澤田利江@NPOデフNet.かごしま
ネットショップ ON THE PALM
「薩摩わっふる」について、あれこれ話します
理事長のこれまでのこと。
グループホームについて、あれこれ話します
NPOデフNetworkかごしま
初めまして。 特定非営利活動法人NPOデフNetworkかごしま理事長の澤田利江です。 鹿児島市で、ろう者・ろう重複者および、ろう児・難聴児のための福祉サービス事業を展開する法人を運営しております。 特定非営利活動法人NPOデフNetworkかごしま https://www.deaf-net.org/ <主な事業> ・就労継続支援B型事業「ぶどうの木」&薩摩わっふる <sub> ネットショップ ON THE PALM ・放課後等デイサービス・デフキッズ ・グループホ
2023年秋は かごしま国体 特別全国障害者スポーツ大会 が鹿児島県内各地で行われる。 それに合わせて、当法人ではオリジナルブランド「ON THE PALM」を立ち上げ、「KAGOSHHMA CITY Tシャツ」販売を開始した。 いわゆる、ご当地Tシャツである。 就労継続支援B型事業・ぶどうの木運営の一環として、仲間(=利用者)の働く機会提供のためでもある。 仲間の仕事としては、 ・タグ付けの事前準備 ・(得意とする)ミシン縫 ・Tシャツの袋入れ ・受注からの箱詰
「薩摩わっふる」の 主力商品は ・プレーン ・サツマイモ だ。 他にも ・クルミ ・コーヒー ・チョコ ・いちごチョコ ・ショコラ ・豆乳きなこ がある。 そして季節限定で 夏はブルーベリー、冬はアップルシナモンなどがある。 お店に立つのは、ほぼ、ろう者がメイン。 スタッフと ベテランの域に入る仲間(=利用者)が切り盛りしている。 週に数回ではあるが、聴者スタッフが店頭に立つが、お客様とはほぼろう者が対応している。 「薩摩わっふる」は 就労継続支援B型事業のひとつで
知らせを聞いた時 一瞬、思考が止まった しかし、その後 これまでの数えきれない思い出の映像が 脳裏に浮かんできた ろう世界に 私を導いてくれたのは米内山明宏さん 米内山さんとの出会いがなかったら きっと私はここにいないだろう デフファミリーなのに 手話が下手だった私はたぶん ろう世界から遠ざかっていたのかも知れない そんな私を 米内山さんは、ろう世界の入り口で 私を引っ張ってくれた そんな感じの言葉をかけてくださったと思うが 私にとっては しかもデフファミリーなの
グループホーム第2弾 Palm Terraceが いよいよ最終段階に突入した。 中古一軒家を購入し 内部をグループホーム仕様にリフォーム。 設計段階から業者さんに、こちらのイメージを伝え グループホームには必須の「消防機器」、 および各部屋に、光の点滅で火災の発生を伝える「光警報装置」の設置をも 盛り込むように依頼したおかげで グループホーム仕様のリフォームがスムーズにできた。 あとは鹿児島市の指定通知を待つだけ。 数名の予定入居者さんには あと1ヶ月待ってもらうしか
当法人は、就労継続支援B型事業、放課後等デイサービス事業、共同生活援助(グループホーム)事業を展開している。 事業を運営していくなかで、研修では外部の方をお招きしスタッフのスキルアップ、または意識向上を図っているのだが、そのなかで1番感銘を受けたのは、ある法人の理事長さんのお言葉。 「もし自分が利用者だったら、行きたい場所なのか?」と。 確かに。 福祉事業は、どうしてもその事業の中に自分(=スタッフ)は「対象外」になってしまいがちだ。 ウィンウィンの関係ではなく 一
聴覚障害児対象学習塾「デフスクール」を立ち上げたのは1998年。 フリーペーパー情報紙の在宅ライター時代、ろう大学生に取材した時に「同じ立場で、手話という共通言語で子どもたちに勉強を教えたい」という考えが一致したことから始まった。 ろう大学生2名と私、ろうの子供を持つ保護者1名の4名で、小さなアパートの部屋を借りて始めた。 その当時、鹿児島では聾学校から進学する生徒なんてほぼいないに等しく、東京から鹿児島の国立大学に進学した学生が、しかも、ろう学校からの進学というのがと
〜あるスタッフの想い〜 「言葉が見える」のが手話なのだと知ったことが私にとっては非常に大きな転機になってます。 手話に出会ったのは21歳の頃です。 私は手話に出会う前までは自分に聴覚障害があると受容することがなかなかできず、これを恥ずかしく、隠し通さねばならないと思い込んでいました。これまでずっと聴者と同じようにならなければいけないと思い、聴者の口の動きを読みとることに集中してきました。聞き漏らしたことで周りの聴者より不利になりたくないとの思いで、勉強は必死でした。 しか
「金を残して死ぬのは下だ。 事業を残して死ぬのは中だ。 人を残して死ぬのが上だ。」 後藤新平
「やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ。 話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず。 やっている、姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず。」 山本五十六
NPOを立ち上げたときに言われた言葉は 今でも心の中に残っている。 「始めるのは簡単だけど、続けることは難しい。頑張りなさい」 以前、勤めていた会社を辞め28歳の時にフリーになった。 そして2005年、37歳の時にNPOを立ち上げ今年で18年目に入る。 長いようで、実はまだまだ短いと思う。 私の最終目標だったグループホームは達したものの、しかし本番はこれからなのだ。 「続けること」 そのためには次世代に繋げる人材が重要だ。 ここまでのデフネットは、すべてが順風
グループホームとは 障害者総合支援法に基づく福祉サービス【共同生活援助】のこと。 スタッフのサポートを受けながら、一般の住宅に近い環境で少人数による共同生活を送り、自立促進や社会参加、また将来、一人暮らしを希望する方にとっての準備の場のようなものでもあります。 グループホームは「施設」ではなく、アパート、マンション、一戸建て等、地域の中で生活していきます。 スタッフ体制 ●施設長(管理者) ●サービス管理責任者 ●生活支援員 ●世話人 ●夜間支援員 24時間体制で、入
グループホーム開所にあたり すべては この言葉から始まった。 1997年、地元のフリーペーパー情報紙に在宅ライター募集があり、「物書き」としてスタートしたい私は、応募し面接に行く。 「障害者ならではの視点で記事を書ける」 とアピールしたのが功をなしたのか採用が決まり、月2本の執筆を始める。 ①鹿児島県で頑張っている障害者 ②障害者をサポートする施設 この2つの記事を、取材を通して執筆し フリーペーパー情報紙に掲載される。 ろう者のみならず、さまざま障害者たちを取材
辞めよう 自分の力でできる仕事がしたい 好きなことを仕事にしたい そう決断したのは平成8年、1996年のことである。 短大を卒業した後、障害者雇用促進法により大手生保会社の鹿児島支社に就職して8年。 「8」の、漢字「八」というのは末広がりという意味で、縁起がいい数字とも聞いていたので辞めるには、ちょうどいいタイミングとも思った。 何かをすると決めてはいなく、全くの白紙で平成「八」年という縁起の良さに乗っかって、そう決断した。 会社に不満は全然ない。むしろ、いい人たち
NPOデフNetworkかごしまは、鹿児島市で2005年に発足したNPO法人である。 では、なぜ「NPOデフNetworkかごしま」なのか。 そのルーツを、源流を辿ってみると私の両親に突き当たる。 私の両親は、ともに「ろう者」だ。そして、その2人の間に生まれてきた私も「ろう者」だ。いわゆる「デフファミリー」である。 両親は、鹿児島聾学校を卒業し、結婚し、そして理容店「エンゼル」を構え、お客様に支えられながら愛されながら40年以上やってきた。 同時に父は、ろうあ協会の役員