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幸せって、なんだろう。

今、カナダの上空を飛行中。

機内の窓から、広大な森林が広がっているのが見える。それも果てしなく。
まだまだ手つかずのところが多くあるぐらいだ。

地上に目をやると、街はものすごく小さなパズルのように存在して、その中での「人々」はきっと地球から見上げる数多の星のような「点」の存在に過ぎないのだろう。

さて。

「人の幸せって、なんだろう」

アメリカ視察に行き、ろう者の持つパワーや可能性を見せつけられた。
手話を中心にしたバイリンガルろう教育は、可能性をさらに高めるものとして、これからの時代に必要と感じる。

ただ、現在の日本の”ろう教育システム”にそれができるかどうか。

口話一辺倒だった昔を思うと、今はマシなのかもしれない。しかし、声つき対応手話はNMやCL、ロールシフトなどと言った文法が備わっているものではないため、どっちかというと読唇術がメインになり、それに手話が補完されているようなものだ。なので当然、口をずっと見続けることになり、長時間では目も脳も疲れてしまう。自然に理解できる言語ではないのだ。

そして。

先ほどの、「人の幸せって、なんだろう」

バイリンガルろう教育は、ろう者の持つ力をさらに高めるものとして期待できるメソッドである一方で、ろう者たちすべてが必ずしも、ギャローデット大学やロチェスター工科大学に通う学生のようになるわけではなく、個人差があることは承知している。

従来のろう学校のように、「社会に出ても困らないように」発音や技能のスキル向上に焦点を当てていることは、普遍的なボーダーラインにまで引き上げる目標があることも理解している。

例えば、人並みに就職して、結婚して家族を持つ。
社会や組織の中で、何かを生み出す、または役に立つ人間の1人として存在すること。
収入や公的年金を受けながら人生を送る。
ろう者や聴者の家族や友人など周りの人たちに囲まれ、助け合い、支え合いながら日々を送る。

それもまた幸せであろう。
教育とは、それが最低限にできることを保障するためのものでもある。

私が運営しているNPO法人は、ろう重複者を支援する事業も行っている。
ろう重複者たちの持つ潜在能力は、計り知れないものがある。それを引き出し、できることを見つけていくのがスタッフたちの役目だ。「人並みに」できるかどうかはともかく、彼らが純粋に「働ける、手話で会話をしながら日々を楽しく送る」姿を見ると、それもまた幸せなんだろうと思う。(本人がどう思っているかはわからないけれど)

アメリカン・ドリームのように大きなチャンスを掴むべく、自分の持つ能力を最大限に使い生きる人生。
または、働いて収入を得て好きなことをし、あるいは家族を持ち、四季が織りなす季節を感じながら生きる。
それも幸せのカタチであろう。

今回の視察では、ろう教育のノウハウをさらに高めるものとしてのバイリンガルろう教育を吸収し、民間としての放課後等デイサービスで子どもたちの持つチカラを、プラスαの形でできる限り引き上げていきたい。

今のろう教育の課題は、人工内耳の普及で音声言語の習得に焦点がかなり当てられていて、「自然に見て理解できる手話」で物事を理解することが少ない環境にあり、子どもたちがアウトプットする言葉の数が手話も口話も十分ではないように感じることだ。(あくまでも私個人の意見)
そうなると、手話も口話も中途半端になってしまい、思考力や心理にも大きく関わってしまうことになる。(セミリンガルまたはダブルリミデット)

それだと、本来ならば得られるはずの「幸せの可能性」が弱まってしまう。
もったいないと思う。

「可能性は無限大」
これをモットーに、さらに大きく伸ばしていく方法を追求しつつ

そして
幸せは、答えは一つではなく、それぞれなりに自己完結するものでもあるので

しっかりとした手話での「バイリンガルろう教育」で基礎を固めたうえで
ろう者として自信を持ち、自分なりの幸せの「答え」をつかんで欲しいと思っている。

オリエンタル湖

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