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僕が”戦術クラスタ”から一歩退いた理由

どうも、でーさんです。

色々あって削除したnoteアカウントですが、今回きまぐれで復活させることにしました。以前から知っていた方はお久しぶりです。またよろしくお願いします。

さて、今回は「戦術クラスタ」というタイトルを付けさせていただきましたが、そんな大それたものではなく、ただ単にかつて「戦術クラスタ」でバリバリやってた自分が一歩退いた過程とか界隈についての見解みたいなものを書いていって、今自分が思うところをお伝えできればいいかなって気持ちです。ちなみに最初に言っとくと、こき下ろす意図はないということだけご理解いただけますようお願いいたします。むしろ戦術クラスタの端くれだからこそ書きたいというか、書けるのではないかと思い執筆しました。ちょっと長くなりますがお付き合いください。

戦術クラスタとは何か

そもそも、誰が最初に言い出したのかわからなさそうなサッカーにおける戦術クラスタとは何でしょうか?戦術というくらいですから、専門的というか堅苦しい印象はないでしょうか?

ちなみにウィキペディアでは…

戦術(せんじゅつ、英: tactics)は、作戦・戦闘において任務達成のために部隊・物資を効果的に配置・移動して戦闘力を運用する術である。そこから派生して言葉としては競技や経済・経営、討論・交渉などの競争における戦い方をも意味するようになる。理論的・学問的な側面を強調する場合は戦術学とも言う。

とされています。

そしてクラスタは…

クラスターないしクラスタ (cluster) は、英語の単語で、「房」「集団」「群れ」のこと。

としています。

これらを組み合わせると、

戦闘術を語る集団

とでも表現できますでしょうか。なんじゃこりゃwなんか堅苦しいかな。戦闘と言ってもサッカーというスポーツにおける戦闘ですから、いわゆる…

試合に勝つための方法を語り合う仲間

という言い方の方がやんわりとしてる気がします。

自分も戦術クラスタ

何を隠そう(別に隠してないが)自分もこの戦術クラスタの一員です。活動範囲は主にツイッターから始まり、趣味が高じてnoteでセレッソのマッチレビューを執筆し始めて、付いたnoteのフォロワーは数ヶ月で50以上行った記憶があります。

大した数字ではありませんが、昨日今日執筆を始めたズブの素人がサッカー(セレッソ)記事一本かつ短期間でフォロワーを募ることの難しさは戦術クラスタの方々なら共感していただけると思います。元々、承認欲求が強かった自分にとっては結果がついてきたこともあり、それなりの充実感もありました。

僕が書き始めた頃の戦術と言えばポジショナルプレーの概念が随分と体系化されて語られるようになって浸透してきた頃で、Jリーグ界隈に限定してもそれなりの数のプレビュー・レビュー記事を目にすることも多くなりました。自分はセレッソサポーターだったこともあり、セレッソのマッチレビューを主に執筆しツイッターでシェアをしていました。今では訳あって前アカウントを削除しており、マッチレビューを閲覧することはできません。

戦術を語る楽しさ

自分は執筆以前からサッカーにおける戦術が好きで、何が好きかと言えば、盤面におけるオフザボール一つにしても、そのやり方次第で格上にも対等以上に渡り合える可能性が出てくるってことで、それがワールドクラス相手でも良い試合ができる戦術を語ることに魅力と楽しさを感じていました。

そういう中で、サッカーにおける戦術に関して様々な知見のある方々が執筆される戦術記事を読んでいくうちに感銘を受け、自分もこういった記事を書いてみたいと思うようになったのがきっかけです。

執筆し始めた当時は何をどうしてどういう構成で記事を書けばいいのか皆目見当がつかず、右往左往の連続で最初は記事の閲覧数も著しくありませんでした。それが書いていくうちにコツみたいなものが掴めたのか、ある程度整理がついてくるようになり徐々に閲覧数、フォロワー数も伸びる傾向にありました。

当時書いていて楽しかったのは、サッカーの試合における事象で「なぜそうなったのか?」を突き詰めていくこと。

例えば、「このチームは非保持5バックなのに、やけに崩されてるな」って疑問を持った時に色々突き詰めていくと、「SBが引っ張り出された裏のスペース、またはCBがそこを埋めにくることにより発生するスペースを利用されていた」「SB-CBのニアゾーンなりポケットを使われていた」などがわかり、じゃあそこをどう対応なり修正を施していくのかの観察の楽しみも加わるので、持つ視点と意識次第で楽しみ方は多岐に渡る、というのが持論です。

また、こういった視点をツイッターなどで呟いてみることで様々な意見をいただいたり、共感してもらうことで、自分の新たな発見や自信にも繋がり、これからももっと戦術を語る路線でサッカーを楽しもうと思ったものです。

戦術を語る難しさ

僕が執筆当時から懸念していたことがありますが、それは「選手を攻撃してしまうこと」です。具体的に言えば…

・ミスした選手を延々と責める
・片方の選手を持ち上げ、もう片方の選手を落とす
・選手の評価の書き方に配慮がない
・論理的ではなく感情的に批判する
・気に入らない選手を使う監督も非難の対象にする  

などなど色々出てきます。個人的にはこれをやってしまった瞬間にその記事の信頼性は地に堕ちると言っても過言ではないと思っています。もっと言うと、読み手が「これを書いた人は選手を攻撃しているな」という類の不快感を抱くことが多くなるようであれば、それは書き手が悪いと思います。

読み手の読解力が足りないのでは?と言われる方もいるかもしれませんが、そこに配慮して記事を書いていた自分がそういった類のクレームを受けたことは一度もありません。クレームが来るのはなんだかんだ書き手の能力不足というのが個人的な見解です。

戦術記事というか、試合の分析をする以上ミスについて触れないわけにはいきませんが、こういった事態に陥らないように自分は執筆し始めた当初から表現や書き方に注意を払い、極力選手を責めない方向性で記事を書いてきたことにより、上述した通り「選手を攻撃している」というような形で記事を批判されたことは一度もありませんでした(完成度は別)。

あと、これは判断が難しいですが、戦術論を振り翳しすぎることで選手を駒扱いしてると言われることもあります。書き手にその気がなくても、選手を物みたいに考える評論家のように映ってしまうのでしょうか。もちろん記事を書く以上は選手の特長なりプレーを論理的に整理する必要はありますが、もしかしたら、これもそこに至るまでの過程の表現が良くない場合もあるのかもしれませんね。

一歩退いた視点で振り返る

ここまで自分の戦術観を書いてきたわけですが、今の自分はnoteをバリバリ書いていた戦術クラスタ時代からは一線を退いた格好になっています。ツイッターで時たま戦術語りをすることがありますが、以前のnoteアカウント削除に伴い、積み重ねてきたマッチレビュー記事も完全に消えました。なので、戦術を語る頻度としては確実に落ちています。

これはひとえに自分の考え方の原点回帰によるものが大きいです。どういうことかと言うと、サッカーの楽しみ方は戦術だけではなく、時には何も考えずに一喜一憂しながら試合を観たり好きなチームを応援するのもアリということで、サッカーを見始めた頃にのめり込む要因となったその応援という原点に自分を戻しましたよという話。

誤解されないように言っておくと、他人から自分の記事を揶揄されて嫌になったとか、批判されて恥ずかしくなったとか、そういう理由ではないです。ただ単に、自分がサッカーを楽しめる原点に立ち返ったことで、戦術的な概念だけがサッカー観ではないと気付いたわけです。もちろん、戦術的概念もサッカー観の一つですが。

正直に言えば、自分自身がこのまま好きな戦術の世界で生きていけるのかどうか悩みを感じていた部分はあります。僕は優秀な部類ではないので、マッチレビュー一本仕上げるのに丸一日費やすことも珍しくありませんでした。土曜日に試合があると次の日曜日は丸々潰れる計算になります。更にミッドウィークに試合がある場合は、平日仕事をこなしながらの執筆となるため、体力的に非常にきつかったのもあります。中途半端な記事を出したくなかったのもありますし。

と考えた時に色々整理してみると自分が執筆するレビュー記事は「誰かに頼まれたわけではなく、自分が好きでやってる」ということを思い出しました。要するに、自分がやりたいからやってるわけで、やるのもやらないのも自由。辞めたからといって誰かが困ることはないし、また別の人が記事を書いてくれることもある。であるならば、自分が無理して記事を書く必要もないし、記事を読む側教えてもらう側ただ純粋にサッカーを楽しむ側に回っても文句を言われる筋合いは何処にもないということです。

で、自分が好きでサッカーを楽しめるのは何も戦術だけではなく、元々贔屓チームを応援し始めたことからサッカーにのめり込んだのであれば、そこに回帰しても良し。戦術もいいけど、その時その時したいようにサッカーに関わるのが一番だと思い始め、そうであるなら一先ず自分を原点回帰させてみようとなりました。

昨今の戦術界隈について思うこと

ですが、実際評判はどうでしょう。そうですね。ツイッターで戦術クラスタと検索をかけてみてください。「言い方が鼻につく」「和式洋式うるさい」「選手を駒扱いしてる」「リスペクトが足りない」と平たく言うとこんな感じでしょうか。

正直なところ、一介の戦術クラスタからすれば耳が痛いと言わざるをえないです。個人的には記事を書く際、表現には気を付けてきたつもりですし、僕が敬愛する戦術記事を書く人達も例外ではないと思いますが、現にそういった批判を受けているようであれば、やはり表現に違和感があると思われてるのかなという気もしています。

ただ、サッカー戦術に限らず、何かを分析するということは文章に言い切りの表現だったり、疑問的批判的論理的な考え方が不可欠です。で、これらは実際目にした時に鼻につくことはありますが、論理を構成し何かしら結論を出すために必要な要素ですのである意味仕方がないことでもあります。

なので、ここを叱責されるのはちょっと可哀想かなという考えもあります。本来戦術を楽しむということはサッカーを楽しむということにも繋がるはずですので、批判されることを覚悟しているのはまだしも、それ(批判されること)が本意で書いている人はまずいないでしょう。

とはいえ、実際に好ましくない反応があるのも事実。こういった時によく言われるのが「戦術クラスタそのものが悪いのではなく、リスペクトを持たない人間が戦術クラスタをやっているのが問題」という論理ですが、これはある意味正しいとは思います。

戦術を語る目的は試合を分析したり疑問点不明点を解説により解き明かしていくことであり、選手等をこき下ろすことではないはずなので。それが反感を買ってしまうのは集団の問題よりも、それをしてしまう人自身の問題、という理屈はわかります。しかしながら、戦術クラスタである自分自身を振り返ってみても「目立たないだけで、自分も多かれ少なかれ反感を買っている可能性」も否定できません。まぁそんなことを言い出したらキリがないんですけどね。

と考えた時に、僕個人の見解としては「そういった評価を受けるのはある意味仕方がないこと」に留意する必要もあるのかな、となります。弾撃っていいのは撃たれる覚悟のある奴だけ…とまでは言いませんが、ある対象を批評するということは自らも批評される対象になりえます。表現や書き方に細心の注意を払うことで不毛な批判を躱すことはできますが、完全に排除するのは不可能。読み手の受け取り方もあるので、それが100%間違いとまでは言えない限りは、やはり至らないところはあるのかなという風に思います。

戦術クラスタはある意味このままで良い

ということ。要するに「別に変わらなくていいよ」なんですね。僕個人が「変わるべき!」というのも傲慢なわけですし、書きたい人が書きたいようにすればいいことです。それによって批判を受けるのは自己責任ですが、それを承知でクオリティを追求していくのは、そこまで悪いことではないように思います。ただ、完成度が追いついていないようであれば、こき下ろされることも当然あります。

ツイッターを見てると、一部の戦術クラスタとそうでない方々との溝は深いかな?という印象ですが、これを無理に埋めようとしなくても、書き手は書き手でブレることなくクオリティを高めていって、読み手は読み物を選べるわけですから、不快なものは個人の判断で排除して読まなければいいだけなので。そういった意味では読み手も不毛な批判をしていないか考える必要はあるかもしれませんね。

ただ、僕自身は批判されるのは嫌というわけではないですが、戦術だけじゃないサッカーの楽しみ方も思い出したので、取り敢えずこっちの路線で楽しんで戦術は語りたい時に語るのが個人的には1番かなって気がしています。戦術クラスタ完全引退ではないので、また気が向いたらnoteにでもつらつらと何かしら書くかもしれません。一先ず僕は当分無理をせず肩肘張らずサッカーを楽しもうと思っていますってことですね。 

なので、結論としてはお互い溝が発生するのは供給側と消費する側の関係なので「ある意味宿命だよ仕方ないよ」「別に変わる必要ないけど批判が嫌なら配慮しようね」なんですね。

当記事執筆にあたり

なんでこんな記事を突然書いたのか?ってことですよね。何故かって言われたら、単純に「戦術クラスタ何かと言われがちだけど実際のところどうよ?」って興味本位から自分の思考を整理してみようと思ったのがきっかけです。一応自分も戦術クラスタの端くれですし、色々と思うところもありましたので、今回したためた次第です。

サッカーにおける戦術論というものは、本来サッカーをわかりやすく解明してくれるツールでもありますし、論理的にサッカーを観る楽しさの一面にもなりえます。一方で、振り翳しすぎる(理屈をこねくり回す)と反発を招きかねないスタイルでもあります。昨今、戦術クラスタと呼ばれる方々が批判を受けているのはその性質上やむをえない面もありつつ、相容れない溝があるのは何とももどかしいなと。ルール違反をしているわけではないんですけどね。

この記事は正直言って毒にも薬にもならないものですが、勘違いしないでいただきたいのは戦術を語る方々を「戦術クラスタ」というネットスラング?的な表現で一律にこき下ろす意図はないということです。お互い言い分としては理解できるので。ただ、今の自分としては、また別のスタイルでサッカーを楽しんでますよってことです。あまりにも稚拙な批判を目にした際はこの限りではないかもしれませんがw

ですので、戦術を語る側も受け取る側もそんなに肩肘張らなくてもいいんじゃないでしょうか。そもそも、戦術クラスタ界隈でも意見の相違なんて普通にあるので、それ自体は大した問題じゃないような気もしますし。お互い仲良く適度に争うのが一番だと思います。

それでは今回はこの辺で。ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました。また、新たに記事を執筆した際は告知しますので。ではでは。

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