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性根が腐るには時間が足りない

「俺達とお前らは友達じゃないから」

15歳の4月、高校の寮に住み始めた最初の夜のこと。当時の水泳部の主将から言われた最初の言葉だった。

僕が住んでいた寮は、元々精神科の病棟だったと言う噂のある建物で、かなり年季が入った古い外装をしていた。

外見に違わず中もボロボロで、8畳程度の部屋の中に二段ベットが二つ押し込まれた寝るだけの部屋が10室ほど並んでいた。

電子機器の使用は禁止。
勿論ゲーム機の使用もNG。

携帯は暗黙の了解で許されているが、寮監と言われる各階住み込みの先生に見つかると没収され、ひと月は返ってこない。

娯楽は各階の廊下にひとつだけ置かれたテレビを見ることだったが、碌な冷暖房設備もなく、椅子は座り心地が最悪だった。

わざわざ部屋を出て見に行くのも億劫になり、次第にテレビを見る時間は減っていった。

そんな僕らが住んでいた寮の事を「監獄」などと言う人も少なくない。

その言葉もあながち間違ってはいないぐらいの惨状だった。

詳しくは追々話していこうと思う。

各階には、自習室と言われる一応高校生の寮らしい広い部屋があった。

実際の所は誰かが喧嘩していたり、後輩が怒鳴りつけられていたり、この部屋が正しい使われ方をしていたのを見ることの方が少なかった。

そんな自習室に入学早々呼び出された僕を含めた同期部員は、刑期中の囚人さながら前後を先輩達に取り囲まれて、刈り上げられたばかりの綺麗な坊主頭を並べていた。

仰々しく立ち上がった主将は、
「俺達とお前らは友達じゃないから。先輩と奴隷な。言われたことは文句を言わずにやれ」と言った。

姿で示しをつけてくれない上下関係とか、理由のない理不尽が嫌いだった僕は、「入る高校を間違えたかもしれない」と入学早々悟ることになった。

数年後に卒業し、現在になっても「間違えたかもしれない」という思いは変わっていない。

僕はやっぱり15歳の春の選択を少し間違えたのかもしれない。

出来ればそうでなかったことを祈りたい。

答え合わせがいつになるか分からないのが人生の辛いところだ。

その後もここでは言えないようなことを淡々と話した主将や3年生達が、頃合いを見て自習室を後にすると、今度は後ろを囲んでいた2年生が話し始めた。

「5月になるまでは仕事を教える。それ以降は聞かれても教えない。5月までに完璧にしろ。出来てなかったら覚えてろよ?」的なニュアンスのことを話していたと思う。

主将達の言葉に頭を取られて、正直あまりはっきりとは覚えていない。

ただ高校生活の始まりと同時に、時限爆弾のカウントダウンが始まったかのような感覚がしたのだけは覚えている。

それ以降は部活や生活に馴染むことではなく、とにかく仕事を覚えることに躍起になった。

一眼で見分けがつかないような椅子の壊れ具合をチェックして、右に置くか左に置くかを判断しなくてはいけないという「それ意味あんの?」みたいな仕事が大半だったが、とにかく細かなルールがやたらと多い部活で、下級生はやるべきタスクが溢れかえっていた。

完璧に仕事をこなせていると言うには程遠い状態でも、無情なことに5月は着々と迫ってくる。

迎えた5月。
僕は初っ端から「それ意味あんの?」の仕事のやり方が幾つか分からなくなった。

「やばい、どうするんだっけ」と頭を抱える僕。

同期達は怒られたくない一心で、我先にと比較的簡単な仕事を取り合っていて助けてくれそうにはなかった。

出来なくても怒られるし、聞いても怒られるという板挟みの状況。

僕はその時、せめてもの誠実さを持って2年生のAさんに「すみません」と平謝りをしながら教えを請うことにした。

正直な所、当時Aさんのことはあまり好きではなかった。
少し上から目線で命令調の言動に嫌悪感を抱いていたからだ。

何かしら嫌味を言われるんだろうなと覚悟を決めてAさんに声をかけると、
意外なことにAさんは、「他の人には教えて貰ったって言うなよ?」と初めて見る優しい笑顔を作って、分からなかった仕事を教えてくれた。

その夜同期達と話をしていると、殆どの人がやるべき仕事が分からなくなって、先輩にこっそり教えて貰ったと言った。

内ひとりは、プールサイドで慌てふためいていたら主将が声を掛けてくれたと言う。

もしかすると、自分にとって好ましく見えない人達の殆どは、それぞれの立場や秩序の維持のために役割を演じているだけで、性根までは腐っていないのかもしれないと思った。

例外はこれまでにも幾つかあった。

それでも大学に行ってからや社会に出てからも、一見周囲から嫌悪されるような存在の人に自ら近寄ってみると、案外可愛い一面が見えたりする。

繰り返すが例外はある。

ただし、人生100年時代と言われる現代においても、人の性根までを腐らせるにはあまりに短すぎるのかもしれない。

ましてや当時はまだ10代後半。

真っ黒にしか見えなかった彼らは、自分が勝手なイメージで作り上げた虚構だったのかもしれない。

皆んなが与えられた役割を必死にこなしているだけで、深く辿ってみれば優しい世界なのだろうか。

きっとそうに違いないし、そうであって欲しい。

今思えば、そんな平和な日常の一端だった気がした。




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