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美味いコロッケそばの話をしよう。-2.あじさい茶屋-

率直に言って、僕は食にあまり興味がない。

仕事が忙しかったり、ゲームや読書など何か夢中になっているものがあるときは、食べるのが面倒くさくて一日一食になることもよくある。

だから飲食店の行列に並ぶのも嫌いだし、何なら食事の為にわざわざ外出するのも嫌いだ。
家での食事なら食べながら作業もできるが、外食は食事以外のことができない。それがストレスなのだ。

当然、外出中に街で食事をするときも、行列が出来ていないだけでなく、店内が空いていて料理の提供の早そうな店を選ぶことが多い。

つまり、立ち食いそば屋だ。

鶯谷駅改札内の立ち食いそば「あじさい茶屋」

JR鶯谷駅の改札内、南口側の通路沿いにあるのが、あじさい茶屋だ。

駅構内というのは、立ち食いそば屋のメッカだ。
どこかへの移動中、さっと立ち寄って小腹を満たすのに、立ち食いそば屋ほど打ってつけの場所はないだろう。

なにせ時間が限られるなかで食事をとるには、提供が早いほうがいい。
しかもそばなら食べるのに時間もかからない。
そしてそばと言えば誰もが知るポピュラーな料理だから、注文して何が出てくるか予想は簡単だし、通りすがりで初めての店に入ってハズレを引くことも少ない。

立ち食いそば屋とは、いつどこで出会っても安心して入れる、僕のような横着者にとってはセーフハウスと言える場所なのだ。

今回のあじさい茶屋は、平日は18時、土日は17時で閉店してしまうので、いつも閉店している姿しか見たことがなかった店だ。
何度も店の前を通り過ぎたことはあったが、なかなか入る機会はなかった。

その日はちょうど所用を済ませて帰る途中に、鶯谷駅を利用した。
土曜の日中だったので、あじさい茶屋も営業していたのだが、なんだかんだで営業中のこの店を見たのは初めてだ。

パッと見の印象は、よくある駅構内の立ち食いそば屋だ。
それ以上の感想が出てこない。
店の前に掲示されているメニューを見たが、どうやらおすすめメニューのみを記載しているらしく、コロッケそばがあるのかどうかはよくわからなかった。

自動ドア越しに店内の様子を見ると、カウンターの椅子席に年配の男性が一人座っているのがわかる。
2階席があるらしく、若い男性が階段から下りてきて、店を出ていった。

せっかく営業中に通りがかったんだし、入っておくか。
コロッケそばがなければ、そのときはそのときだ。

そんなつもりで僕が店内に入ろうとすると、ちょうど中年の男性が僕の前を通って店に入って行ったので、それに僕も続き、券売機の前に並ぶ。

前の中年男性が食券を買う間、改めて店内を見渡してみると、奥のカウンター席に若いスーツ姿の男性が一人と、中年の女性が一人座っているのがわかった。

店内は割と余裕のある広さで、一階は入って左手に注文と食器返却口があるカウンターがあり、右手側が少し細長い飲食スペースとして広がっている。
飲食スペースは壁沿いに三方にカウンターテーブルが設置されており、客は壁に向かってそばを啜るような恰好だ。

二階席は見ていないのでどうなっているかわからないが、後でネットで店内写真を調べたら、どうやら2人以上で利用できるテーブル席もあるようだった。

前の男性が食券を買い終わったので、券売機の前に立ってメニューを見ると、ちゃんとコロッケそばがある。
コロッケそば、380円。まあまあ平均的な価格だろう。

食券を購入して注文カウンターに出すと、40代くらいの女性が一人で対応していた。
僕の前に食券を買った男性と、あともう一人料理待ちの若い男性がいたので、僕は3番目ということのようだ。
もっとも、立ち食いそば屋において3人程度の順番待ちは、あってないようなものだ。
先にカウンターに座ってお冷でも飲みつつ待つという手もなくはないが、どうしようか迷っている間に最初の若い男性の料理が出てくる。

かき揚げ天玉そば、だそうだ。
かき揚げと生卵とネギが乗っているのが見えた。
なかなか美味そうだが、かき揚げと生卵をどのようにそばと合わせて食べるか、腕を問われそうなメニューだ。

次に、僕の前の男性の料理が出てきて、かき揚げそばとカレーライスのセットを受け取って行った。

それからすぐに、コロッケそばが出てくる。僕の番だ。

白い丼のおかげでそばつゆが澄み渡って見える。
コロッケとネギだけが乗った、とてもシンプルなコロッケそばだ。
いいじゃないか、美味いコロッケそばは大抵見た目からして美しいのだ。

受け取ったコロッケそばのトレーを、一階の奥の方のカウンター席まで運ぶ。
隣には誰もいない。目の前は壁だ。
これぞ立ち食いそばを啜るにあたってのベストポジションと言えるだろう。

元々は立ち食い用のカウンターだったのか、やけに高いテーブルに合わせて設置された、やけに高い椅子に登るようにして腰かけ、早速そばを手繰る。

口内に滑り込んでくるそばは滑らかで、とても喉越しが良い。
プツプツとした噛み切る食感がしっかりあるタイプの麺だ。
立ち食いそば屋のそばとしては上々のクオリティだと思う。

そしてそばの食感よりも驚いたのは、つゆの絶妙なバランスだ。
しょっぱ過ぎず、酸味も目立たず、出汁の味も独り歩きしない、すごく微妙な均衡を保っている。

率直に、立ち食いそば屋のそばつゆとしてはかなりハイレベルなのではないかと思った。
普通にしっかりしたそば屋でこのつゆが出て来ても、全然違和感はないどころか、素直にこの美味さに感心するだろう。

しょっぱさが控えめになると酸味が目立ち、そばを啜ったときにつゆの味の印象が弱くなってしまいがちだが、そこを出汁の力強さでがっちりフォローしている。

こいつは予想外に美味いぞ……。

思わぬ出会いに一人頷きながら、次はコロッケを割る。

あじさい茶屋のコロッケは、じゃがいもとひき肉が混じったタイプだ。
断面から小粒のひき肉が顔を覗かせている。
じゃがいもの中に濃い茶色の粉末が混ざっているように見えるのは、おそらく胡椒だろう。

ひき肉入りコロッケの場合、大体胡椒が入っていることが多い気がする。
個人的に、胡椒の風味とそばはあまり合わないと思っているのだが、胡椒を入れないとひき肉の臭みが目立ってしまうのだろうか。

その辺の定石はわからないが、いつもなら少し気になってしまう胡椒の風味も、この逞しいつゆがどっしり受け止めてくれるおかげであまり気にならない。
美味いつゆが染み込んだコロッケは、美味い。
それが自然の摂理なのだ。

コロッケの揚げ衣の香りや、つゆを含んだジャガイモが口の中で溶けていく感触、喉越しの良いそばを頬張って咀嚼する満足感。
そういったものを堪能しつつ、あっという間に一杯平らげてしまった。

まさかこんなに好みのコロッケそばが待っているとは、もっと早く立ち寄るべきだった……。

そんな風にも思ったが、なかなか営業時間中に通りかかる機会がなかったのだから仕方がない。
そして、今後も滅多に立ち寄ることが出来なさそうなのが非常に残念だ。

次の機会があればまた寄ろうと決めて、僕は食器を返却して店を出た。
店から出るときに、入って来た客がかき揚げそばの食券を購入しているのが目に入る。

やっぱり、そばと言えば「そういうの」だよな。

でも、僕はコロッケそばが好きだ。
このあじさい茶屋のコロッケそばも好きになった。

このコロッケを単品で、普通のお惣菜として食べても十分に美味しいだろう。
だが、それをそばに乗せて、つゆに浸しながら一緒に食べれば、その何倍も美味しいだろうと僕は思う。

コロッケそばの美味さは、コロッケとそば、それぞれが持つ美味さの総和を上回る。
1+1が2以上になるなんて奇跡は、案外身近なところで体験できるのだ。

例えば、そばにコロッケを乗せるだけでいい。

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