コラム 久しぶりに幼馴染と会いました

 こんにちは。ミナヅキです。幼稚部からの幼馴染と久しぶりに会うことになり、彼の家で宅飲みしてきました。

 会話の大半が彼の旅行話と恋愛話で盛り上がりました。私は大体聞き手です(笑)ふと彼が真剣な顔つきになって

「あのさミナヅキ。最近さ、ろう者ってつまらなくなったと思わない?」

 何のことかと質問したら、彼はこう言いました。ろう者と最近会ってない。なんだが、ろう者と話すのがつまらなくなったんだよねと。

 彼は友達が200人いて、毎日のように会っておしゃべりする人なのです。しかし、最近ろう者と会うのを控えたんだそうです。ろう者全員というわけでもなく、私もろう者ですが、たまに会って話したいと言ってくれます。

 彼曰く、ろう者がよく口するのが「ろう学校にまた通いたい」であり、話題のほとんどがろう学校に通っていたときの思い出だそうで″つまらない”んだそうです。

 最初は、あの先生笑えるよねとか今も学校変わらないのかな?とか、そういう風に楽しく懐かしく語り合っていました。しかし、次に会ったときも、幾度も話したときも、「あの先生笑え・・・以下略」と同じ話ばかりで彼はうんざりしてきたそうです。別のろう学校の出身でさえも「お前のろう学校はどうだった?私はね・・・」と何回も同じことを始終に繰り返されるんだそうで、げんなりしていました。

 そういう会話ばかりするのは、今の生活に真新しいことがなくそれに対して不満を持っている人間なんだろうと彼は納得していました。

 ろう学校での生活と社会人としての生活。この二つはとてつもなくかけ離れた世界であり、いわば言葉が通じない外国と言っても過言ではないのです。学校に行けば、手話で楽しく通じ合える友達と先生がいる。けれども、会社は手話ができない。通じない。そんな人ばかりで自分が我慢しなければならないという日々が続いてしまう。そういう生活を送っていくと、ろう学校に戻りたい!と思うのは仕方がないのかもしれません。

 私もそういう人間なのか?いいえ。私はろう学校のときは楽しかったときもあるけど、一方つまらなすぎたと思っています。なぜならば、ろう学校という世界はあまりにも小さいのです。私がいたクラスは4人しかいなくて、同じ趣味を持ち共感できる友人というものはありませんでした。彼もそういう立場だったそうで、卒業するとすぐあれこれと活動してきたそうです。

 そして、懐かしくろう学校の日々が愛おしく思うろう者はどうなんだろうか?さっき言ったように、社会に置かれる生活はあまりにも辛いもの。その根本的な要因を占めるのが、「聴者と話せない」「日本語がうまくできない」なのです。私は日本語がペラペラ(日本人だから当たり前だけど・・・)で日本手話を頼らない生活を送っています。彼は日本語がちょっと苦手だけど、聴者であっても外国人だとしても交流するのが楽しくて仕方がない人間です。そうではないろう者たちは聴者との会話を避け続けてしまう。そうなると、家族から自立できない。新しく趣味を開拓することができない。会うのはろう者だけにする。そうなると、必然的に彼らが持っている話題のネタが「昔話」だけになってしまいます。

 ろう者でなくても会話しているとき、昔話を思いつくのは10回おしゃべりして出るか出ないかの確率なのではないでしょうか。もしかしたら、10回中、9回ぐらいなんじゃない?と思っているのであれば、現状の生活に満足していない、いろんなことを開拓してないのでネタ切れになってしまった。そういう断崖絶壁なところにいるんだと自覚すべきかもしれません。


※ろう者=手話を主にコミュニケーション手段をとる聴覚障害者のこと。

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