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母「私の望みはあんたより はよ逝く事やから」

久しぶりの更新です!

実は濃厚接触者認定を受け、2週間ほど隔離されておりました。

購入した物件のリフォームをするうえで
古いキッチンを引き取りに業者さんが来られたのが土曜日。
その方のコロナ陽性が発覚したのが月曜日。

濃厚接触者と言うほど接触はしていなかったのですが
基礎疾患あり」と言うことで気を使っていただき
保健所で検査したところ陰性でしたが、急変する恐れもあるので
症状が出たらすぐに入院できるようにと言うことで
保健所管轄の元、月曜日に新居へ隔離。

まだ何もない家なので何かと不便でしたが
2週間悠々自適……(とは程遠い)な生活を送っていました。

隔離中「コロナ陽性の方の闘病記」を調べては
一人で震えておりました。

もしかしてこのまま灰になっちゃうパターン?

もしかしてもう二度と子供たちに会えなくなるの?

そう考えると特効薬がないと言うのは本当に恐ろしい病気です。
やっとワクチンが出ましたが、それでも不安はぬぐえない。

報道を見る限り全国の陽性者数は減ってきているのにも関わらず、
体感的にはどんどん身近に迫ってきているように感じます。

結局、2週間経って症状は現れることなく昨日観察期間が終了し
晴れて子どもたちの待つ実家に戻ってくることができました。

その間、子どもたちはどうしてたの?

という疑問をよくいただくので記しておきます。

まず、食事や洗濯は母と大学1年生のお姉ちゃん。
お姉ちゃんと高校2年生のお兄ちゃんが
お風呂と寝かしつけを分担してしてくれていたそうです。

癌が発覚してから3回ほど入院をしたので家族の
その辺のチームワークは抜群でした。ありがたいことに
みんなのおかげで特に大きな問題もなく過ごせました。
ちびーずも私が長らくいないことに慣れたのかもしれないな。
それはそれでちょっと寂しいけど。

ただアラフォーにもなって未だに
母に多大なる迷惑と心配をかけているのは事実で。
病気になった時も、帰ってくる場所があるというのは
どれほど幸せで恵まれていることか身をもって痛感しました。

母の苦労を思うと本当に胸が痛みます。
私の病気発覚から抗がん剤治療をした忍耐の年
母もみるみる元気がなくなって、一時は歩けなくなるほどでした。
日頃から励ましの言葉はあれど、あまり寄り添う発言はしない母ですが
私が弱っていく様を傍で見るのは相当堪えたようです。

去年私の辛い治療がひと段落し、前を向いて病気発覚前の体力と気力が
戻る頃には母もまた歩けるようになって元気が出てきました。

ある日ポツっと母が言いました。

私の望みはあんたより はよ逝くことやから。

そりゃそうやんなぁ……。

自分の娘が大病を患って目の前でつらい闘病生活をしていると思うと
想像するだけで苦しくなります。
代わってやりたいけど代わってやれないもどかしさ、
分かってやりたいけど分かってやれないしんどさ。

きっと闘病している本人よりももっと恐怖といろんな葛藤が
あるんだろうなと、傍にいる人の辛さを垣間見ました。

私が今からしようとしていることが、
闘病しているご本人とそのご家族のためにもなるといいな。

一人でもつらい思いをしている方を救ってあげたいという一心で
これからも前に進みます。


そんな私の今の望みは「母より長生きする事」。


生きている間にたくさん一緒に思い出を作って
たくさん親孝行をしたいと思います。

今日は母の好物を作ろう。





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