見出し画像

いま地方は退屈なのか~地方/都市/文化から考える~

ヨソモノプロジェクトで発行した雑誌「Etranger」に記載した文章になります。2024年3月発行


 過去を振り返ると私自身いつも何か刺激的なもの、興奮させてくれるもの、目新しい物、ワクワクするようなものを探し求めてきたように思う。それは音楽だったり、イベントだったり、漫画だったり、アートだったり、様々である。10代のころの私は地元岩手が素朴に嫌いだった。その原因は今挙げたような刺激的な「文化」が「いまここ」に無いことを意味していたように感じるが、それは私にとって「場所」の問題であり、退屈な「地方」を飛び出せばいつか私が求めているような素晴らしい場所で刺激的な毎日を過ごせるのではないか、そうした漠然とした夢をいだいていた。実際、私は二度も地元を飛び出し、様々なことを経験したうえで生まれ育った岩手に戻り生活をしている。十分に刺激的で楽しい毎日だ。それは私が変わったのか、周りが変わったのか。ここからは私の人生に様々な影響を与えてきた「地方」と「都市」における対立軸を「文化」を通して考えてみたい。

  かつて地方に生きる人々にとって情報の源泉はマスメディアだった。そこでは情報がツリー上に配列し統制され、ツリーの最上部、その発信源には東京や大阪などの大都市があり、こうした発信源と文化の最先端のイメージが重ね合わされていた。地方はこうした情報を一方的に受取り、特に義務教育期間に地元で過ごす青春期は華やかな大都市への妄想を膨らませながら過ごしていた人も多いだろう。戦後日本社会では生まれ育った地元を離れず、これまでのコミュニティのなかで人生を設計し生活を続けることが当たり前とされる時代もあったが、いつしか私たちは地元のコミュニティを飛び出し、どこにでも行くことができるようになった。これには社会的な価値観の変化がある。こうした考え方は新自由主義(ネオリベラリズム)と呼ばれ、より社会は流動的になった。このように我々は生まれ育った土地や社会など限定された環境に縛り付けられることなく「いまここ」の外にある「ここではないどこか」に希望を見出しすことができた。「ここではないどこか」として我々を魅了したものはマスメディアの発信地である大都市であり、そこは華やかな文化の中心地のように感じられた。

 しかし地方から都市部へ移り住むことは別のことも要求していた。個人の自由な選択と行動が許容される一方、自由に選んだ責任は自分で果たす必要があり、自分の力で生きていく自立性が求められたのだ。それこそが新自由主義のもう一つの側面である。華やかな生活や文化の中心にいる体験を支える為のたゆまぬ資金確保とそのための労働に追われいつしかとにかく生きるためにあくせくと働き、時間とお金と気力をすり減らし、楽しんでいるのか働いているのか、何のために「いまここ」で必死に生きているのかが分からなくなったとき、求めていた大都市のイメージが現実に上書きされはじめる。大都市は夢を与えてくれるが、過酷な現実も見せてくる。疲弊した多くの人々は故郷に戻ることを余儀なくされ、そうこうしている間に自分の故郷すらもかつての封鎖的で相互補助的な従来の社会から移行し、多かれ少なかれどこにいたとしても自己責任と自立の理論で成り立つ、安易に甘えられる場所ではなくなっていた。「ここでないどこか」という安易な希望が持てる特権的な外部は消えてしまい、ある意味ではどこまでも内部の連続と化し、新自由主義という規範がどこまでも個人に付きまとう。

  かつては地方とは退屈な場所だと考えられてきた。いや、いまもそうであるかもしれないがそれはあくまでも大都市との対比の中で生まれる感覚に近い。地方から大都市に向ける視線、イメージは均質で統一的なものとしての「都市」を想像させる。しかし都市の現実はより多様であり、地方在住者が旅行などで訪れた一時のイメージはかなり狭い範囲のものでしかない。東京を例にしても実際は新宿や渋谷などといった特異な場所の周辺は人口も多くいかにも我々が思い描く都市の姿そのものに感じるが、実際はその中には何重にもさまざまなレベルの現実があり、決して統一的に捉えられないような複雑さがある。まして都市から少し離れた郊外に生まれそこで長年暮らしてきた人々は地方民とさして変わらない日常が広がっているであろう。そこは地方と同じくらい「退屈」であり、同じ意味で地方と同じくらい「ほどほどに楽しい」場所である。そこには大型のショッピングモールがあり、フードチェーン店が立ち並ぶ、東京郊外のロードサイドと地方都市の見分けがつかないその風景はファスト風景とも呼ばれる。もちろん人口、それにともなう人工物、自然や産業などは大きく違い、情報の質や量は異なるものの、かつてのような大都市の存在感はこうした生活様式の均質化により相対的に低下していると思われる。

 また都市と地方の比較における大きなトピックの一つにメディアの変化がある。従来型のマスメディアは単線的な情報発信だからこそ権威性が生まれ、発信地「大都市」を特権的に取り上げることで文化創造の中心として機能してきた。しかし文化のありかた自体はそのような都市文化だけを示すものだろうか。本来であれば文化とはあらゆる場所に様々な形で存在し我々の日常の中に見えるもの見えないもの含めて深く浸透しているもの一般に及んでいるはずである。しかし大衆はマスメディアを通してユニークでキャッチーな流行の都市文化こそ文化であると認識してしまうことで、あたかも大都市が生み出しているものだけが文化であり、自分自身を取り巻いている環境の中に固有の文化を見出しにくくなっていた。しかし状況が変わることとなったのはインターネットメディアの出現による。インターネットはこれまでのマスメディアと違い脱中心的で双方向で複数的な情報発信を可能にした。その傾向はSNSの登場と発展を機にさらに加速し、文化の発信の最小単位はもはや個人になった。都市文化だけではなく、日本各地いたるところから文化が拡散され、世代や階級など越えた個人が様々なレベルで自分自身の生きる文化を公共に向けて発信することになった。また大衆の好みも多様化し「メイン」や「A級」といったカルチャー自体もあいまいになった。これは文化に特権性を与えるただ一つの中心というものが力を失ったこと示している。いまやインターネットを通して誰もが同じ商品を購入し、対等にコミュニケーションを取り、カルチャー自体にも大都市から全国へという単線的な構造、そうした大きな物語が消え、メインもサブもない様々なレベルの文化(小さな物語)が無数に発生した。

 このように場所の特権性を失った文化は、インターネット上で断片化し無数に拡散され、常に二次的に再解釈されることでパロディ化を繰り返す。例えば渋谷で流行っている人気のスイーツがあれば「渋谷で流行っていそうなスイーツ」として場所の特権性を逆手にとりパロディ化され情報化され商品化され、最終的にはもはや起源を剥奪され場所を問わず消費される。そこではオリジナリティはもはや機能せず、場所性の神話、起源が情報社会/消費社会そしてSNSのなかで解体され、骨抜きにされ、どこまでも脱文脈化し、コピーと拡散、パクられ、真似され、反復され、コラージュされ、それをまたマスカルチャーが養分にするようなダイナミズムが生まれる。インターネットメディアでは文化の中心や周縁がなく、フラットに断片化された要素となることで都市と地方、町と田舎という対立軸は相対化され極端に階層化されることを逃れる。だとすると、私たちそれぞれに与えられた可能性は、あらゆる場所に宿るこれからの文化創造の可能性ではないだろうか。都市と地方という対立軸は揺らぎ、境界線はあいまいになり、どこまでも都市であり地方であるような外部なき内部の連続性の中に私たちはいる。

 では特権的な「どこか」が無くなり選択肢がフラットに配列された「どこでもよい」状態かと言えばそうではないだろう。それぞれ個人にとって今いるこの場所が特別な場所であることを否定できない。我々は普段の自分を取り巻く環境や生活の何気なさ、この繰り返す代り映えのない日常の中にある生きやすさ、安心感など生きるうえでの大切な条件を忘れながら生活している。毎日を繰り返すことができるのは、普段気が付かないレベルでこの地で育ってきた体験を通して深く身体に刻まれているものたち、雰囲気、街並み、自然、気候、バランス、社会、人柄、方言、そして食べ物など感覚的に私たちに組み込まれてきたものが私たちを生かしているからだ。このような意味で、私たちは生まれ育ちに関わらず何かしらの故郷を持っていると言えるだろう。

 ならばこのように考えられないだろうか、私たちは「いまここ」にある固有の現実とインターネットという土地性のない「どこか」という二重性のなかにいる、と。そこでは様々な場所で生活する個人の「いまここ」にある現実/文化がインターネットに接続されることで、それぞれの「いまここ」の無数の断片が私たちそれぞれの現実に重なり始める。スマートフォンの画面に映るSNSが表示する「どこか」から顔を上げれば、私の「いまここ」が広がっている。しかし「いまここ」も誰かにとっての「どこか」でしかない。私たちが住む有限な「いまここ」とインターネットから流れてくる「どこか」の偶然の情報。ならば「いまここ」と「どこか」が重なり混じり合うこの場所で新しい風景を発見することはできないだろうか。現実が、今見る風景がここではない「どこか」のように見える、いまここにいる私が目の前にある風景にもう一度「ここではないどこか」のように新しく出会い直すように、私たちが見ることのできる有限の世界の範囲の中に新しく生まれる見慣れぬものを発見する。これこそが無数の「いまここ」にから文化を生み出す一つの「まなざし」となりうるのではないだろうか。

 インターネットメディアが及ぼした別の側面として、私たちの消費と市場の環境を大きく変えたことがある。インターネットが市場原理に固く接続されたことで、大衆の欲望、興味関心を吸い上げ文化を金儲けの道具に変えてしまい、売れるか売れないかという単純な原理のなかで文化の賞味期限を著しく早めた。こうしてインターネットは文化創造の場所の特権性を解体してみせた一方で、大都市部における文化の創造と市場を過剰に結び付ける原因となり、市場の需要に応じた即時的な文化的商品や産業ばかりしか生み出せなくなった。こうして瞬間的に生まれすぐに姿を変えそして消え去る速い都市型の文化には新しさや斬新さを感じる一方で流行りすたりに弱く持続可能性に乏しい。

 ここから考えてみたいのはこうした速度の速い即時的な文化に対抗する遅い文化の可能性である。我々は速い文化に巻き込まれる余地は少なく(あるとしても消費と課金くらいだ)、まさにそれ自体に乗ることができないほど一瞬で目の前を通り過ぎ拡散され消費され自壊してしまう。例えば飲食業一つとっても、大都市では流行が目まぐるしく変わり、売れ無くなれば消えるという現象の連続だ。このような状況を見ると、大都市と比較して相対的に経済や市場の流動性が低い地方にこそ遅い文化創造の可能性を見ることができるのではないだろうか。即時性を求めず持続可能性を探り、形成や成熟に時間がかかることはあらかじめ了解され、過度に市場と接続されず、そういった定着への経過やその中での変化、それらが既に織り込み積みになっているような遅い文化の可能性。それがいま地方に住む私たちに与えられている、大都市型の文化とは別の新しい文化(オルタナティブな文化)創造なのではないか。

 仮に遅い文化をこのように考えてみよう。それは静かに発見され、ゆっくりと育てられるものである、と。その形成のプロセスを以下のように想像してみる。まず第一に遅い文化はおおよそ発見されるところから始まり、その発見者は当事者ではない第三者(よそもの)が望ましい。それはなぜか、文化を持続させる大きなファクターは文化を取り巻く観客だからである。こう考えることができる、ゆっくりとした文化は発見する(される)という段階から第三者がコミットする余地を残しているが、例えばSNSで見られるような「いいね」の数がそのまま文化としての注目度(市場価値)になるいわゆる「バズり」は瞬間的に注目を集め勝手に膨らんで消滅してしまう。同じように文化を発信しようという前のめりな当事者性も消費を早めてしまう可能性があり、認知拡大に終始するあまり当事者サイドからの一方向的な価値を押し付けてしまうかもしれない。もちろん適度な当事者からの発信は重要ではあるが、当事者に加えて第三者がそれを発見し新しく価値づけていくようなプロセスが遅い文化には必要である。

 遅い文化はまだ誰も気が付いていないような状態から静かに誰かによって発見される。それは我々の日常の中にひそかに存在し普段は見えていなかったり認識されていないが、私たちがこれまで文化そのものだと考えがちだった都市文化や若者文化、また大都市などの特権的な文化創造の中心について改めて問い直し、私たちのすぐそばに様々な形で新しい文化を再発見することで初めて別の文化の芽が生まれる。私たちは急成長し一瞬で枯れる速い文化を横目に、いまここに生まれる文化の芽に水をやりながらゆっくりと根付く所を見る、そこにこそ我々それぞれの文化がある。
 文化とは都市に生まれるものだけではなく、それぞれの「いまここ」に静かにゆっくりと生まれるのだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?