期待の仕方を気をつける

「努力の方向を間違うな」
浪人生時代の予備校講師の言葉が忘れられない。

「富士山に向かう競争で全力で真逆に向かってるヤツと歩きながら富士山に向かってるヤツ。勝つのは歩きながらでも富士山に向かってるヤツだ。どんなに頑張っても方向が間違ってたら負ける。」

受験勉強だけじゃなく、何かに対して正当に判断する能力はいろいろなことに応用できる。

人に対する信頼の置き方もそうだ。


料理人が2人いたとする。
1人の料理人はオーダーが入ってから3時間かけて5つ星の料理を出す。
もう1人は味は普通だが3分でできる即興の料理を得意とする。

そこに通りかかった1人の男がいた。
男はとてもおなかがすいていてどんなものでもいいから食べたい状況だ。
本来この場合選ぶべきは後者の即興料理人だが、おいしいものを食べたいと5つ星の料理人を選んでしまい、3時間待たされることになってしまった。

すぐにご飯が食べたい男は3時間かかると聞いて絶望するだろう。

しかし、料理人のできることは変わらない。
5つ星料理を作れる料理人に即興で料理を作ってと言っても味にこだわっているから作ろうとしない。

すぐにごはんを食べたかったなら即興料理人に作ってもらうべきだったのだ。

この話を聞いて、なんでそんなバカなことをしているんだと思う人がいるかもしれないが、実際に意外と多くの人がやっていることかもしれない。

男は料理を今すぐに食べたかったが、頼む相手が3時間かける料理人だったため、「美味しい料理を即興で」という彼ができない期待をしてしまった。

人に絶望するとき、その分その人に対して期待をしていたということである。

そして期待に応えてもらえなかった時に人は絶望する。

だからといって人に期待しないで生きていくのは結構大変だと思う。

どんなにできる人でも自分1人の力でやれることなんてたかが知れているし、なにかをやりたいなら必然的に人に助けを借りなければいけないからだ。

そこで大事になってくるのが期待の仕方である。

だれかの助けをかりないといけないとわかった以上、どうやったら助けてもらえるのかを考える。

頼みごとをする場合、相手に○○ (表面上やってもらいたいこと)をやってほしいというのはもちろんだが、自分は×× (自分の心からの願望)を期待しているから○○をやってほしいと頼んだほうがギャップが少ない。

期待をした代償として絶望するかもしれない責任は期待した分だけ負わなければいけない。(重い)

人とうまくいかない原因のひとつとしてその人に見合ってない期待の仕方をしてしまっているかもしれない。

というか、私自身それが原因でうまくいってない部分があったりしたので、これからはちゃんとその人を見てその人に見合った期待の仕方をしたい。

期待されるのは誰でも嬉しいはずだから。





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