水を思うと、壮大な気持ちでお風呂に浸かれる話
介護施設で働いているときに、上品な老婦人が浴場のお湯に浸かったとたん、恍惚とした表情で「はあ……ありがたい…!」と、心からお湯の有り難みを誰に言うともなく、しかし毎回毎回言うのを目にしていた。
それから十数年、私も同じようにお湯に浸かって「最高」と思うようになった。
大正8年生まれの婦人の気持ちとは、意味合いが違うかも知れないが、当たり前に使える「水」の凄さを伝えたい。
お風呂で使うお水は、悠久の時を巡ってこのたび、一期一会で私の浸かる浴槽の中に入ってきてくれたのである。
水は、消失しない。
流れて、気体になって、雨や氷になって、また水になって、動植物に取り込まれて、土に還る。
私たち動植物が吸収しても、一時期、体内で活躍して命を繋いだのち、また水は水のもとに還っていくのだ。
そうおもうと、地球が誕生して水が生成され、40億年、水はずっとずっと、存在し続けていると考えるのである。
水にも記憶のようなものがあるとしたら、(たかだか数万年の人類に計り知れない)
とんでもない智恵と経験の存在だと、お風呂に浸かりながら身体をつつむ温もりに畏れを抱く。
お風呂で、この水の、長い長い旅を想像してほしい。
どんな経過を経てここに来たのか
氷山や、地下深く、積乱雲…
そしてこのあと、どこへ行くのか
また、同じ水と出会えるのだろうか
地球上の8割とも言われる水の一部が、今日もまた、こうやって私のところまで来てくれている。
なんだかとても有難い感情が湧く。
そして私はあの老婦人の、恍惚とした表情と、言葉を思い出す。
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