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私が発達障害を受け入れるまで


最初の気づき

初見で受け入れるのは難しい

自分が発達障害であることに気づいたのは割と最近のことです。
社会生活を送るあたって問題はあったものの、根本原因が障害にあるとまでは考えが及びませんでした。

最初に発達障害という言葉を知ったのは十数年前。上司からの叱責やプライベートでの出来事も重なり、結果的にうつになってしまった時期でした。

上司は私の特徴や仕事の様子を見て別室に呼び、「君はコレじゃないか?」と一枚の紙を差し出しました。そこにはADHDという文字とともに代表的な特徴が載っていました。

当時の私はうつの症状の一つとして指摘された現象が起こっていると思っていました。
私がうつ状態になった要因の一つである上司の言うことは素直に受け入れがかったし、今ほど認識されていない発達障害の可能性について考えをめぐらせる心の余裕もありません。
結局、参考にしますとか機会があれば病院にいってみますとだけ答えたと思います。
が、今思えば上司の指摘は正しかったのです。

うつとの戦い

その間の細かい記憶はほとんどないのですが、通院しながら勤務しうつの寛解に3年ほどかかったと思います。
それから紆余曲折ありながら10年ほどが経過します。

※私の仕事ぶりやプライベートについては別の機会に書きたいと思います。

環境の変化と再発

そして4年ほど前でしょうか、転機が訪れます。会社の期待を背負い新しくできた部署に異動となりました。
ありがたいことに、私の仕事を見た方から指名で引き抜かれる形で。

ここで問題が起きます。
今までも認識はしていたのですが、私はマルチタスクが苦手です。
苦手というかマルチタスクや登場人物が増えると劇的に変わってしまいます。まるで別人のようです。
一つ一つの仕事や対人対応はできるのに同時進行の数が増えると情報の取捨選択ができず全体像や目的を見失ってしまいチグハグになります。特に対人コミュニケーションにおいて顕著でした。

上の人もアレ?出来ると思っていたのにおかしいぞ、となりますよね。

当然、イライラが募って叱責される。
しかし、(一つ一つの)仕事や対人対応はできるからやればできると思ってさらに叱責する。色んな方面から指示、要望、叱責が飛んでくる。
いつしか常に抑うつ状態で仕事をするようになっていました。
抑うつによりパフォーマンスが落ちる、叱責や自責の念によるストレスで更にパフォーマンスが落ちる。で、叱責されて詰められて……
負のスパイラルですね。

自己認識と新たなる一歩

ここでようやく気づきました。
私の脳は通常の状態ではないのかもしれないと。
書き出したらキリがないのですが上記以外にも思い当たることは多々あります。
何か足りてない?大事なパーツが抜けてる?
そういえば昔、元上司に言われたADHD?というのがあったな……

ネットで調べてみると特徴はほぼ一致します。
どうやら自分はADHDなのかもしれない。
ここでようやく10数年ぶりの受診を決意します。

10年越しの受け入れ



医者からは「まずADHDで間違いないないでしょう。根本に発達障害があってうつは二次障害です」との事でした。

安心と前進と

当時は自分がどこかで感じていた生きづらさに原因があったこと、原因が分かれば対処もできる。今の状況から抜け出せると安心感を覚えたように思います。

同時に「一生この障害と付き合わなければならない」という事実を突きつけられたわけですが、当時の私はそこまで考えが及んでいませんでした。

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