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大晦日に行った八坂神社での祈り

ちょっと遅れてのブログになってしまったけど、ずっと書きたかった「祈り」についてのこと。

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私は、今年のお正月、祖母に会いに久々に大阪に行った。

祖母の家は、兵庫なのだけど、梅田に近く、小さい頃から神戸に行くよりも大阪と京都を観光していた。

数年ぶりの関西だったので、京都にも足を伸ばしたく、阪急電車で1時間かけて祇園四条に着いた。出発が午後で、天気もくもりのちぱらぱら雪であった。

本当は嵐山とか、金閣寺とかいろいろ観光したかったのだが、河原町へ向かうお店をプラプラしていたらいい時間になってしまった。

京都にせっかく来たのに、神社仏閣を一切訪れないというのはとてももったいない気がして、定番だけど、立派な八坂神社を訪れた。

2020年の年明けはシドニーでハーバーブリッジに打ち上がる花火を見ながら年を越したし、2021年はコロナ全盛だったので、神社へのお参りはしなかった。
そう思うと、2年近くしていないのか。

八坂神社の境内に入ると、出店がいくつかあってにぎやかだった。お好み焼き、たこ焼き、りんご飴。。お祭りがとても好きな私は冬でもこの雰囲気が味わえることが嬉しかった。

もう一つの鳥居をくぐると、別の世界にきたかのように、シン、と静まり返っていた。人はいたが、とても静かな本殿だった。少し前の出店でにぎわっていた場所とは違う世界に迷い込んでしまったかのようだ。

神社がほぼ2年ぶりの私は、例のごとく、「2礼2拍手1礼だったけ。。」と神社にきては毎回忘れているお参りのお作法を周りをきょろきょろ見ながら思い出す。

5円玉を取り出し、ほうり投げ、手のひらをあわせて静かに祈った。
すぅと、目を閉じて深呼吸をする。

ゆっくり目を開けると、なぜか、すっきりしたような気分になった。
祈ったのは、私個人のことと、家族のことだった。



「人のために祈るのって、なんかいいな」
そう思ってほくほくしながら帰り道を向かうともうちょっと小さめの縁結びの神様のようなお社があった。

そこにかかっているハート型の絵馬を見ると、
・受験に合格できますように
・片思いが成就しますように
・ずっと◯◯くん、◯◯さんと一緒にいられますように(カップルで)
・家族が健康でいられますように

と様々な願い事がかかっていた。

絵馬を見ていると、人力車のお兄さんに連れられた着物姿のカップルが後ろからきた。
道をあけて、そのカップルがお参りする後ろ姿をみていた。


神社になにかパワーがあると感じるのは、そこに人の願いや祈りが集まっているかも知れない。人の願いや祈りというのは、とても誠実で、清らかで、尊く美しい。自分で祈っても、誰かが祈っているのを見ても澄んだ気持ちになる。

小さい頃から神社は好きだったけど、大人になると、より神社には特別感がある気がした。日頃、仕事におわれたり、SNSを見て自分とは関係ない人の日々を見たり、そうした雑音で知らずしらず生活しているからかもしれない。
祈っている時間は、とても静かで、自分がいまここにいる、ということを感じる。

いま、ここに集中する、というのは、ちょっと瞑想と近い気もする。

そういえば、祖母も健康だったときは毎日神社にお参りして、私と父や母の健康を祈ってくれていたな。誰かを祈ることも誰かにお祈りされることもとても幸せなことだ。

そんなことを考えながら、ありがとうございました、と一礼して鳥居をくぐると、またいい匂いと、商売上手な出店のおじさん、お姉さんの声が聞こえてきた。

神さまと人が近い距離・京都。
私が京都をずっと好きな理由はそれがあるかもしれない。


2021年。八坂神社での境内をでて決めた。
「2022年は日本旅行をいっぱいしよう。神社をめぐろう」


ずっと海外にいきたいという気持ちとコロナでいけないというもどかしさが自分の中にあったけど、できないことをなげいてもしょうがない。
まずは日本を旅しよう。海外に出る前に、自分の知らない日本を知るのもよい。


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それから、1ヶ月後の2022年1月15日。
友達といった遅めの初詣で、明治神宮で御朱印帳を購入した。

日本旅行をして、神社をめぐろう。
小さい頃から妖怪とか伝説とか好きだったから、旅行先の物語や伝承をたくさん聞いて、肌で感じよう。

そんな2022年にしたい。


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