Noter support Anniversary, 3rd entry,Your majesty ひいろ The Scarlet Hero
こんにちは!
いつもフォロースキありがとうございます!
現在、4月の企画といたしましてNoter support Anniversaryを開催中です!
ひいろさんが企画参加してくださいました!
ご参加ありがとうございます!
ひいろさんの作品はこちらです!
音、光
感覚器官を通してこころや身体に働きかけるもの
これまでの経験から音や光はある周波数帯域をもってある程度の測定およびその分類が可能であることがわかっている。
音で言えば、ある周波数帯がひとの大多数にとってドの音として認識される。そこから周波数を少しずつ上げると音が高くなり、半音を超えて、その次のレの音を認識する。
光においては、色という概念で説明される。ある周波数帯域が大多数のひとにとって紫と認識される。紫から周波数が少しずつあがると、順に青、緑と認識され、そこにいたるまでにも多くの中間色が認識される。
観察を繰り返した結果、人の目や耳はそのように知覚するようになっているようだということがある程度わかっている。
本稿の要旨は、周波数そのものへの各種の詳細な科学的考察を行うことが目的ではありません。
ある周波数帯域では認識されるものやことが決まっていて、そこを外れると違うものやことに認識される若しくはまったく認識されないということについてお話ししたいと思います。
SEKAI NO OWARI さんの周波数
イメージとしては昔のラジオ放送の選局がわかりやすいかも知れません。ラジオ放送の利用している技術は電波によるものですが、これも一種の周波数の特性を利用したものです。 ある設定の数字で表される周波数で決まった局へ繋がったときだけ、番組の放送を鮮明に聞くことが出来、それ以外では聞くことが出来ません。
わたしが今よりもやや悲観的にものやことを捉えていたころに読んでいた本にも周波数ということばを織り込んだ作品がありました。感傷的ではありますが今でも好きな作品の一つです。
周波数の装置としての見方が伝える考え方は、発信側がある意図を持って伝えたいことがあったとして、受信側に同じ周波数を引き取る技術やその仕組みへの理解がなければうまく伝わらないもしくは届きすらしないということです。
そういった意味で、noteで知り合い、感じがいいなと思い思われる瞬間があるということ自体が、発信者受信者にとって普段なかなか機会のない自分の持つ感覚の共有や共感が見られたということであり。
お互いの持つ周波数があっているということだと思います。
そういった経験を日々積み重ね、ある事象に触れた時、こんな時あのnoterさんならどんな風に考えるだろうかと思えること。それを支えに今を受けとめることが出来ること。
お互いがお互いの小さなしかし得難い関係性を築いて行けることがnoteを少しづつでも続けていくこと、続けていたことの大切な意味なのではないかと感じています。
ひいろさんの綴ってくれたように、どんなひともいついつまでもnoteの世界の住人であるという確証はどこにもありません。そして、そのような確証など必要もないと感じています。
ある表現をnoteに残していった日々、表現をnoteから受け取った日々がセピア色のようになったとしても、そこで見てきた言葉や音、光が自身を助け、また輝かせるきっかけとなる瞬間が訪れた時、noteやそこで日々を過ごしたnoterの存在の大きさを鮮明に思い出すことが出来ると確信しています。
花や木を見てその逞しさと共にある美しさをまた思い出せるように。
ひいろさん企画への参加重ねてありがとうございます!
せっかくなので、日食なつこさんの音楽もひとつ置いておきましょう。
ひいろにはたくさんの意味や連想が込められています。
わたしなりのひいろさんとひいろさんの名前への感覚と考察もありますが、それはまた別の機会に。
それでは、よいお時間をお過ごしください!
EMDbot
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