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続続続続・映画「カラオケ行こ!」、計9回見に行く人間の感想

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7回鑑賞済、映画本編・原作(カラオケ行こ!単行本・ファミレス行こ。上巻)購読済。シナリオブックを読みながら、まだ全てに目は通していないです。他の冊子類はまだとっておいてあります。満足するまで自分だけのでかい鍋をぐるぐると煮詰めながら落ち着いたあたりで都度公式情報を取り入れるようにしているのですが、まだまだ全然スクリーンの情報を煮込み続けるのが終わりません。


以下、映画館に向かうまでの移動でシナリオブックに目を通しながらメモした感想。

・かなり違うところがあって面白い。これって、こういう脚本がまずある上で、実際に演じる中で色々変えていったりしてそうなっているのだろうか。
・聡実くんのセリフが実際の映画でのそれと比べて割と元気というか、「!?」とかがちゃんと添えられていて驚いた。その印象と比べて映画だともう少し、落ち着いているというよりかは無愛想でぼそぼそ、とした様に見えるのは、狂児に対してちゃんと警戒心がある・心を閉ざしている のが見えていいなと思う。それがあるからこそ中盤以降の屋上のシーンとかで聡実くんがタメ口混じりに楽しそうな声色で狂児と話していたりするシーンで心情というか、距離感?心の開き具合の変化が見えやすくて……あ〜〜〜……。

・というかさ〜……聡実くんの傘のくだりって、狂児と再会するきっかけだったり、それ故に傘買ってになって亀から鶴になる面白が生まれてたりとかそういう役割があると思うんだけど、正直鶴になるくだりとかは無くても話が成り立つと思っていて、でも、あのさー、狂児の背中の刺青も鶴なんですねこれ。そこに込められた意味とかって、なにか見出してもいいのかな……。



以下、映画見てからの感想。

・「LINEも繋がらんくなってしもたし」カラオケ大会後に聡実くんから何回か連絡してみたんだろうな……というのが伺えて、思わず笑顔になってしまう。いつもめっちゃ早く既読つけて返信してきてた狂児が途端に連絡とれなくなって……。

・序盤の刺青の怖さの説明のところ、あれチクチクやってるのストローだったんだな。シナリオブックで見てアそうなんだ!?て思ったけど、実際見たらそうでした。まあ確かにああやって置いてあるの普通はストローか。

・一昨年亡くなった天本先生に幽霊部員として認められてる岡くん、つまり一年の時で既に映画を見る部に所属していて……。来年は廃部やろなあたり多分幽霊部員全員同学年(三年生)だと思うんだけど、きっと栗山くんが幽霊部員でいいから入ってくれって色んな人の事誘って……とか、その時点で部活が残ってたってことは少なくとも先輩は居て……とか、岡くんはこれまでどんな頻度で映画を見る部に顔を出してたのかとか、栗山くんとはいつからのどんな付き合いなのかとか(個人的な願望として、中学からの初対面とかでいきなり誘われて掛け持ちしていて欲しさがある。お互い「そういう人間である」ということに嬉しさが生じる。)、そういうところめちゃくちゃ気になるというか、余白で……良い………。
 聡実くん、合唱部での部長・先輩としての姿とか、狂児と接する時の敬語を使う姿とかが印象的な中で、映画を見る部での栗山くんと接する時のもう少しフランクな様子とか…… 卒業式の時の「よっ」とか、そういう一面が見えるのが、すごく良いよな~~~………。だからこそ狂児の「聡実くんいつも敬語なのに」で あ〜~お前はなんも聡実くんのことを知らん!!(涙)になる

・狂児って、もしかしたら 聡実くんが合唱部に行けてなかったこととかなんも知らんかったのでは……と考えると、もう本当に、本当に……本当は、お互いのことなんてなんも知らんくて………(涙) 狂児とのカラオケと映画を見る部で放課後を消費していく聡実くん……。

・あのさあ!聡実くんの紅の回想の時屋上で眼鏡かけてる狂児がうつるからあん時眼鏡かけてたっけ?そもそも狂児ってサングラスじゃなくて眼鏡のシーンあった?になるけどあの時聡実くんサングラスかけてるしあれ眼鏡交換のシーンじゃないですか!!!本編でやりとりとして一切描写されてないのに何しれっと回想に入ってんだ

・狂児のマシマロ、比較的尺長めにとられてるとおもうんだけど、ヤクザとかいうヤバい立場の大人が悩める男子中学生と関係を築いてる中で歌う「げにこの世はせちがらい その点で君はえらい」「凡人にはわかるまい その点この僕にはわかるよ」←罪にも程がある
 その後の「君とランチを食べよう 一緒にパイを投げよう」も、さあ……。会う理由として「カラオケ行こ」しか持たないふたりにとって、ランチを食べようとか言う機会はなくて、さー(涙)とか考えると色々、胸がぎゅっとなるわけで……。歌われてるところ全部ぎゅってなるから、この尺で歌ってくれて本当にありがとうの気持ちが大きい……。

・あと、シナリオブック読んで あ、本来この通りならルビーの指環歌われてなかったんだな……と知って、いや、歌ってくれてありがとう……の気持ちでいっぱいになった。

・映画を改めて見ると、初対面の時の狂児って本当に全然可愛げとか一切無いことに驚いてしまうよな。普通にめちゃくちゃ怖いヤクザのおじさんで、聡実くんに対しても同情を誘う素振りをしながらもまず恐怖でとらえて逃がさんようにしてるふうに思える。それがどんどん会う日々を重ねていくにつれて優しげでお茶目な印象が増えていって……。
 聡実くんから見て印象が和らいでいったという様にも見えるし、狂児自身が情を持たせる為のアプローチを変え始めた(人の心の掴み方を分かりすぎ……)ともとれるし、アプローチとか云々でなく純粋に狂児からしても聡実くんに対しての思うところが変わっていったのも見えるし……。
 なんか、そういうことを考える度に いや、綾野剛の……演じる役柄の見せ方が上手すぎて震えてしまうんだよな、こんなん。だってもうなんか若返ってるもんな、狂児。途中から若返ってないか?狂児。最初がめちゃくちゃ得体の知れないおじさんすぎて……。額の印象とかが全然違くって、それすら含めてもう全てが成田狂児という男の見せ方なのかと思うと 役者ってすげ~よ……。
 「聡実くんから見た狂児の印象が和らいでいっている」ということを、"成田狂児という役柄の演技"で見せるのって凄くないですか。自分をどう見せるかを超えて、他の人から見た自分がどう見えているのかを さらに他の人間に見せる、みたいな……。"狂児自身の変化"ではなくて、"聡実くんが持つ狂児の印象の変化"を "成田狂児を演じること"によって見せる、凄すぎて言葉で全然言い表せられないんだが…………。

・聡実くんの紅を隠れて聴いてる狂児が、胸を打たれたような……どこか驚きのような、なんていうのかな、そういうものを含むような表情をしたあと、少し 嬉しそうに口角が動くのが さ~~~………本当に好きだ……。

・あのカラオケ大会本番での設備がどうなってたか知らんけど(大集合カラオケで皆がなんか前に置かれた画面を見てたっぽいのと同じように、歌詞を確認できるものが置いてあった?)、少なくともうたってる様子からして 聡実くんが紅を歌う時、全然歌詞とか確認してないのがさ………それでも全部覚えているのがさ……あ~~~………刻み込まれていて………というのを感じて………。
→これを書いた翌日改めて見たらやはりちゃんと歌詞が確認出来るようの画面スタンドの様なものがあったが、聡実くんがそれを確認してる様子はもちろん無いから嗚呼…………(涙)
 紅を頭の中で再生する度、聡実くんの歌う「(もう二度と)届かない」の音の乱れ方を思い出す。

・最初の頃の感想とかで 映画の狂児のことを「綾野剛演じる成田狂児」という言い方をしていたんだけど、今はもうすんなりと「狂児」と呼ぶことが出来ていて、なんというか、繰り返す度に画面の中のそのひとのことを「綾野剛」から「成田狂児」として自然に捉えるようになっていて、自分の中のその意識に気づいて面白いなと思った。
 他の俳優さんのことをあまり知らなかった(私が普段メディアに触れていない)中で、特別 俳優さん自身のイメージを持っていた綾野剛さんをどこか「綾野剛」として見ていた節があったけれど、見重ねていくうちに、うちに……あ〜〜〜〜〜〜〜………狂児………。
 逆に、齋藤潤さん演じる岡聡実くんに対してどこか「齋藤潤」という役者への意識を持つようになったな。特に齋藤潤さんについて知っているとか、他の演技も見たとかでは無いけれど、なんとなく……。

・シナリオブックとか見て思うのが、なんか、ももちゃん先生がどこまでも ももちゃん先生で良かったな~ということで……。
 脚本だと岡くんの行動に対して少し目を向けるシーンがあったのが結果的に和田の役割になっていたりしたけど、なんか そういう風に……、ももちゃん先生が作中において大人という立場にありながら堅苦しくなくて、ずっと ふわっと気を楽にさせる存在でいてくれたのが 凄く良かったな……。もちろん岡くんの不調とかもちゃんと気づいていて、変声期だと把握して、それでも干渉しすぎずに優しく見守るスタンスでいてくれて……。
 なんか合唱部の人達がみんな本当に良い人なんだよなーということを考える度、聡実くんの青春の一部が成田狂児に捧げられたことに対して様々な感情になってしまう………。色々相談したら親身になってくれる大人も仲間も居ただろうに………でも相談できない部分も中学三年生のリアルだし、そこに急に現れた自分とは違う世界を見ている大人という存在が良くも悪くも大きくて……(涙) 成田狂児とかいう罪……。

・ハア(涙)映画(涙)とか思いながら今原作少し読み返したら読み始めた時の印象よりもなんか え?この漫画好きすぎるかもな……の気持ちになった。
 これ、原作と映画を見比べても面白いし、映画と脚本を見比べても面白いし、原作と脚本を見比べても面白いんだろうな。映画を何回も見ても色んな部分に目がいって色んな事を感じさせられるな……と思ったけど、さらにいろんな視点でこの世界を見チャンスが沢山あって凄い。

・聡実くんの部屋割とごちゃごちゃ物置いてんの可愛すぎる

・最初の狂児の「カラオケ行こ!」のシーン、階段という場故に身長差がそれで埋まって、同じ高さで視線があってしまうの、より 逃げられなさのそれすぎて好きだ……。物理的なものじゃなくて、圧の雰囲気で逃げられなくしてるのがめ~ちゃ怖くて……その怖さが良すぎる。
 視線の高さの話をすると、傘を返してあげるところとか~好きだな……。別にそこに狂児の何かしらの意図とかは無いと思うけど、下から見上げる構図で傘を返してあげる、というのがどこまでもちゃんと優しさの印象を持つそれで、逃がさないという圧が無いからこそ狂児の「待ってる」に対しての聡実くんの揺らぎというか、行動の意味がさ~……狂児がしつこいから渋々のそれだけど、狂児が怖いから逆らえないのそれとはまた違くて……。実際そのシーンの狂児が優しいよね、という話ではなくて、そういう風に見せるように振る舞うという部分の上手さが、成田狂児という男の狡い所で……。
 ヤクザとしてやっていけるということは恐怖や威圧感を与えることで人の行動などをコントロールすることも出来るし、それでいてヒモとして生きていけたということは愛嬌や親しみの振る舞いで人から施しを受けられる様な愛されるのが上手い一面もあって、そういうもの全てを上手く扱える部分とか、「狂児」という狂った歯車を背負って生きてきたこととかの全部を考えて、狂児…………。
 狂児のLINEの登録名が「成田」な所とか、ヤクザの面々の中に彼を「狂児」と呼ぶ人がおそらく居ない所とか、成田狂児という名前についてめちゃくちゃに考えてしまうんですが………。

・狂児が傘持って学校に来た日の「今日は部活は休みです」「ふぅ~ん…… (合唱が聴こえる)…あ、嘘ついた」のところの聡実くんの立ち姿、きゅっと伸びた背筋や身体にぴったりと沿う腕、緊張しているように 恐怖を紛らわすなのか どうなのか 落ち着かなさそうに動く手の感じ、の 全部が………好きで……。役者さんって、すげ~~………ということを思わされ続けている。



なぜ何回も同じ映画を見るのか、ということについて考えるのだけど、「見ているのが同じ映像だとしても、見る側の持つ視点は都度変わっていくから」が現状答えだなあと思う。
原作を読んでいる読んでない、他の情報を入れている入れていない で、ものの見方や注目する箇所が変わるし、例えば 聡実くんの「声が汚いです」「うるさいです」「カスです」の怒涛の評価の時とか、隣の狂児はどんな顔してるの?とか、同じ画面でも目を向けたい部分は沢山あるし。
まだこの作品を見るにあたって巻き戻しも一時停止も出来ない環境の中で、どうにか少しでも自分の目で捉えて知りたい、気づきたい、記憶していたいことがたくさんあって、だから、何度観ても楽しい。
それでいて、何度だって面白いシーンで新鮮に笑えるし、何度だって歌声に心を打たれる。今、人生でかけがえのない経験していると感じている。今日も本当に楽しかったです。最高の映画。全然まだこれからも観賞予定増える余地があります。BESTIAでも見てみたい。


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