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漫画読書雑文「奈良へ/大山海」2021年

連載をリアルタイムで読んでいた作品を単行本で買うという経験は久しぶりの事だ。
長らくそういった体験から遠ざかっている。元々漫画読みではないので、友人の漫画好きなどから僕に合う作品を選出して貰ったり、偏愛している漫画家・原作者のものを読んだり、ネタ的に面白いものを違法な何某かで読んだりする事くらいになっていた。
しかし、最近のWebコミックの興盛で、SNS上で流れてきて響いた作品を読むという新しい読み方が一つ増えた。
本作は、その新しい読み方の中で出会った作品であり、「奈良へ」というタイトルに魅かれ、作品の雰囲気や質感、滲み出るアティチュードに共鳴する部分もあり連載当初から読んでいた。
よくあるサブカルやアングラ的な漫画であればただ、自意識を拗らせて捻くれて、ただ茫洋と日常を描いているものが多く、そんな物は往時のガロだのcomだのを読めばより良質なものがあるわけで、わざわざ何十年同じノリをやっとんねん。と、大抵は鼻で笑って終わってしまうものが多く、その点で言っても大山海の作品は捻くれているだけではない暴力的な突破を体感できる回が多く凡百のサブカル・アングラ漫画とは似て非なるものである。(その辺の悶々たる想いは本作中にもしっかり描写されている)
その連載を読んでいた作者と、たまたま出会うきっかけがあり、それから何度も酒宴を共にする事があり、作品よりもそれを作る人間にしか殆ど興味がないという姿勢で、色々な業種、生業の人間を見定める癖のある僕としては非常な僥倖であり、作品を裏切らない雰囲気を醸し出している大山君に刺激を受けて、それ以来会う人会う人に彼の名前と本作をゴリ推しするという事を繰り返していた。

出会った時の事は大山君の日記にも出てきている
https://note.com/gooyama/n/n8895303b555b
その後それをキッカケにまだ手に入れていなかったデビュー作も貰ったりして、その時の興奮は以前感想を書かせていただいた。
https://note.com/dazaist69/n/n8e39e5c1c346

今回単行本で読み直しても、暴力性が溢れる部分が本当に何度読んでも爽快で、それは作者が持っている"何か"に対する怒りや情念や、激情でもある事は間違いないだろう。虚構だけが許される特権的カタルシスを与えてくれる作品や物は今やかなり少なくなってしまったように思えて仕方がない。
そして、それと同時にその激情を醒めてみるような人格をも作品として昇華させている所にも凡百のサブカル・アングラ作家との違いであろう。(この後者だけのクソ共がどれだけ多い事か!)
その極点の振り子が異世界編になると最高潮になってくる。異世界ブーム沸き立つ世俗への皮肉しか感じられないかに思えるが、何処かに本気さも漂わせようとする辺りが堪らなく愛おしいではないか。例えるならばPulpのCommon Peopleに真剣に感動した人間だけが、大衆蔑視と、衆愚を罵る権利を持つのだ。市井の人々、大衆への希望と絶望、求愛と拒絶に苛まれなければ本作に溢れる振り子運動を理解する事は出来まい。そして、その権利を有している人格なのだ、大山海という人間は。
それは、出会い系で哲学的問答を投げかけて相手の知性やアティチュードを計ろうとしながら、何処かに馬鹿らしい聖性を求め、しかし荒々しくヤラせろや!とも同時に想う、それが人間の本質であるし、その本質に対して格闘し続けているという一つの証拠だろう。

単行本の最後には秋から始まる連載の予告も載っていた。この新連載も楽しみである。シェアハウスで起こる若者達の群像劇のようなものであるらしい。カスみたいな奴等をきっと多面的に描くのだろう。
ここの所、本人は、「奈良へ」の反応を片っ端からRTしている。それは定期的にエゴサーチをしているという事でもあるが、それと同時に本人の中ではもう「奈良へ」の執着は全く無い感情も併せ持っているのだろう。
そういう俗な部分と遁世したい部分の衝突が、既に次弾の発射に向けられているのだ。
"あした"だけが、"何か"を突破する可能性なんや。

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