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一緒にドーナツを食べよう、そして売ろう

見知らぬ他人と、共に働くという事について。


新たな職場で働く時、あなたはどんな心持ちで初日を迎えるだろうか。腰掛けのアルバイトなのか正社員として就職するのか、といった働く動機・理由によるだろうし、給料によって多少変わる部分もあると思う。
僕は、今日から新たな職場で働くという時には、いったん受身の姿勢を取る。着替える場所とかトイレとか、聞いておかないとまずいような事を説明されなかった場合には、こちらから質問したりするけれども、基本的には言われた事を聞き、ハイハイと言われた通りの動きをするマシーンだ。雑談や世間話なんてもってのほかで、その職場の雰囲気というのも掴めていないから、根暗でコミュ障気味の僕にとっては難しいし、第一そんな精神的余裕が無い事の方が多い。
何日か経って、やるべき事やこなさなければならない事が明確になってきたり、職場の雰囲気が掴めてきた段階で、僕は質問魔になる。とりあえず特定の何人かにターゲットを定め、仕事内容の質問をしたり、世間話をふっかけたりする事で、職場に馴染んでいこうとするフェーズだ。この段階では、基本的に上司や先輩は神のような存在で、優しくしてくれる人の方が多い。

ある程度仕事に慣れ、自分の立場というものが出来てくると、それまでは神のような存在であった、上司や先輩の良くない部分が見え隠れし始める。自分の手柄を増やすのに必死な人、ミスを部下のせいにする人、失敗ばかりでうだつの上がらない人。職場には色々な人がいるのであり、それぞれ育った環境も生まれ持った性質も違うのだから、このようなマイナスの多様性は当たり前に、どこにでも存在する。
この状況を認識した時に人はストレスを感じ、「職場の人間関係」を原因として、仕事を辞めたり辞めなかったりする。離職理由に関する調査はいろいろなところから出ているけれど、「人間関係」はどの調査でも1〜3位ほどにランクインしている。もしその仕事を継続したとしても、昇格や異動などの人事調整が無い限りは、大きく改善させる事は難しいと思う。

なぜなら、人間関係に起因するストレスは、二つの条件が揃った場合にのみ影響を与えるからだ。一つは、ストレッサー(ストレスを与える人)の存在。もう一つは、ストレスを受け取る人の存在。つまり、あくまでストレッサーとストレスを受け取る人の相互関係によって、ストレスは発生するという事だ。
何が言いたいかというと、ストレッサーの存在だけでは、ストレスが発生する十分条件にはならない、という事実だ。現に、ストレッサーと共にそれまで働いていた人がいるわけだし、ストレスを感じにくい人は、ストレッサーからストレスを受け取らずに、やり過ごす事ができる。ストレスを感じやすい・受け取りやすい人が、ストレッサーの言動に晒される事で、初めてストレスが発生する、という図式が見えてきた。

人と人が関わり合いになる以上、軋轢は避けられない。それなのに、僕らは一緒に働くことでしか生きられない。社会的環境が、一人きりで生きる事を許してくれないからだ。
そもそも働く、ってどういう事だろうか。働く、という言葉を労働という言葉に置き換えてみる。

労働を取り巻く思想は、意外と古くから、しかも数多くある。古代ギリシアでは、労働は苦役であり卑賤であると考えられていたけど、中世ヨーロッパでは一転して、禁欲主義による労働賛美が唱えられた。その後、資本主義が形成されるにつれ、ウェーバーやマルクスのような思想家が登場してきて、労働は人間本性の発露である、とする主張が受け入れられていった。日本における労働観は、基本的に儒教や仏教の影響下にあり、人の助けになる事を進んで行うべきである、というのが中心思想だった。
もっと素朴に考えてみよう。現代においても、狩りを生業とするマタギと呼ばれる人々がいるのだから、狩りをして暮らしていた猿人も、また働いていたと言える。動物はどうだろうか。動物はみんながみんな狩りをする訳ではないけれど、縄張りを作ったり守ったり、木の実を蓄えたり、寝床を確保したりする種がほとんどなわけで、家を建て、食べ物を確保し、着る物を用意する、僕らとやっている事はそう変わらない。動物でさえ、働いていると言えるのだ。
これらに共通する概念を抽出するならば、生存する為に必要な行動を、労働と呼ぶのではないだろうか。

ここに、現代の特殊な事情がある気がしている。狩りであろうと商売であろうと、労働は基本的に一人か少人数で行われてきた。宗教的な集団や、家族経営の商売、小規模なギルドは存在したけれど、効率や生産性を上げる為に工場・会社を設立し、巨大な組織の中で分業・協業する仕組みができたは16世紀半ばと、割と最近だ。十数人〜何百人もの見知らぬ他人と、同じ部屋・同じ建物・同じネットワーク上で働くというのは、現代ならではの特徴という事になると思う。
とすると、僕たちのように、見知らぬ人たちと共に働くということは、少なくとも自然な事ではない。つまり、今までの労働観だけでは十分ではなく、また一味違った見方をする必要があるのではないだろうか。

毎日同じ時間に出勤し、1分でも遅刻する事は許されず、コミュニケーションエラーが毎日のように起こり、理解できない他人と協力しなければならず、報酬の発生しない残業を強いられ、自分が優秀であろうとそうでなかろうと、給料は同僚と一緒で微々たるもの。貯蓄も思うようにいかず、人生の計画は遅々として進まないのに、崩壊寸前の制度である年金や高すぎる住民税だけは、毎月律儀に天引きされていく。
ワークライフバランス。ノマドワーカー。フリーランス。ネットビジネス。在宅ワーク。ニューノーマル。私らしいはたらき方。
日本の労働環境においては未だに前者が主流であり、後者のような新しい働き方を選択できるのは、環境に適応できた一部の人たちだけだろう。
僕らは、働かないと生きていけない。けれども、他者とともに働くとき、基本的には苦痛を伴う。仕事を変えたり、働かずに生きる手段を見つける以外に、この苦痛をやわらげる方法は無いのだろうか。

共に働くという事は、共に何かを生み出す、という事に他ならない。価値を生み出す、という事がベンチャー系などでよく言われるし、他にも言葉通りの意味で食糧を生み出したり、例えばお医者さんは患者さんの健康を生み出している、という捉え方もできるだろう。
僕が他人と働くうえで大切だと思う事は、生み出すものに対する価値観を共有する事だ。これはすなわち、唯一みんなが共有する事のできる、働く意義であると言い換える事もできる。自分がその価値に納得する事さえできれば、何か問題が発生したとしても、他者との違いを受け止められるのではないだろうか。
僕が昔ドーナツ屋さんで働いていた時、冗談抜きで職場の人たち全員がドーナツ大好き人間で、自分たちが大好きなドーナツを作って販売する、その事自体に働く事の楽しさを見出していた。見知らぬ人が集まっているのだから、当然性質的に合わない人もいたけれど、ドーナツという共通の価値をみんなが持っていたから、仕事上ですれ違う事は無かったし、仕事のクオリティを追及する事ができ、そしてそれで十分だった。

この認識に隠れているのは、「足るを知る」という概念だ。生み出すものに対する価値観を共有できれば、それで十分。他者に対する不満の種はまだ眠っているけれど、その全てに納得がいっており、受け入れる事ができている。そもそも、全ての問題を解決し、完璧にクリーンな環境にする事などはじめから不可能なのだ。
ややペシミズム、あるいは諦観。長々と書いてきた割には、結論は「諦めろ」か、という内なる声が聞こえてくるけれども、僕はこういう思考に至ってからは、職場でストレスを受ける事は無くなった。長い時間を共に過ごしていたとしても、他人は他人。他人には他人の考え方や価値観があり、たまたまそれが噛み合わなかっただけなのだ。けれど、今のこの職場にいるみんな本が好きで、本を売るために働いている。本を売るという理念が共有できているのなら、それで良いのではないか、そう思えるようになったのだ。

例えば、何を生み出すかなどどうでも良くて、出世にしか興味が無い人間、立場が下の者をいじめる事でしか、自分を肯定できない人間というのもいると思う。そういう場合にはどうするか。現実的な対応としては「距離を取る」、もしくは「その職場を去る」というところに落ち着くと思う。けれど、それではこの記事を書いている甲斐がない。
僕が思うに、そういう人は単に不器用というか、心的能力やストレス耐性が低い故に、そのような行動しか取れないのだと思う。端的に言えば、余裕が無いのだ。目先の利益や自分の立場の保持に精一杯で、生み出すものの価値どころではないという状態。だから僕は、そういう人だけは自分の身内や、大切な人だと思い込むようにしている。心に闇を抱えた身内が、同じ会社で働いていたら、あなたはその人をサポートしたり、逆に周りの人が被害を受けないように、苦心したりするのではないだろうか。
僕は現にそうしているのだけれど、こういう人はけっこう中間管理職に多い。上司からは理不尽に詰められるけれども、部下は複雑な事情など何も理解せず、自分勝手な要求ばかりしてくるという、地獄のような立場。そのような立場と余裕の無さを理解し、サポートしながら、周囲が不快な思いをしないように立ち回っている。それ自体が上手くいっているかは分からないけど、こうした姿勢は上司の理解を得られたようで、業界内では比較的早く昇進させてもらっている。
なんだか媚を売っているようで、けっして自慢できる話では無いけれど、一見貧乏くじに見える働き方でも、思わぬリターンがあったりするのが、他者と働く事の面白さではないだろうか。

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