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『謝りと感謝』

No.2

須藤哲史す どう てつ し修道士

サレジオ会日本管区 管区財務

カトリックの信仰を土台に自分を活かし、
神と人のために尽くす人生を送る人々がいる。
"人間"としてのサレジオ会員たちに
“人生"を伺ってきた。


ご出身はどちらでしょうか?
そして、サレジオ修道会に入るきっかけは?

埼玉県生まれですが、親の転勤で奈良県にいました。奈良県にいて、聖書学校(当時サレジオ会が開催していた夏のキャンプ)に行かないかと言われ、なんか知らんけど、一応呼ばれて川崎サレジオ志願院(当時のサレジオの寄宿小神学校)とか見に行ったりしながら、まあ、(入っても)いいかなあと。あまり何も考えずに。と言うと語弊があるけど、当時の志願院に魅力があったんでしょうね。自分の中で。行ってもいいなって気持ちがあって。行ったって感じです。当時は(奈良県の)登美ヶ丘教会に通っていて、濱崎神父様が当時志願生でした。

サレジオ志願院で中高を過ごした後、調布サレジオ神学院から工学院大学に通って、化学の勉強をしていました。大学2年の時に、修練期のために休学、誓願を立て、大学を再開、卒業しました。

その後中間期、実地課程は宮崎の日向学院に2年間いました。当時校長は鈴木勝重すず き かつ しげ神父でした。当時の日向学院は勉強を頑張っている印象はあったけど、のんびりしているなあっていうのはどっかにあって。学校だけじゃなく、土地柄ですかね。学生寮での寮監りょう かんが私のメインの仕事でした。その当時はすでに中高とも共学でした。寮監だったからか、学校での業務はまだゆるくて、朝礼と授業と職員会議だけでいいっていう。その代わり夕方から夜働けるよねって感じでやってくれていました、学校では私の授業スタイルが問題だったと思うのですが、「生徒たち、授業あんまり聞かないなあ」って思いながら授業やってました(笑)。一年目の授業は中学3年の倫理。倫理だけど、キリスト教の話で新約聖書とか使っていました。二年目は高2の倫理。宗教的な話、倫理の話、教科書通りの話もしたけど、キリスト教の価値観伝えたりとかしていました。他にも教えて欲しいって言われて、少し個別に化学の指導もやっていましたね。

宮崎の後は?

その頃はまだ司祭志願だったので、その後上智大学神学部に4年間、大学院2年通って卒業したんですけど、大学院の時に思うところがあって、識別をして「あっ、司祭じゃないね」と。でもサレジオ会には残りたいなっていう気持ちがあったので、まあ、ブラザー(修道士)に転向しました。
一つは、勉強していく中で、思想的な考えとか得意ではなかったのと、司祭として毎日説教することに難しさを感じて、中々限界があるなあと。

もう一つは司祭としての役割・立場を考えた時に、キリスト教として大事なことはきちんと伝えないといけないという気持ちはあって。この複雑な、多種多様な世の中を考えた時、自分にそれがちゃんとできるのかなと。

じゃあ、奉献生活を諦めるかというと、終生誓願(一生を修道生活に捧げる誓い)を立てた後だったので、「いや、誓願あるじゃん」と。もちろんそれでも道を変える人もいるけど、自分としては、行けるところまでは行きたいなと。今それを辞めて一般信徒に戻るっていう感覚ではなかったので。

それも含めてイエズス会の神父様のところに月一程度通いながら、識別(それが神の望みであるかを確かめる方法)をして、修道士を選び、今に至ります。識別は半年くらいかけたかな。自分の中に沸々と湧いてくる思いと、当時のサレジオ神学院の状況から識別をしたっていうところですかね。

創作か事実かは分からないけど、ドン・ボスコの自伝映画の中で、いつもドン・ボスコと一緒に行動していたジュゼッペ・ブゼッティという若者が「自分は司祭じゃないからオラトリオを出よう」って、身を引こうとするエピソードがあるんですけど、結局ジュゼッペはオラトリオに残る。そのシーンを見ると、自分に重なる、共感できる部分があります。
ジュゼッペ・ブゼッティっていうと、ドン・ボスコをずっと陰で支え続けた人ですね。

サレジオ会を陰で支えたいと?

はい、表に出るなんてとんでもない! ごめんなさい、やめてください、無理ですって感じですね(苦笑)。

人前で話するのも苦手だし、苦手というか、これまでの立場がそうさせてきた部分もあるかもしれないですけど、好きでないのは事実だし。今は修道院の仕事がメインになったからだけど、専任で高専の事務職員(育英学院の法人本部)で働いていたときは、事務室の朝礼で話をする当番が輪番制で、話をしないといけないんだけど、人の顔を見て話をするとか、「いやー怖いです」って感じです(苦笑)。

育英学院の法人本部に入った経緯は?

修道士を選んだのは大学院の二年目だったんですが、僕としてはそのまま学業を全部やめて、サレジオ会員として働くもんかなと思っていたら、当時の管区長だったプッポ神父様から「勉強は終わらせなさい」と言われ、「え~、修論書けない」とか思ってたんですけど、無理矢理書いて(苦笑)。修論指導してくださった雨宮慧神父様(東京教区)に本当に申し訳ないとか思いながら、なんとか卒業させてもらい、資格もいただいて。それが決まる頃にちょうど管区長が変わって、チプリアニ管区長になったんですけど、「あなたは、育英に行け」と言われて、今に至ります。
理系で数字にそこそこ強かったので、それまで修道会の中の活動(ユースセンターや聖書学校など)の金銭管理は少しやってました。それと管区秘書の仕事を少し手伝ってました。

適材適所ということでしょうか。

向いてるのかな? いつも「私はこれでいいのかな?」って思うことがあって。確かに人に教えるよりかは事務職の方ができるかなとか思うことはあるけど。
1日の大半、学校で働いていることが多かったので、はたから見たら、サラリーマンのような感じではあるかも。学校に行く時は、スーツにネクタイ締めていくし、仕事は事務処理全般なので。補助金の申請とか理事会の議事録作成とか議案を整理して、会議で説明するとかそういうところから始まり、規則規程の変更改正とか確認しながらやったり、分からないながらも教えてもらいつつ、人事労務の仕事をやったり。育英学院の法人本部はなんでもやる場所。限られた人員で経理、人事労務など兼任で、戸野との先生(先輩サレジオ会修道士)に教えてもらいながら、高専や幼稚園、小中の方とも接点持ちながらやってきたって感じですかね。

大変な業務ですね。

仕事としては大変なのかもしれませんが…。
アンヘル現総長様から「若者にもっと関わるところにサレジオ会員を」という言葉があって。
もちろんそうだと思いますし、自分にできることを考えることはありますけれども、今任されている仕事を誰に譲っていくのか? とか考えた時に、今自分がやっている事が十分かどうかは別として学校の事務で働くとか、会員のために働くっていうのも、サレジオ会の使命に関わるものだと思ってやってます。でないと、やってらんないすけど(笑)。

まさに「支える人がいてこそ」の理想ですね。

今の仕事は、サレジオ会員の私だけがすべきことではなく、協働者と関わりながらやっていかなければいけない。サレジオ会の特性でもあると思うんですけど、事業所に関わる子どもたち、学生たちのために、そこで一緒に働いている方にサレジオ会が目指すところを理解していただいて、働いていただけるようなサポートが必要なのかなあと、年齢を重ねて思うところです。

年齢重ねるといってもまだ40代ですよね?

若い若いと言われて、サレジオ会日本管区も平均年齢60超えてるし、それでも若いって言われる日本のカトリック教会やばいねって感じですね(苦笑)。今後会員はどうしても減っていくので、その時にどうしていくのかは我々に与えられた課題なのかなと思いますけど。

今、サレジオ会を支えている年代は40~60代ですね。

そうですね。50~60代くらいかな。。。

方ときも離さず持ち歩いているという木と紐で作られた素朴なロザリオ。
「愛用しているものは?」と聞くと、ポケットから出してくれた。
通勤の際に歩きながら、ロザリオの祈りを唱えているそう。

中々ヘビーな内容になってきました。少し話題を変えましょうか。
楽しい趣味などはありますか?

昔から鉄道が好きで、いわゆる「時刻表鉄」だったのですが、時刻表も今、微妙じゃないですか。時刻表を見て経路を考えるっていう時代は終わったかなって思っていて、オンライン路線アプリとか使って、「おお、こうか」とか。もちろん、検索するときに他の人が入れない条件とか入れて調べてみたりとかしますけど。いいか悪いか、インドア派なので、外へ出るよりもパソコンで鉄道動画見たりとかしてますね。

最近だと、ちょっと仕事で大阪に行った後、野尻湖(長野県)に行くことがあって、通例だと名古屋に行って中央西線ですけど、最近は北陸本線で金沢周って行くっていうのも候補に上がるようになってきて、今回初めて大阪から特急で金沢まで行って、新幹線で長野に行くというルートで乗ってみました。それが結構楽しかった(笑)。衝撃的だったのは今年は特に暑いですけど、金沢行っても気温が36℃もあって。20分くらいしかいなかったけど。北陸も暑いなあってすごく思った。

今年は本当に日本全国暑いですね。

そう、野尻湖も避暑地と言われてましたが、今年は暑いですよ。日中はとにかく暑くて、昔では考えられないですけど、野尻湖は洗濯物干しても乾かないっていうのが通例だったけど、今は晴れてる日だったら3時間くらいで洗濯物が乾いてしまうくらい暑い。7月末にキャンプで行った時は夜中も気温が下がり切らずに暑いって感じだった。

野尻湖にはどういう用事で?

サレジオ高専とサレジオ学院の山荘、そしてサレジオ教会があって、サレジオ教会の管理人をお願いしている方のサポートとして行きました。

そこは年中誰かが利用している施設ですか?

いえ、夏休み期間くらいですかね。前の道は県道なので、除雪されるんだけど、施設の中に入るまでの私道はそのままなので。野尻の街は昔に比べると寂れちゃったね。バイパス出来て、高速出来て、人も寄らなくなってしまって。

野尻湖の風物詩「白鳥丸」は運行しなくなってしまいました。遊覧船はまだあるけど。外国の方が避暑に来られる国際村はまだあって、夏には人が来てますね。本当にいい所ですね。最新の「カトリック生活」に塩見さんがチマッティ神父さんの連載の中で、野尻湖で過ごした頃のことも書いていたけど、その当時がなければ今もないので。

戦時中のサレジオ会員の疎開の話ですね。
サレジオ会にとっての思い出の土地ということですね。

そうですね。多くの日本管区の会員にとっても思い出の土地です。チマッティ神父の時代の会員も、その後の時代の会員にとっても。特に現在40~50代の聖書学校に参加した人たちにとっては。思い出の土地なんですけど、維持管理は中々大変ですね。

調布サレジオ神学院でラップ神父が企画実施しているベトナムの若者の集まりに参加されてますね。
7月の終わりに彼らと一泊で野尻湖にキャンプに行かれたと伺いました。

そうですね。彼らはほとんどが外国人研修生。で色々ご苦労されてて。それでも集まれる場が提供されてるってのはありがたいことですけどね。彼らはすごくパワフルだなって。今回のキャンプに参加したのは、リーダーグループと呼ばれる若者たちだったから、やっぱり芯があるっていうか、本当に一生懸命だから。
いつもはキャンプに引率で行くと、色々心配しないといけないことがあるけど、彼らは行動力のあるタイプで、食事も全部自分たちで用意して、掃除もきちんとして。引率者たちにすごく評判よかったです。ミサも熱いし。ベトナム語のミサでした。

お腹がだいぶ出ていますが。。

昔から食べるのが大好きなので。しかし、それよりも寝るのが好きですね。最近は歳のせいか早起きしてしまうんだけど、それでも起きる時間まではベッドの中でギリギリまで寝ています(笑)。

体の変化は25歳ぐらいの時に感じかな。そのあといつだろう? 運動はあまり好きじゃないけど、歩くことは今でも大事にしてるかな。学校に通勤するの大変だねって言われますが、本当に部屋から出ないので。僕は学校に行くのは、体のためにもいいし。管区長舘(四谷)の住環境はいいんだろうけど、買い物や生活の面では多少不便なので、新宿くらいまでの個人的な用事だったら歩いていく。急いでいない時はね。秋頃とか涼しい時は、新宿通りを歩いてます。土日でちょっと運動しなさすぎるかなって時は、「世界堂(画材や文具の店)」に見に行こうとか、ちょっとイケア(IKEA)に行こうとか。

一時期サレジオの町田支部にいらっしゃいましたよね?
その時もよく歩かれていた?

あそこにいた時は、あんまり歩かなかったですね。あの辺は車で買い物に行くのが便利なところだから。結局カインズホームとか。あの支部にいた時は、人数も少ないし、買い物っていうと、「ケースで買ってくるか」ってことが多かったから。散歩する場所はいっぱいあるよってみんな言ってたけど。あんまりしなかった。多分、もうちょっと若かったからあんまり健康のことは考えてなかったかも。ごくたまに南大沢まで歩いていってたけど。結構距離があるので。最寄駅は多摩境なんだけど。南大沢まで歩くと、2、3キロメートルくらいかな。

好きな食べ物は?

甘いものは好きですね。これはみんなに言うことなんですけど、お酒と甘いもの出されたら、甘いものをとります。お酒飲めないわけではないです。今の仕事始めてからは飲む量減ったので、今も時々飲むけど、昔ほどは飲めないな。。
寿司とか刺身は好きかな。肉も食べるけど。結局食べるのが好きなので、何が好きかと言われればですけど、好き嫌いはサレジオ志願院にいたときに克服させられているので。「志願院で」ってわけでもないんだけど。まあ、好き嫌いは元々少ないかな。食べるのは好き。三食楽しく食べられるのはありがたいですね。

でも最近は脂濃いのはだめだね。。唐揚げとか好きだけど、最近ちょっと衝撃的だったのは、野尻湖に行ったときに(信州)蕎麦と天ぷらを食べたんだけど、天ぷらが「重いな」と。二日前に研修で出張に行ったときに、昼飯何にしようかなって思いつつ、「てんや(天丼とうどんのお店)」に入って、普通に天丼食べて研修受けて帰ってきたら、なんかお腹が重くて「あれ、やっぱり年なのかな」って(笑)。年なのか、8月頭にコロナに罹ってその影響がまだあるのか分からないけど。年の影響は色々感じますね。何歳まで生きんのかなっていつも思いますけど。長生きすんのがいいのかどうなのかとも思いますけど。

甘いものはなんでも?

和と洋だったら、洋の方がいい。餡子よりもクリームの方がいい。

コーヒー飲みます?

飲みますけど、ミルク入れちゃうからダメですよね。。砂糖はそんなに入れないけどね。
朝にゆとりがあれば、コーヒーメーカーで入れて飲むけど。実家はコーヒーメーカーがある家だったから、昔から。妹は紅茶が好きだから。紅茶ポットがあって、帰るとどっち飲むって言われるけど。

朝食とかは?

大体自分で用意しますね。と言っても、パン焼くくらい。あとはゆで卵とかは作っていただいているので、ハムは買っていただいていて。あとはご飯だったら、炊飯器に残ってれば、食べられるし。戸野先生が(ごはんを)炊いてくれてるし。前日の残り食べたりとかしている会員もいます。

男所帯ですからね。

やっぱり今でも食事作ってくださる方がいるって言うのはありがたいですね。平日だけだけど、その間に週末の準備もしてくださるし。

常に食事を用意してくださってるというのは、本当にありがたい事ですね。
支えてくださる方がいるのは恵みですね。

自分の生きてきたこれまでを振り返って思うのは、やっぱり恵みだよね。そう思えない時もあったし、今も時々あるけど。
中高の時とか、自分がものを知らないというか、後になって「ああ、まずかったな、ごめんなさい」っていうことがいっぱいある。そういうのは感じますね。人それぞれあると思うんですけど、私は中高時代青春でよかったかと言われると「う~ん、どうだろうな」って疑問が残る人間なので。そういう意味では、「わかってなかったな~」って。若いってパワーがあったり。わかってないっていうか、手探り、手探りとまではいかないけど、とにかく自分はわかってなかったなって。今も分かってないこといっぱいありますけど。そういう意味で周りの人にいっぱい迷惑かけてきたのに、ここまで来れたのはありがたいことだなあって思うし。

自分に厳しいですね。

いや、そうかな。自分に甘いですよ。甘いからこの体型だし(苦笑)。怠け者だし。そういうのは感じるかな。
人と考えがぶつかった時、思い返すことがよくあるけど、よくよく考えると自分が悪かったのかなあとか、相手のこと考えられてなかったなあとか。基本(怒りの)沸点低いんで、すぐイラっとするんだけど、後で振り返ったときに、自分が良くなかったなあって思う。まあ、頭の回転が良くないので、ガーッと言われてもその場では反論できず、後になって「なんであんな酷いこと言われたんだろう」って、怒りが沸々後から湧いてきたりするタイプの人間なんで、とにかく(頭の)回転は遅いなって最近はそれに気づいてきてはいるかな。

志願院時代の6年間共同生活をしていた時から、
そう言う性格は変わらないですね。
神父を目指す中高生の男子が寮の中で生活する志願院では、
様々な人がいましたね。

そうかもね。でもそれも30年も前の話で。現代では志願院という場所もなかなか難しいよねってちょっと思う。
オンライン・メディアが日常生活に浸透してきて、いろんな事や物が手にしやすくなった反面、何が大事かって言うのが見えにくくなっているなって感じています。
もちろん信仰があって、イエス・キリストの教えが大事だとかそう言うのは分かってるつもりなんだけど、それをやってれば幸せになれるっていうのが分かっている反面、そっちになかなか進みきれないっていうか、選びきれていないというか。

情報過多で、代替できるモノ(アイドルやインフルエンサー)が多すぎると感じます。

だから、キリスト教が本質だとか主張しても、「他にあるじゃないか」と言われてしまう時代。
多様な価値観の中で、本当に大切なことをどう伝えていくかって言うのが、私たち宗教者の課題かもしれないですけど。それはキリスト教カトリックの人だけの課題ではないけど。

難しい課題ですね。代替できるモノの方が魅力的に感じてしまいます。

本物をどう伝えていくか。自分が体験しないと伝えられない。体験してないわけではないと思うんですよね。ボーン・クリスチャン(生まれてすぐ信者になる人の事)の人たちはなんらかの体験をしてる人が多いと思う。それを言語化できない、説明できない部分と、その本当の良さを伝えるのをどうしていったらいいのか。言葉だけじゃないと思う。

自分の人生を識別して、宗教的な活動の中に身を置いている時点で、
信仰的な体験をしているからそれを選んでいるはずですよね。
それがないと信仰を続けられないと思います。
その信仰的な体験をする機会を少しでも多くの人に
与えていかないといけないと思います。

そこをどのように取り組んで、どのように伝えていくか。
同時に伝えることの危うさがあるし。家族は許容できていないのに、家族を犠牲にしてまで信じることはいいのか?とか。
文字通りとったらだけど、イエス・キリストだって、生活費をなくなるだけ献金した人を褒めてるわけでしょ。あれと一緒だと言われてしまうと自分には反論できない。我々の信仰しているものは長い時代を経ているから、真理は一つなんだけど、方法論的にはいっぱいあるっていうか。
「そこだけじゃないんですよ。キリスト教は矛盾しているように聞こえるかもしれませんけど、一人一人大事にしろって言ってますから、それって人を大事にしないからダメですよね」って、言い方もできるけど。
そう言う意味では今からの時代、宗教ってどうなっていくのかなって。

自分たちの信仰生活に直結している問題ですよね。
日常生活と信仰の間に矛盾するものをいっぱい抱えています。
カトリックのいいところは「回心(本当の赦しを乞い、神の元に立ち返ること)」って常に立ち返っていく信仰、あれに救われると思います。
悪い方向に進んでいったとしても、
立ち返ることができるという「希望」が常にある。
常に新しく生まれ変わると言うのが救われます。

確かに「回心」と「赦し」がなければ、救いようがない。
歳を重ねて、そういうことを思ったり考えたりするようになったのは事実。深まってるかなって言われると「分かりません」。
私の率直な思いはそこかな。

須藤修道士らしい答えかもしれませんね。
根本的には楽観主義だと感じます。

そう思う。楽観的でないと、キリスト教カトリックはしんどいよね。。だからルターはプロテスタントになってしまった。
真剣に考えすぎて、行き詰まってしまった。
そう。歴史を学んだ中でそれは感じる。カトリックって「いい加減」ってよく言われるけど、それが「良い加減」なんだと(笑)。
あと、本物だなって思うのは、過去のこと色々あって、中世の時代の教皇の問題とかも含めて色々あっても、今でもこれだけ続いている。やっぱりそこには真理がある、神様が働いているとしか考えられない。

人間だから悪い方や欲に偏っていく。
でも隠すのではなく、それも含めて真理はここにあると言い続けることが、
本物の証だということですね。
裏方に徹したいとおっしゃっていましたが、
信仰を伝えていきたいという意思はあるわけですよね。

カトリックってそうでないといけないわけじゃないですか。修道者や司祭に限らず、信徒一人ひとりも何かを伝えていく、というのが「第二バチカン公会議(1962年~1965年に行われた公会議)」で言われているので。意識していないところでやっぱりあるんだろうなって思うし、人間の本性、本能としてあるのかもしれない。何かを伝えたい、何かを残したい。それが神様に通づるものでありたいというのが一つかな。

根源的な望みですね。
言葉だけではない伝わるものがあると僕も信じています。
信仰心を持って生きて、その場所にいるだけでも伝わるものがあると。

日本人はその方が触れるんじゃないかな。
やってることと言ってることが真逆っていう例もあるけどね(苦笑)。難しいね。

人生の真ん中すぎて思いいたる年代にきたのでしょうか。

あと何年生きられるんだろうって思う。
寿命が伸びてますとか、定年が伸びますとか言われていますが、あと10年20年、現在の親の世代まで生きられるのかなあって。
これまでを振り返って思うことがあって、その反面、親より先に亡くなるのは宜しくないよなという人間的な思いもあり。

40過ぎたからかなあ。確かに同世代の職員さんと話しした時に、半分は折り返してるよねって話になって。そうですよねって。何年生きるのかなあって。じゃ、そしたら生き方どうするのか。期限があるっていうのが分かって、じゃあそれまでの生き方ってどうするかねって。人によっては人生設計するけど、計画はその通りにいかないのが当たり前って思っているので。まずは臨機応変にっていうのがあるから、あまりそういうのは考えられないかなあ。
あと思うのは、半分冗談だけど、年取っても聖人はいるけど、「いいよね」って言われる聖人って寿命が短い。でも反面生きてる間すっごく苦労してる。

「すぐ天国いけるなら、人生ここで終わってもいいかなあ」って時々思うけど、人生振り返った時に、いやいや「神様御免なさい」が多すぎるから、早く亡くなって、煉獄で苦しむんだったら、現世の苦しみも大事なんかなあ、っていうことを思ったりして。
それを話すと、色んな人に笑われますけど。そういうもんかなあって思ってるとこあるかなあ。

聖人達が負う苦労は、本人達にも止められないものだと思います。
須藤修道士ご自身は、必要な役割を十分に果たされてると思いますよ。

人の「苦労を負うことを止められない理由」はどこから来るのかって考えた時に、我々は絶対神様から来てるんだって話だから、それがないってことは、そういうポジションじゃないなってことは分かってる。

サレジオ会にも「仕事を止められない方」がおられると思いますが、
真似をするものではないと思います(笑)。

確かに(笑)。神様がいつどこで命を取られるかは誰にも分かんない。でも、今だと困るなあ(苦笑)。と思うこともあるし。
振り返れば「御免なさいの連続」ですかね。本当に。人にも謝らないといけないし、神様にはもっと謝らなければいけないし。

謝る気持ちがあれば十分なのでは。

謝りと感謝は絶対大事だと思うし。

大事ですね。私も日頃から家族に感謝を伝えています。
言えないまま死んでしまったら後悔しかありません。

確かに。(終)