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【ショートショート?】双葉

大きな水田に一人の老人がしゃがみこんでいる。彼の足元に広がるぬかるみには、美しい若草色の双葉が等間隔に植えられていた。それらは朝露を纏って、ときたま光の加減で宝石のように光り、老人の目をすぼめさせる。老人の隣には竹で編まれた籠が置いてあり、中には大量の灰色で生気を失った双葉が無造作に突っ込まれていた。
老人は双葉を抜いては籠に入れる作業を先程からずっと続けている。ぷちっ。ぷちっ。その、確実に命を奪う音を鳴らされた葉は茎から灰ざめていく。それを無造作に屍の山に重ねる。
太陽がギラギラと光る。田には遮るものはなにもないのだが、老人は汗の一粒もかかずに手を動かしている。
さて、いくらか時間が経ったとき、老人に陰が覆いかぶさった。振り返ると、若い女が籠を見て微笑んでいた。
「おや、赤谷のお嬢さん。どうしたんだね。」
老人はしゃがれを深く利かせた声を女に浴びせた。彼女は老人を横目で見ると、すぐに視線を双葉の山へと戻す。
「今日も豊作ですね。」
「ああ、最近の奴は根が張られてないし、茎もほっそいから摘みやすくてな。いい世になったもんだな。」
「ふーん…」
彼女は老人の話などには耳の穴の一割もくれず、視界の端にもくれず籠をじっと見ている。
「そんじゃ、今日はこのくらいにしようかのう。」
そう宣言し、老人は両手を膝において立ち上がった。籠を持とうと屈む。
その瞬間、女が動いた。素早く老人の横へと移動すると、右肩を思いっきり突き飛ばしたのだ。老人は抵抗できずに泥水へと体を突っ込んだ。女はそのまま老人の後頭部を両掌で掴むと、水へと押し付けた。息をしようともがくも、足枷は弱まらない。必死に上下していた手足も、必死に出ていた泡も、次第に弱くなっていった。
やがて、ピクリとも動かなくなってしまった老人から手を離し、パッパッと両手で泥を払う。ついでにさっきめちゃくちゃに掴んだ白ひげ根に唾を吐いた。彼女はにやりと口元を上げてウェーブした前髪を掻き上げる。
一連の動作を終えて、老人がしていたようにしゃがみ、籠を持つ。
「ふふ…こんだけ『夢』があれば、いくらでも…。」
恍惚とした表情で立ち上がる彼女。歩こうと右足を踏み出した瞬間、その足首に五本指が絡みついた。そのまま後ろに引っ張られ、泥水が飛び散る。美しい黒髪に泥が塗れ、その価値を失くす。彼女はなにが起こったのか把握しようと顔を上げるも、眼は再び泥を見た。水中から伸びてきた手が、彼女がついさっき老人にしたように、顔を泥中に押し込んだのだ。それも一本ではなく、二、三、四五六とどんどん群がっていく。女は為すすべなく、肺から空気が無くなっていくのを実感していた。意識もうつらうつら、もうだめかと諦めかけたその時、耳にしゃがれ声が届いた。

「因果応報、因果応報、因果応報…」

転がった籠から溢れた若葉が、水に沈み溶けていった。

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