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ざっくり!日本美術史 桃山Ⅱ

ざっくり!日本美術史、今回は桃山時代の2回目です。

今回は桃山時代に工芸や海外文化の影響についてお話します。

茶の湯

茶の湯とは茶を立てて振る舞う芸道のこと。
桃山時代に堺の商人出身の千利休侘数寄を大成し、以降の茶の湯の基礎を作りました。

室町時代にも大名の間で茶の湯は行われていました。
しかし、大陸から輸入した「唐物」に美的価値観を見いだしていたため、特権階級でしか嗜むことができませんでした。

利休は従来の茶の湯をベースとしながらも、独自の様式や道具に至るまでブランディングを行います。茶の湯に既成概念を超えた新しい価値を生み出しました。

利休は茶の湯に国産品の道具を用いることで、唐物を手に入れることのできない人でも茶の湯に親しむことを可能にしました。これにより下級武士や禅僧、町人など幅広く広まります。

これによって備前・美濃・伊賀・唐津など各地で窯で陶器が作られるようになります。

■ピックアップ作品
・千利休「待庵」(16世紀後半)
...秀吉が山崎城に作らせたとされる2畳の茶室
・長次郎「黒楽茶碗」(16世紀後半)
..千利休の指導で日本製の手づくね茶碗を制作
・古田織部「織部焼」
...利休の弟子の織部は“ヒヅミタル”を意識したゆがんだ形の器を美濃で制作した

蒔絵

茶碗以外の工芸品として蒔絵装飾が流行します。
蒔絵とは漆で文様を描いた上から金を蒔く漆工芸の技法です。

蒔絵は高級品として室町時代にも制作されていましたが、桃山時代になると装飾性が高められます。草木などがデザインされた文様は蒔絵は調度品だけではなく、建築部材などにも施されました。

特に豊臣秀吉が関係する建築には金蒔絵が多く施され、秀吉と正室ねねを祀った高台寺霊屋がもっとも有名です。内陣の各所に施された装飾様式は高台寺蒔絵とも呼ばれています。

■ピックアップ作品
・「竹秋草蒔絵文庫」(16世紀)
...高台寺所蔵の蒔絵で,室町時代にはない斬新なデザインと技法が用いられる
・高台寺「霊屋」(17世紀前半)
...秀吉と妻の北政所を祀る建築で,階段や厨子に蒔絵装飾が残る

南蛮船の衝撃

16世紀中頃、長崎にポルトガル船が来航します。
以前は中国をはじめとする東アジア圏での交易が主だった日本にとって、南蛮文化は関心の的となりました。

絵画では来航した異国船や人々を描く南蛮屏風が流行。
イエズス会によるキリスト教の布教が始まると、西洋絵画や版画の技術教育も行われるようになりました。

しかし、キリスト教は豊臣秀吉や、のちの江戸幕府でも禁教令や鎖国といった政策がとられたため西洋技術の定着・深化は図られませんでした。

また、南蛮文化の影響を受けた当時の画風を「初期洋風画」と呼びます。

■ピックアップ作品
・狩野内膳「南蛮屏風」(16~17世紀初頭)
...日本に到着する南蛮船と宣教師が描かれる
・「泰西王侯騎馬図屏風」(17世紀初頭)
...オランダから流入した世界地図や銅版画を手本とする

ナタデココをこよなく愛する旅のひと。