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暴力は「一瞬かつ無駄」、言葉は「永遠かつ有益」〔マキシム〈ニーチェ〉【金言の再現】2〕

攻撃する者の内的理由

 暴力的な性質を持っているから攻撃するのではない。誰かをやっつけたり苦しめたりするために攻撃するのでもない。
 自分の力がどういうものか、どこまで自分の力が及ぶのかを知りたくて攻撃している場合がしばしばある。また、自分を正当化するために攻撃するときもある。これは個人においても、また国家においてもそうだ。

『人間的な、あまりに人間的な』

『超訳 ニーチェの言葉』通し番号088(フリードリヒ・ニーチェ著 白取春彦訳 ディスカヴァー)

時を経るごとに、犯人に対する憎しみが増してきました。僕は安倍さんよりではない思想、考え方の持ち主ですが、それとこれとは話が別です。

…あの、暴力って誰でもできるんですよね。もちろん、"物理的"にですけど。そいつ個人が凄い人だというわけでは全然ないんですよね。

で、そいつ自身が凄いわけじゃないから、銃という道具に頼って、言うことを聞かそうとしたり、自分が正しく、凄い人だと知らしめようとするんでしょうけど。

でも、それがうまくいったケースって一つもないと思うんですよね。少なくとも明治以降の日本においては。

高橋是清とか犬養毅とかを暗殺した人が、どこの馬の骨で、どういう信条を持っていたかなんて、誰も知らないですよね。

60年代安保闘争で"色々やった"人たちの崇高なる精神なんて、今はみんなどこ吹く風ですよね。

暴力というのは、人の生命・身体というかけがえのないものを犠牲にする割に、完全な無駄行動。

「自分を正当化する」目的にとって"なんにもならない"。

銃の射程外にいる人間や、暴力の効果が切れた後の人間が従うわけがないからね。

みんなそれがわかっているから、普通は「自分を正当化する」手段として暴力を選ばないんですよね。

時代を越えて、空間を超えて、暴力が及ばぬ人の心に残るのは言葉のみ。今も昔も。

だから、みんな頭を使って言葉を創り、言葉を残す。

これ以外に自分を正当化する方法なんてないです。

なので、多くの人が言っていますが「暴力に屈することなく」、これからも言葉を発し続けましょう。

それが、"奴"ら暴力の徒を否定し、"これからの"暴力の芽をつむ道です。

(参考図書)

※今回のような事件が絡んでいて、いらすとやさんとか、他のクリエイターさんの作品とかをサムネイルに使う気にはならない。

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