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ざっくり!日本美術史 江戸Ⅱ

今回は江戸時代の2回目です。

上方や江戸など都市部での文化が成熟して、新たな流派や技法が確立してくるのが江戸時代中期ごろ。

今回は琳派と丸山四条派を中心にご紹介します。

江戸時代中期の美術

江戸や京都では町人を中心とした多彩な文化が花開きます。

街道の整備により各藩(都市)との流通や旅行も盛んになり、庶民が文化の担い手として個性豊かな美術が生まれました。

江戸では風俗画の延長線上に、遊女や役者を描く浮世絵が誕生します。

浮世絵には版画と肉筆画の2種類ありますが、版画は印刷により大量生産が可能なため、数多く制作されます。廉価で購入できるため町人に人気を博し、浮世絵ブームが起こりました。

菱川師宣は最初の浮世絵師として知られており、なかでも「見返り美人図」が有名です。

一方、江戸に活躍の場を移した狩野派は御用絵師として美術界の確固たる地位を築き上げましたが、組織の体系化は画風を形式的なものへと変えていきました。

京都では琳派円山四条派といった新しい表現を行う流派が誕生します。

琳派と私淑

尾形光琳に代表される流派を琳派と呼びます。

流派といっても直接的な子弟関係にはなく、私淑と呼ばれるかたちで継承ていることが特徴です。個人的に感化・模範・継承することで琳派引き継がれました。

尾形光琳を筆頭に酒井抱一、鈴木其一、光琳が強く影響を受けた俵屋宗達も含まれます。活躍した時代は断続的で、出身階級もさまざま。個々の美的感性によって繋がっている流派です。

尾形光琳は京都の呉服商の生まれで、狩野派を学んだのちに俵屋宗達の強い影響を受けます。やまと絵の古典的主題や、私淑する絵師の作品をアレンジする作風で琳派の礎を築きました。

また、弟の尾形乾山野々村仁清から陶芸を学び、京都郊外に鳴滝泉谷に窯を開きます。釉下彩色という技法を確立し、陶芸の表面に絵画と書を描く作風が特徴です。

酒井抱一は姫路藩主の弟で出家したのち、江戸で琳派の再興を図りました。光琳の画風を研究したほか、写生派の円山応挙の画風も積極的に取り込むなどして、鈴木其一などの弟子を輩出しました。

■ピックアップ作品
・尾形光琳「燕子花図屏風」(18世紀)
...金地に燕子花をリズミカルに配した6曲1双の屏風
・尾形光琳「紅白梅図屏風」(18世紀)◎
...金地に紅白梅を対比させた2曲1双の屏風
・尾形乾山「色絵紅葉図透彫反鉢」(18世紀)
...釉下彩色の技法を用いた作品
・酒井抱一「夏秋草図屏風」(1821年)
...銀地に夏と秋の草花を描いた2曲1双の屏風

円山応挙と写生

18世紀後半になると、京都で円山応挙が活躍します。
写生と呼ばれる絵画表現のリアル感や視覚の重要性を説き、以降の絵画表現に大きな影響を与えました。画風に中国絵画技法西洋の正遠近法を採り入れたところも特徴です。

門人である長澤芦雪などの円山派と、与謝蕪村から応挙の画風に転向した呉春ら四条派を総称して円山四条派と呼びます。

■ピックアップ作品
・円山応挙「雪松図屏風」(18世紀後半)
...松の立体感を表現した6曲1双の屏風
・呉春「白梅図屏風」(1790年頃)
...俳諧の趣きと写生の表現を融合させた

ナタデココをこよなく愛する旅のひと。