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「そんなに金が欲しいのか!」〔クリシェ【凡百の陳腐句】19〕

あれは、確か2020年の初夏。コロナ禍初期の、「自粛、自粛」でみんなピリピリしていた頃だったか。

とある飲食店が、「休業要請」による売上激減にあえぎ、感染対策を万全にして、なんとか営業しようとしていた。

これに対し、

「そんなに金が欲しいのか!」


と言った者がいたという。

「まぁ、欲しいに決まっとるわな」。


この件に対する僕の率直な感想だ。


このニュースを聞いて、一つ思い出したことがある。

あれは、高校時代の期末試験当日だったか。

僕は、直前ギリギリまで教科書を見ていた。

教科書を(カンニング防止のために)教室後方に置いてある自分の鞄にしまいにいったのは、先生に「始めます」と言われてからであり、向かう途中もそれ眺めていた。

すると、席に戻る途中、同級生から

「そんなに点数を取りたいのか!」


と叫ばれたことがあった。

「取りたいに決まってんだろ。なに言ってんの?」。


これが当時思ったことであり、それは今なお一ミクロンたりとも変わってない。

直前まで教科書を読む必要があったくらい、勉強法が稚拙だったことは反省点だが、それとこれとは無関係だろう。

一人目の「クレーマー」と、二人目の「同級生」。


二人とも、そのセリフを放った"理由"はそれぞれあるだろう。


しかし、"一番の根底にある心情"は共通して一つ。

「気に食わねえ」

これのみ。

それに対して言えることは二つ。

①「あなたの"好み"よりも、"取ろうとしているもの"方がはるかに価値が上」。

僕はこれにより、悪くない「評定平均値」を取得して、無利子奨学金の権利を得ることができた。お金に関しては語るまでもない。

②「"好みの押しつけ"や"感情のぶっつけ"で、人がその通りに動くことはない」。

「勉強しなさい!」と親に言われて、「はい、わかりました!」と勉強しだす子供が皆無であるように、「人は強要に対して反発する性質」を持つ。

相手の言うことに従わざるをえない立場にあるならともかく、"ない"なら「全無視一択」である。

ゆえに、他人に「そんなに金(点数)が欲しいのか!」と感情をぶつけるのは、「それをやめろ」と求める手段としては「悪手中の悪手」だ。

他人を動かすことができるのは、今も昔も「ロゴス(論理)+パトス(情熱)+エートス(信用)」が備わったとき。

その"いずれも備わってない"セリフで、人が動くわけはないのだ。

なお「強要に対して反発する人の性質」を、心理学では「ブーメラン効果」といい、紀元前の賢人アイソーポスが、寓話「太陽と北風」において見事に表現している。

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