「ここじゃない」と言い続けて。
「自分がいるべき場所はここじゃない」
そんな感覚に陥ることが儘良くある。
具体的に何が足りてなくて、なんでそこが自分の場所ではないと思っているのかは分からない。
ただなんとなく「ここじゃないんだ」という漠然とした思いを、僕は常に心の内側に秘めている。
きっと「私」の言葉を見て、感情にも言葉にもならないような何かの所為で、胸に違和感を覚えている人は、同じような思いを抱いているのではないだろうか。
もしかすると「私達」は、スナック菓子と500mlの缶ジュースさえあれば「え、それ分かる!」と意気投合して、夜が明けるまで話せるぐらい相性が良いのかもしれない。
まだ子供に産毛が生えた程度の大人でしかない僕が、人生を語るには些か早すぎる気もするが、序盤中の序盤でしかない僕の人生の中には、既に数えきれないくらい「ここじゃない」と危うく枕を濡らしそうになった日があった。
一番最初にその感覚に襲われたのは小学6年生の頃、お気に入りの子に対しての贔屓が顕著だった担任の先生に好かれるために、柄にもなく生徒会長をしていたころだった。
大して真面目な生徒でもなく、地域のためにとか、全校生徒のためになんて微塵も思っていなかったのに、たった一人の贔屓をする先生に好かれたいがために、毎日昼休みを先生との面談や資料作りに奔走させられていた日々は、今考えても少年時代の無駄遣いだったと思う。
担任に好かれたい。
でも自由に遊びたい。
そもそもなんであんな人に好かれようとしているんだっけ。
自分の行いと、昼休みに校庭でドッチボールをする級友の姿を見比べた時、僕は初めて「自分は何をしてるんだろう」という感情を抱いた。
結局自分を捨ててまで好かれようとしたのに、当時の担任は僕のことを最後まで嫌悪していた。(理由は知らない)
高校をわざわざ県外で選んだのも、本音を言うと一両編成の電車が1時間に一本も来ないような田舎町に自分の理想を見つけられなかったからだった。
「この場所から逃げ出せさえすれば」と本気で思っていたし、高校生になれば勝手に彼女が出来て、当たり前のように青春が送れて、当たり前のように毎日笑っていると疑ってすらいなかった。
でも蓋を開けてみれば、勝手に彼女が出来ているどころか好きになった人には振り向いてすら貰えなかったし、大人になれば自分の好きなように生きられると思っていたのに、障害が増えるばかりで好きであることを公言することすら出来なくなった。
どこに行って何をしたって、結局自分が変わらなければ、自分が好きなように生きなきゃ、何も始まりはしないなんてことは随分前に気づいていた。
それなのに、今ですら時々環境のせいにして「ここじゃない」と逃げ出したくなる時がある。
かといって今の職場を変えれば自分らしく生きられるのかと問われれば、それはNOだと即答出来るぐらいには、曖昧な感情のせいで痛い思いをしてきた。
「ここじゃない」と言い続けたって、僕は僕らしくなんてなれなかった。
僕は一体、何処に行きたいんだろう。
本当は答えすらないのかもしれない。
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