと思えるきっかけなったような気がする。来年もう一度この言葉を聞きたくて。

「これからは好きなことを仕事にする時代」

この言葉通りにいかず、劣等感を抱き、周りをうらやんで苦しみ続けている人がこの世の中には自分も含め少なからずいると思う。もしくはあきらめている人もいるかもしれない。

僕はまだあきらめたくないなと思う。必死でもがいて、自分の存在価値みたいなものを証明していきたいと思う。大げさすぎるのかもしれないが...

今回ここに書きはじめたきっかけはこうした悩み、葛藤持つ人たちと少しでも感情を共有できればと思ったからだ。そして共に前に進むことができればこれほどうれしいことはない。

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