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「言葉が見える」

〜あるスタッフの想い〜

「言葉が見える」のが手話なのだと知ったことが私にとっては非常に大きな転機になってます。
手話に出会ったのは21歳の頃です。
私は手話に出会う前までは自分に聴覚障害があると受容することがなかなかできず、これを恥ずかしく、隠し通さねばならないと思い込んでいました。これまでずっと聴者と同じようにならなければいけないと思い、聴者の口の動きを読みとることに集中してきました。聞き漏らしたことで周りの聴者より不利になりたくないとの思いで、勉強は必死でした。

しかし、集中する時自分がものすごく緊張していることと、口形の読み取りだけではなく話している人から発せられる日本語の中で自分が知っている単語を頭の中で瞬時に類推もしていたため、疲労感も強かったです。その読み取れた言葉も100%正しく読み取れたかどうかもわかりません。
そのため、今日は人と何も話さなくてラッキーだった、今日は何も質問されなかった、意見を聞かれなかった、と人を避けるようにもなっています。
「頑張っているのに聴こえるようにならない」「聴こえないのにどう頑張るんだ」という絶望感もありましたし、この先1人で誰にも必要とされずに死んでいけたらとも思っていました。
思い切って筆談をお願いしたこともあります。でも筆談では集団でのたわいないお喋りに入れる訳でもない。長時間の筆談のコミュニケーションは特異な印象もあり、筆談でのコミュニケーションにも絶望していました。

手話が、
何を言っているのか口形を必死に読み取り、必死に聞こえにくい耳を傾け、頭の中で忙しく日本語に類推する作業をしなくてはならないという緊張感から開放してくれました。目からウロコという言葉を初めて体感しました。

それからは同じ聴覚障害者との出会いがあり、手話を少しずつ使えるようになって「心から伝わり合う」コミュニケーションの重要性を身にしみて実感できたと思います。
そしてその伝わり合うことがこんなに豊かに人間関係を築いていくのだということも知りました。

手話を通して私が「私」でいていいのだと自己肯定感を取り戻すのに20数年かかってます。
成長してから学生時代に喪っていた自己肯定感を取り戻していくことは非常に時間がかかります。
もっと早く聴こえないことは恥ではなく、手話があるとこんなにコミュニケーションが輝いて見える、手話があれば自分の学びも活きるんだということを、知りたかったなと今でも思います。

音声を聴くことにこだわりすぎるコミュニケーション環境をろう者に求めるのは、ろう者の自己確立や主体性、自己決定権も奪うことであると思いました。
ろう者が産まれても、音声の獲得がどうのというよりまずろう者にとって不完全なコミュニケーション環境に置かれることのないように「目で見ること」を最優先に医療と福祉と教育が連携すべきと思っています。

Written by:staff M


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