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『人の幸せを願い続ける』

No.1

濱口秀昭はま ぐち ひで あき神父

サレジオ会日本管区 管区長

カトリックの信仰を土台に自分を活かし、
神と人のために尽くす人生を送る人々がいる。サレジオ会員たちもそうだ。
"人間"としてのサレジオ会員たちに
"人生"を伺ってきた。


スポーツがお好きだと伺っていますが?

今はできなくなったね。
23歳の時にサッカーで膝を痛めて、その後も3度怪我をして膝を手術したので。若者たちと遊びたかったんだよね。
45〜46歳まではスポーツをしていたけど、続けていると今後歩けなくなる可能性があるってことで、やらなくなった。
今、歩けているのは、サプリメントのおかげかな。じゃなかったら、今では車椅子に乗っていたかもしれない。
おかげで痛みを負っている人の気持ちが少しわかるようになったよ。「人の痛みを知りなさい」という神様からのサインかなと。
でも、動きたい気持ちは無くならないよ。調布で養成担当だった時、神学生たちがスポーツしている時、黙って見ているのが辛くて、その場にいられなかった。「申し訳ない」と思いながら、その場を離れていた。
今はじっと見てられる。歳とったんだなあって思う(笑)。

スポーツ観戦はされますか?

スポーツはなんでも好きかな。特に球技は。時々は見てるね。テニスはやったことがないからあんまり興味ないかな(笑)。

好きで続けていることはありますか?

山歩きはやってた。過去形だけど(笑)。
児童養護施設で働いていた時も職員や子どもたちを連れて行っていました。白馬とか穂高とか、近いところだと鳳凰三山ほうおうさんざんとかね。
楽したいときは木曽駒ヶ岳きそこまがたけとか宝剣岳ほうけんだけとか。日帰りでも行ける。
中学生3人ぐらい槍ヶ岳に連れて行った時は、二晩、槍ヶ岳の肩のところにテント張って、前線(寒・暖二つの気団が地表面で接触する線)が通過するのを待ったこともあった。
でも、そういうのも全部置きました。膝が悪いんで。道具も処分しました。今あるのはちっちゃなザックぐらいで。ハイキングも今はほとんどしてないね。怪我をしないってことが一番いいですよ。
ありがたいことに、今はユーチューブでいろんな山に登っているのを中継している人がいっぱいいるので、それを見てます。でも険しいところを動画で見るより、自分で登ってる時の方が怖くないね。山もいいし、海も好きだね。

泳ぐのは得意ですか?

競泳はできないけど、長くプカプカ浮いてるのはね。子どもの頃、海で育ったので。

生まれ故郷はどこですか?

長崎県の佐世保市。佐世保市といっても超田舎。海まで歩いて1〜2分ぐらいで行けるような海岸で育ったので。
小学校に入る前はほとんど私の遊び場は海でしたね。潜るとサザエとか獲れるんで。潮の引き始めに海に入って、満ちる前に上がってくる。小さな船とかで。友達とよく遊びに行ってました。友達と言っても、年齢は幅広く、小・中学生で一緒に行ったり、田舎だから、広い地域のお姉ちゃんお兄ちゃんと一緒に海に行ってましたね。

今でも好きな食べ物は?

新鮮な魚はいいですね。昨日、一昨日は長崎のいとこのところで、いとこが揚げてくれた美味しいアジを食べました。本当に美味しかったね。
近海物が好きだね。むしろマグロとかには全然興味ない(笑)。イワシも新鮮だと刺身を酢味噌で食べるのがいいね。魚は好きか?って聞かれるんだけど、「新鮮な」をいつも付けてる(笑)。「新鮮な」を付けると、「あなたの要求は高い」って言われる(笑)。

長崎は好きですか?

たまに帰るのはいいね。あそこで仕事しろって言われたらキツイけど(笑)。

九州のサレジオ会支部にいらっしゃったことは?

ない。私は小平サレジオが長く、川崎(旧サレジオ小神学校)に1年、調布のサレジオ神学院には神学生の時と、司祭になってからは、2010年に2〜3か月いて。その後、半年くらい外国に行った。戻った後イスラエルに1か月半くらい行かせてもらったんだけど、当時のチプリアニ管区長からメールがあって、「今度調布に行ってくれない?」と言われた。「ノー」とは言えないじゃない。1年間も休みもらったんで。「はーい、分かりました」って返事して。そしたら調布の副院長で入って、翌年院長にさせられたんですよ(笑)。私なんか絶対調布に戻る人間じゃないと思ってた。優秀な人は他にいっぱいいたから。
もちろん管区長になるなんて夢にも思っていなかった。山野内前管区長から言われて、4月に目黒支部の院長になったかと思ったら、6月に管区長に任命された。3か月も目黒の院長務まってない(笑)。

上長の任命に「いやだっ!」て言う会員はいるんですか?

そりゃ、いるよ(笑)!
管区長任命を受ける時、フェルナンデス現総長から電話があったんですよ。当時地域顧問だったクレメンテ神父様から「何十分後に総長から連絡があるから」って連絡があって。総長から「一日考えてもいいから」って言われた。
自分の拙い英語で「1日また苦しむっていうことですか。私、1日も苦しみたくないので、受け入れます」って、すごいシンプルでしょ(笑)。誰かが受けなければいけないし、自分が何かできるってわけではなくって、これだけ優秀な人たちがサレジオ会にはいるじゃない。彼らが働けるようにしていけば、それで何とかなるんじゃないかなって。
それで5年なんとかなってるんで。できることできないことはっきりしてるしね。

そうですね。僕ももういい年なので、よく分かります。

あれ、3つくらい違ってたっけ(笑)。なんてね(笑)。
ちょうど私が川崎の小神学校にいた時、当時の高校3年と一回り(12年)違いだったかな。

私も中学一年生の時、濱口神父様と一緒に山に登ったのを覚えています。

そうね。あの時、もう二度と連れていきたくないって思ったのは戸隠山とがくしやまだね。
蟻の門渡とわたりのあたりの鎖場、100〜200mあるか知らないけど、あそこだけで1時間半くらいかかったと記憶しているんだけど、あそこだけは連れていきたくないなって思いましたね。
引率って命預かるじゃない。何かあったらって考えるとね。

自然相手だと先が読めないですからね。

読めない。ちょっとでも雨が降ったり、霧が掛かったりするとスリップする。ちょっとバランス崩して何十メートル落ちたら、もう命ないじゃないですか。引率する時は危険は絶えずあるよね。
中学1年生の子を連れて奥穂高行った時、奥穂小屋に降りるときに梯子があるんだけど、風で飛ばされそうになって、腕組みして降りてきたり、小学校6年生と一緒に五竜岳ごりゅうだけで鎖場を登ってる時に、雷が鳴って大雨が降って。「あっ!」って声が聞こえて後ろ振り向いたら、いないんだよ。幸い鎖握ったまま少し滑って降りてた。
中学生と一緒に黒岳とか節刀ヶ岳せっとうがたけとか行った時、「気をつけて通れよ」って言ってる間にストンとやぶに落ちてた。「何やってんだよ」て言いながら足引っ張って。今だから笑えるけど、あれで大怪我したり、死んでたら、今ここにいないよ。
海でもね、20年ぐらい前、トラック諸島(ミクロネシア連邦チューク州)連れて行った時、一番泳げる中学生が「ハマさん助けて〜」とか言ってて。冗談かと思ったら、足を攣ってた。しょうがないから下から潜って、岸まで上げたことある。
海では2回助けましたね。
もう一つは島根の隠岐おきの島で、釣りをしながら監視をしてた時に、岩場の間の40〜50メートルを何往復か泳いでた中学2年生が、「助けて〜」って言ってて、飛び込んで助けたよ。そう言うのは突然あるんですよ。海とか山とか、本当に帰り着くまで安心できない。
引率の時はいつも監視してたね。調布にいた時も、管区長になってからも。いつも桟橋の上にいて、いつでも飛び込める用意してた。あの時間が、水泳の時間が一番辛かったね。登山以上に水泳の時間が辛かった。子どもがみんなちゃんと上がってくるか心配だった。
でも、そのおかげで子どもたちとより近くなれるよね。

取材したサレジオ会日本管区の管区長館、管区長室の窓際で挿木されたコーヒーの葉。
新しい芽が出ている
この葉の元の木は、親類から贈られたものだそう。
濱口神父の自室にあり、2メートル近い高さに育っているという


子どもたちをまるで自分の事のように見守る時間が、
子どもたちの絆を深めているんだなあって感じます。

2か月前にかつての児童養護施設の子が訪ねてきてくれて、私を見つけた時、「ハマさ〜ん」ってハグしてきた。管区長館の庭でね。30歳に近い子がだよ。十何年会ってなかった子が。その子は5歳の時に虐待を受けてて入ってきたんだけど、すごく大事に関わったよね。施設に入る前に2か月入院してたから、私も関係を作ろうと思って見舞いに行ってた。一生懸命関わったよね。まあ、最初の方はすごい嫌がられたんだけど、だんだん寝る時にもそばにいて欲しいって感じで。ある程度子どもが寝たら、自分の部屋に行くんだけど、私の方が先に寝てたりして(笑)。ある時は「今日は随分温かいなあ」と思ったら、おねしょしてて、夜中に一緒にシャワー浴びたりね。
久しぶりに会って、そういう子どもの時の話を「してほしい」って言うから、したんだよね。そしたらすごい喜んでくれて。そこまで自分大切にされたんだっていうのをすごい感じてくれてて。これが本当にいいのかなあとは思うけど。私とは血のつながりがないじゃない。でも彼が自分が大切にされたっていう体験を経て、自分が受けた恩を老人福祉施設で働いて、その利用者に提供しているっていう話してくれたんですよ。
その子をフレンドホームのご夫婦に毎週預けてたんです。家庭体験に乏しいから。そのご夫婦も一緒に来てくれて。
幼児期から関わってくれたご夫婦を自分の親よりも本当の家族として大切に思ってて。そのご夫婦はその子の事をすごく熱心に忍耐強く色々とサポートしてくれて。それで今の自分があるって話してくれて。そして私に会いたいって、連れてきてくれたみたい。

愛情を注いでもらった経験が、大事なんですね。一方的ではなく、相互な愛情の経験が。
血のつながりとは別のものだと感じます。
濱口神父様はとても愛情深い人だと思います。

ドン・ボスコを知れば知るほど、より助けを必要とする人に関わっていかなきゃならない。子ども相手では特にね。
その想いがなんとなく分かってきたね。その想いがどこから来るのか? 結局は「イエス・キリスト」なんですよね。そのイエス・キリストが社会的に見捨てられ、除け者にされている人に積極的に関わっていく。皮膚病の人であったりね。ついには自分と一緒に十字架に架けられた犯罪人の声を受けて、救うわけじゃないですか。「今日あなたは私と共に楽園にいる」って。
本当にね、神という存在は、誰をも隔てることなく、求める人に対して愛情を注いでいるっていう。それを感じる時に、ドン・ボスコの生き方も分かるし。自分も可能であればそうしたいって思う。
ある神父から、
「あなたは司祭になった時、『児童養護施設で一生涯、生きる』って言ったよね」ってよく言われる。そういう覚悟でいたんだけれど、でも、たまたま四国に溝部司教様が行って、助けれくれって言われた時に、あぁ、これも助けないといけないのかなあって。それで当時野口神父様が施設長だったんで、二人しかいなかったんだけど、「溝部司教に呼ばれてるんだけど」って相談したら、「ここはなんとかなるから、神様が呼んでるんだろうから、行ってきたらいいよ」って言われて。それで行ったんだけどね。

どうして、溝部司教が声をかけたのが、濱口神父様だったのでしょうか?
「助けて欲しいって」って言える人が濱口神父しかいなかったのでは?

多分ね。まあ、私は神学院で働けるようなものじゃないし、施設で働いてきたから、何事にも人から信頼されるように育てられてきたっていうかね。一般の職員や、一番は子どもたちから。子どもたちは要求をいっぱいするじゃないですか。それに応えていく。時にはガツンと怒りたくなる時もあるけど、それをいくつも経ながら、ある意味育てられていくんですよ。親もそうだと思うけど。いろんな人を介して育てられてきたのかな。司祭叙階十数年を経てね。

神学生時代、溝部司教が院長だったから、そういうつながりもあってこいつはこの分野で働いてくれるかなあ、みたいなのがあったのかもね。私は教区の会計として呼ばれたんですよ。これまで会計の仕事をやってたわけじゃないよ。施設で働いていたんだから(笑)。何が必要だったかっていうと、教区内のいろんな小教区の人から信頼される存在でなければならないっていう。その仕事で私は行った。会計の仕事はもちろんやりましたけど、事務員と会計士がいて、その上に会計責任者としていたんですけど、いろんな人間関係を超えて、各小教区の、教区本部の信頼をもう一度いかに取り戻すかっていう仕事があったんだ。それで3年前に亡くなった濵口末男はま ぐち すえ お(大分教区)司教さんと私が、ある意味「すけさん」「かくさん」みたいに水戸黄門(溝部司教)を支える役割をもらった。本当にどこに行くにも二人一緒でしたよ。溝部司教がいない時は、二人とも長崎出身だから、魚食べに長崎までしょっちゅう行ってましたよ(笑)。ある時は秘書みたいな仕事もやりましたね。わずか4年でしたけど。高松はいい思い出もあるけど、苦い思い出もいっぱいありますね。

養護施設での体験は、その後の人生にも大きく関わっているようですね。

そういう体験すると、やっぱり、ドン・ボスコって偉いなあって思うし、本当にキリスト・イエスをこの現実の中で生きようとしたんだなあって分かってきますね。それがドン・ボスコの場合、何人じゃないですからね。何百人だからね。
最近は特にプライバシーの保護とかよく言われるじゃないですか。だからずっと以前だったら、職員の連絡先とか子どもの連絡先とかね控えても全然おかしくなかったけど、今は求めがあればで、こちらから一方的に何かしようというのは避けてるんですよね。
以前関わった子どもたちって、今は家庭を持ってるじゃないですか。それぞれで育っていけばいいんで。こちらから余計に横槍を入れないっていう。向こうから訪ねてきたいとか連絡したいっていうのは「どうぞ」って。一緒に夕食したり話ししたり、聞きたいこと語ってあげたりするけど。こちらから一方的に何かはしない。今は小平にもあまりいかない。今いる人たちが伸び伸びできるようにって思っているから。
評議員だから時々は行くけれども。あと、相談や話を聞いてほしいとかっていう時は喜んで行きますけど。私の方からはあまり行かない。
「あいつは本当に来ないよね」とか思われてるかも知れない(笑)。

黙って見守るって難しいと思います。

色々ありますね。

サレジオ会日本管区 管区長館の管区長室にて


今一番楽しいと思う時間は?

1日を終えてベッドに向かう時間!

今、一番の心配事は?

修道会にいるので、「会員達が幸せか?」って。幸せに生きてるかなって思いますね。修道会に入ったことで幸せでなければ、つまんないだろうなって。毎日ハッピーってわけではないけれど、修道生活をしていることで幸せを感じて、自分の人生を捧げようとできてるのかなって。それは今管区長だからそう思うのかも知れないけど、管区の一人ひとりが幸せなのかなって。
それは以前調布にいた時にも「この神学生本当に幸せなのかなって」。将来サレジオ会員として生きるのって本当に幸せなのかなって。もしかしたら、親の召し出しとか何かの理由でここに居ざるを得ないとかだと本当に不幸だよねって。
小平サレジオで院長していた時、実地課程の神学生に「あなた、社会に出た方がいいよ」って喜んで何人も出した。一人も無理して留めなかった。だから、調布の院長時代も識別して帰ってきた神学生に「心配しないで、安心して出なさい」って。「どうして、僕の結論が分かるんですか?」って言うから、「顔見たら分かるよ」って。「あなたが識別の黙想に行く前の顔と、今日のあなたの顔が明らかに違う。今本当に決心できて、自分の新たな道を、自分の道を歩もうとしてる顔だよ!」って。「えっ、本当に分かるんですか?」って言うから「誰からも情報もらってないよ」って。

私がサレジオ会員になったのは初誓願22、23歳。二十歳の時に教区の神学校出てきてますから。私は教区にいる時に「これは自分の道じゃないなあ」って思った。まず出来悪いので、こんな仕事できないなあって。「教区司祭って無理だなあ」って。霊的指導の司祭に指導いただいて、二十歳のクリスマスに辞めたんだけど、兄弟から「なんで、黙って一人で決めたか」って言われた。親兄弟に相談して決めるもんじゃないでしょ(笑)。
所属教区の司教には申し訳なかったって思ったけど、その司教もサレジオ会に入ることをすごく喜んで後押ししてくれた。今でも感謝しています。
修道生活に限らず、自分の身内(家族)だとか、自分がかつて世話をした子どもたちだとかが、幸せじゃない生き方してるのなら、幸せな生き方して欲しいなって。何か縛りがあって、そこに踏み切れないとすれば、それが私は一番辛い。もちろん苦労はある。苦労するのと、幸せかどうかって違うところがあるじゃないですか。苦労してても幸せって思える事あるじゃないですか。
私も今色々苦労するけど、ある意味で幸せなんですよね。夜ベッドに入って寝るときのあの心地よさってね(笑)。「神様、今日もありがとう。出来ないこといっぱいあったけど、ごめんなさい。でもね、あなたからいただいた時間、あなたがいっぱい与えてくださった才能なのかもしれないけど、少ししか使ってなくてすみません。でもお返しします。明日また使ってくださるんだったら、命ください。」でバタンキューって寝るじゃないですか。ほんとに幸せな時間ですよ。ベッドに入っている時間!

神様に感謝して寝られるって、一番の幸せですね!

「あなたからいただいたものですから、失敗であってもどうぞ受け取ってくださいよ」って言える関係性ってすごいなって思いますね。
私ね、27歳のある時まで祈りとか、何か神様に捧げるっていうのは、いいものを捧げなきゃいけないっていう意識がすごく強かったんですよ。その頃、胃痙攣いけいれん起こしてたんですよ。「なんでこんな胃痛むんだろう」って。
「あっ、自分って神様からいただいたものなのに、いいものだけ捧げようって必死になってたんだなあ」って、わかって。「失敗作品であっても、中途半端でもとにかく神様にお捧げしよう」って。この気持ちになれた時に、すごい楽になったんですよ。ズルいんですよ(笑)。すごくズルくなったのね。だって神様からいただいたものじゃないですか。自分の命も怪我した膝もね。それでも全部神様のために、人のために使おうって思えるようになってから胃痙攣起こさなくなった。「お前の心臓には毛が生えてるのか」って時々言われるけど。ある意味信仰体験っていうかね。私の信仰体験なのかもしれないね。あなたまだ胃が痛かったら捧げきれてない(笑)。

プレッシャーっていうのはエゴが自分の体に無理をさせてる状態なのかもしれないですね。

一番身近なのは、会員なんで、会員一人ひとりがほんとに幸せななのかなって。それは幸せであったらいいなあって。そこに自分が「長」としている中で、申し訳ないなあって思うことはいっぱいありますね。幸せってなんだろうって思った時に。うまくいくこともいかないこともひっくるめて神が望んでいること、人が望んでいることに応えていこうとしている自分っていうかな。それがある時に幸せなんじゃないかなあって。無理してる時って幸せじゃないんですよ。無理して祈ろうとかね、格好よくしようとかね(笑)。全然それ幸せじゃないんですよ。(終)