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『響け!ユーフォニアム』感想 アニメと原作(みんなの話)との違い+自分語り

2024年6月30日にアニメ版の最終回が放送されました。僕はリアタイ出来ず、水曜日の配信待ちなのですが、外伝小説の『みんなの話』を読んだ時点での気持ちをメモろうと思いました。

⚠️注意⚠️ 殴り書きなので読みづらいです。また、アニメも最高だと思ったし、原作小説も大好きです。僕がどんな人生が好きなのか。その一点で「原作小説が好き」と言っているだけです。長文が書きたくなってしまいました。

資料も何も見ずに書いているため、間違いがあったらひどいことだ……。

アニメ・原作で共通すること

3年生となり、部長となった久美子は、かつて無い量の相談を受けるようになった。
そして、転校生の黒江真由との価値観の違いに蓋をしたまま、日々過ごしていく。

自由曲の『一年の詩』にはトランペットとユーフォのソリがある。滝先生は確実に北宇治のエースである麗奈と久美子に吹いてもらうつもりだ。

前年度全国大会に進めなかったため、何かを変えるためにオーディションは各大会の前に行うことに。最大3回の選考が行われることになった。
府大会では久美子が、関西大会では真由がユーフォのソリになった。

──そして、全国大会金賞を受賞した。(多分、アニメも)

原作小説では何があったのか

黒江真由は、高坂麗奈とも仲良くなった。
関西大会で真由にソリを奪われた久美子は、自分の居場所が無くなっていく不安を感じていく。
田中あすかのカードを切ったのはその時だった。

久美子は全国大会でのユーフォのソリストを勝ち取った。真由に対しては踏み込まずに終わった。

そっと真由がまなじりを下げる。おめでとう。音のない言葉を、その唇が形作った。

今思うと、少し違和感の残る表現。

これが滝にとってのベストだ。いまの北宇治がもっとも力を発揮できる、五十五人の楽器編成。

今思うと、違和感を覚える表現。

アニメ版では何があったのか

黒江真由は何度も久美子に「やっぱりオーディションを辞退しようか?」と聞き、久石奏によって「侮辱」であることを久美子は認識した。

これは言いすぎだと思ってしまった。黒江真由に久美子のために吹く理由は無いと思う。黒江真由は、あのカメラのように思い出を残すために頑張っているのだ、きっと。

田中あすかのカードは関西大会前に使用した。原作と少し異なるアドバイスをもらう。

麗奈とは部の方針について衝突があったが、真由と仲良くなっている描写はなく、全国大会前に仲直りする。
原作と異なり、オーディションでユーフォのソリストが決まらず、覆面オーディションを再実施することに。
1番目には葉月、つばめなどが、2番目には緑輝、秀一、奏などが手を挙げる。
同数になり、手を挙げていない最後の一人である麗奈によって、黒江真由がソリに決まった。

久美子は覆面オーディションの直前に、真由に対して一歩踏み出していた。何が真由の価値観を作ったのかを理解した。
また、真由もその時に久美子の価値観が決してぶれないことを理解した。

アニメ12話放送時のインターネット

アニメ12話において、Xでは原作と異なる真由のソリに大盛り上がり。体感で、TLにら好意的な意見が8割、否定的な意見が2割くらいで感想が流れていた。

好意的な意見については、まさかの展開に対する驚きと、視聴者にまで「悔しくて死にそう」を伝える脚本への賞賛などが大きかったと思う。

否定的な意見については、久美子と麗奈のソリが聴きたかった、という意見が多めで、後は悔しくて死んでしまった(反転アンチ気味)人や、黒江真由が大嫌いな人などで構成されていたと思う。

僕自身、「物語の完成度」としてはアニメ版の方が良かったと思う。原作小説で消化不良気味だった久美子vs真由の決着がついたことが明確になったことが大きかった。
勝手な改変は武田綾乃先生が許さないと思っていたので、京アニ・花田十輝さんの底力を感じた日だった。本当にすごすぎる……。

感情面でもとても揺さぶられた。エンターテイメントとして、テレビ放送でこれほどのものは珍しいと思う。金ローでは最近やらなくなった『火垂るの墓』くらいかな?

アニ前久美子が英雄になった。その時に僕が思ったこと

真由がソリと決まった直後、部員からは「本当にこれで良いのか?」と不安に思う空気が流れ、真由もその空気に気圧されていた。
しかし、そこで久美子が一歩前に踏み出し、「これが北宇治にとってのベストだ」ということを伝えた。
そして、アニ前久美子は僕の中で英雄になった。


(7/6追記) 黄前久美子のどこが英雄(≒UBW衛宮士郎)なのか

久美子が覆面オーディションを提案して真由に敗退したことについて、自己犠牲ではない、と解釈するのも可能だし、久美子も自己犠牲では無いと言うと思う。実際に自己犠牲のつもりじゃないとも思う。

でも、「久美子は麗奈と吹きたかった?」と聞かれたら「吹けないです」に近いことを言うと思う。
のぞみぞのような圧倒的な差があるわけではなく、真由さえいなければ久美子にも吹くことはできたはず。
それを「吹けないです」と言うことは、自分の理想を実現するため、北宇治の実力主義の筋を通すため、と解釈してもいいと思う。

一方で、UBWの士郎がアーチャー≒自己との対決で導き出した結論は、切嗣の夢見た正義の味方を美しいと感じた自分自身の感情は本物であること、誰かのためになりたいという願いを信じ続けられるなら、後悔はしないという確信。

久美子は士郎みたいな極限状況に置かれているわけではないし、始まりは全然違うけど、到達点はとても似てると思う。
例え辛い道でも、自分の願いを信じ続けて後悔はしないと決めたんだから。

(ただし、この在り方は正しいし理解もできるが、僕が好きかどうかというところでは、そんなに好きじゃないのだ。)


その一日後、落ち着いて考えてみる中で、京アニ作品の『氷菓』のあるシーン(を勝手に改変した内容)が思い浮かんだ。

今年もまたコンクールがやってきた。

黄前先輩が去ってからもう、一年になる。
この一年で、先輩は英雄から伝説になった。コンクールは今年も行われる。
しかし、名演奏に沸く会場の片隅で、私は思うのだ。例えば十年後、誰があの静かな闘士、優しい英雄のことを憶えているだろうか。
最後の日、先輩が残していったこの『北宇治高校吹奏楽部』は残っているのだろうか。
争いも犠牲も、先輩のあの微笑みさえも、全ては時の彼方に流されていく。
いや、その方がいい。憶えていてはならない。何故ならあれは、英雄譚などでは決してなかったのだから。
全ては主観性を失って、歴史的遠近法の彼方で古典になっていく。
いつの日か、現在の私たちも、未来の誰かの古典になるのだろう。

二〇一八年 十月十三日
久石奏

当然、久石奏はこんなこと言わない。

アホな妄想にはなるが、具体的にはこんなことを考えた。

何故か反映されないので。https://x.com/daysulab/status/1804884537954152661?s=46&t=BwhLtXhfzDfFb6KlQNm2NA

『響け!ユーフォニアム』の登場人物は、どのキャラもみんな人格的に良いところと悪いところを持っていたが、アニ前久美子は欠点がない。
悩むことや、演奏能力は人格には関係ない。
アニ前久美子は今後の人生で選択を間違えることがあり得ないと思えた。
急に最強になって、僕の想像以上の黄前久美子になった。

アニメ脚本の物語は完璧で、本当に感動したけど、原作の黄前久美子の弱さが人間らしくてとても好みだった。
「なぜ全国大会のソリが私だったのだろう」というしこりを抱えながら、麗奈とのソリの思い出や、全国金の写真に思いを馳せながら、原作の久美子は生きていく。
(とにかく、全部僕が勝手に思っている妄想。)

畢竟、僕の人生観としては、自己犠牲はあり得ないのだ。
ほとんどの人が以下の行動原理で動いていてほしいと思っている。
なるべく幸せになりたい。そのために必要なことはなるべくやる。
誰かのために自分が不幸になることはしない。
誰かのためになって、かつ自分が幸せになるならやってもいい。

そういう気持ちで生きてきたことが分かった。
そこが分かっただけでも、この『響け!ユーフォニアム』という作品が僕の人生に与えた影響は大きい。

2024年6月27日発売の『響け!ユーフォニアム 北宇治高校吹奏楽部のみんなの話』を読んで

実は、前節の感想は6月23日のもので、まだ『みんなの話』は読んでいなかった。
なので、その時には「アニメ版が好き」「原作小説が好き」の考えは浮かんでいなかった。

この本を読んで、僕は「原作小説が好きだ」と思えた。
具体的に何があったのかはネタバレになるため言わないが、僕が黒江真由に対して確信を持てなかった心の中が全て書いてあったのだ。

何故か反映されないので。https://x.com/daysulab/status/1806586097272840258?s=46&t=BwhLtXhfzDfFb6KlQNm2NA

僕が思った、「成人式で笑って再会できるか?」ということについて、黒江真由も同じことを考えそうなのだ。
これはまだネタバレになっていないと思うので許してほしい。

この気持ちは、2024年の僕だけが感じた気持ちで、万人に受け入れられる気持ちでは無いと思いつつも、「わ!僕の心の中に黒江真由がいたのかも……!」と思ってしまった。

実際に、アニ前久美子が「成人式で笑って再会」出来ないとは思っていない。
恐らく久美子はあの判断について、一生後悔することはないし、黒江真由は成人式だけでなく同窓会にも度々呼ばれて、笑顔で過ごせるだろうと思う。
でも僕は、後悔しないアニ前久美子が英雄的で、凄く悲しい気持ちになってしまった。Fateの衛宮士郎みたいじゃないか……と。

原作の久美子は結局のところ、黒江真由に負けたのだ。オーディションには勝ってソリになって、麗奈と吹く思い出を残すことが出来たが、久美子の気づかないところで黒江真由には負けていたのだ。

アニ前久美子は、黒江真由に勝った。オーディションには負けても、黒江真由には勝ったのだ。

勝ち負けで表すべきではないかもしれないし、それで全てが決まるわけではないが、どちらがより相手を見ていたか、という観点ではそのようになっていると思った。

ユーフォアニメ版が良かったのは12話の久美子の演奏家としての敗北/指導者としての誕生だが、
そういう描かれ方をしてしまったからこそ、アニメ時空で全国大会後に久美子が演奏している姿は想像し難い。

僕が原作小説が好きなところは、卒業間近にもユーフォの演奏を続けていられる点。僕は、久美子に指導者として頑張って欲しいと共に、ユーフォも変わらず吹いていて欲しいと思っている。強欲だが、それは原作の真由も思っていることのはず。

アニメの指導者全振りの久美子も見てみたい。もしかすると、原作久美子は指導者として金賞を取れないが、アニメ久美子は取れる、ということもありうる。それでも、例え金賞を取れなくても人生は楽しいことは南中カルテットが示してくれている。

とりあえず、『みんなの話』最高なので読んで!


(7/1追記) 黒江真由にとっての「写真」

また、黒江真由にとって「写真」が何を意味するのかについても、『みんなの話』の内容から推測することが出来る。しかし、一つだけ自分の中で飲み込めていないアニオリがあるので、それについて書いておく。

原作アニメ共に、黒江真由は自身が写らずにクラスメート・部員たちの写真を撮り続けていた。
そして、一点だけ異なるのが「現像失敗」だった。
府大会でソリに選ばれた久美子は、心の余裕があったのか、真由もプールに誘った。
その後、久美子と真由二人の会話が挿入され、最後にみんなで真由のカメラで写真を撮った。
その翌週、現像したそのほかの写真を見せる中で、真由が唯一写っているはずの集合写真が無いことに気づく。そして「現像失敗」。

7話終盤の「現像失敗」は、久美子だけでなく、視聴者も冷や汗をかいた。

これについて、当時は宣戦布告と捉える向きもあったが、本当に失敗した可能性も高い(≒伏線であるとすると、12話時点では回収されていない)。
集合写真は解散間際の夕方だった。レトロカメラでの暗所の撮影は失敗しやすいものだが、本当に失敗したのだろうか……。あがた祭りはもはや夜だが、無事現像に成功している……。

黒江真由の行動が、意図的であるかそうでないかについては意見が分かれるポイントだが、アニメの久石奏は「侮辱している」と言ったように意図的であると考えている。僕もアニ真由については、無意識でも意図的に近いと思っている。
一方で、原作小説では奏が「侮辱」と言う展開も無く終わっており、意図的ではないのではないか。

原作の真由は転校が多く、小学生の頃の経験からも一人の友人に執着することをやめている。性格は今と変わらず、幼少期から"クラゲ"であったとのこと(何てことだ……)。
「ゴール」を第一に考えているため、北宇治でも卒業式・その後の同窓会を見据えて行動しており、写真を他人に撮られることにも執着しない。
作中でも、自分の性格・スタンスが一切ブレることなく、所望の結末までたどり着いた存在強度が怪物級のキャラクター。奏も畏敬の念を覚えるレベル……。
他人に救われたりする隙がないキャラクターによるドライな人との関わり方は、現実では散見されるものの、精緻なプロットを作る小説のような創作物では現れづらい。
武田綾乃先生の想定から外れた行動をしたのは真由だと思う。

またしても埋め込めなかった。https://x.com/ayanotakeda/status/1099978733367189504?s=46&t=BwhLtXhfzDfFb6KlQNm2NA

アニメの真由は「転校が多い」描写も無く、アニオリで中学の頃に実力差から友人がユーフォを辞めたという新しいトラウマ(隙)が付与されていた。
作中でも、1年生時の久美子と同じように、石橋を叩くように慎重に人と関わるキャラクターになっている。「他人に嫌われたくない」という気持ちが原作より強いため、誰の写真を撮るか、誰と写真に写るか、まで考えて行動しているのではないか。

この考えから、アニメ版の真由には夏の時点では集合写真を残したくない気持ちがあったと思った。
真由が思い出として残す写真に、その時まだ喧嘩別れする可能性がある久美子と並んでいる集合写真は含めたくなかったのではないか。
そして、アニメの最終回で含まれているかはまだ見ていないが、同じように真由が写った写真を撮った後、「今度は現像に上手くいったよ」と言いながら、久美子に二人並んだ写真を渡して欲しい……という妄想をしている。(何でも良いから久美子と写っている真由を見たい)

久美子の性質としても原作が好みなのだが、実は真由の性質としても原作の方が僕の好みに合うかもしれない……と7月1日に思った。

(メタ的な補足) 真由のキャラクター設定については、アニメ版が妥当だと思われる。原作では明らかにレベル設定を間違えたことによって、武田綾乃先生の想定から離れた動きを見せた。原作小説は、当時から「消化不良」という感想が散見され、武田綾乃作品の中でも珍しいことだった。アニメでは、オリジナルの"隙"を追加することでようやく久美子と対等に戦えるようになった。
原作の真由と同じレベルに到達したのは田中あすかで、大学に進学してから隙がなくなっている。1年次のオーディションで香織に拍手をしなかったのにシェアハウスをしていたり、全国大会の久美子達に会いに来なかったりする田中あすかは、高校生の頃とは別のレベルにいる。全国大会の演奏は聴いているが、黄前久美子には会わないのだ。
原作の真由は大学生の田中あすかと同じように、必要の世界で生きている。


終わりに

以上が、まだアニメ最終回を見ていない僕の気持ちです。

誰も読んでいないnoteなので、殴り書きのような内容になっているけど、数年後読み直しても恥ずかしくならないといいなと思っています。

最終回見る前に思ったことメモ
「田中あすかは久美子に会ったら何を伝えるのだろう」
「塚本秀一は、英雄・黄前久美子についていけるのだろうか──────。」


「アニメの黒江真由は悪い男には引っかからないだろう。最高にかっこいい黄前久美子に似ている男を探すはずだ。じゃあ、原作の黒江真由は……?うーん、久石奏と結婚してくれ」
「OPに出ているのに本編でまだ出てきていない小笠原先輩は……?」

(7/3追記) 最終回を見て

やっと配信されて最終回を見ることができました!
久美子世代の長い長い3年間、そして京アニスタッフにとっても長かった10年弱が終わりました。


全国大会前は、「先輩から後輩へ」引き継がれるものを見せていた。
梨々花は『リズと青い鳥』と同じようにダブルリードの作り方を後輩に教えていた

糸巻きの工程

久美子たちはピリピリとした空気から解放され、約1年越しであすか先輩の『響け!ユーフォニアム』を後輩に伝えた。

よかったね

大会当日、久美子に声をかけたのはやはり香織先輩と小笠原先輩。田中あすかは声をかけない。

また、緑輝は名残惜しむ求に「笑って欲しいな。求くん、カッコいいんだから」と伝える。緑輝と求の話は原作でもアニメでも多くは語られていない。こんな関係・物語が久美子以外の全員それぞれにあるのだ。

顎クイ緑輝、眩しすぎる。ちかおなら死んでいた。

一年の詩は、00:11:00〜00:17:10まで。麗奈と真由の掛け合いを、久美子が香織先輩のような顔で聴いている。秀一、奏の顔も映る。これが正しい、北宇治高校吹奏楽部のあるべき姿だ……。
演奏中は1〜2年生の頃の映像がややランダムに挿入される。色々な話があって、視聴者も含めてみんなが色々なことを考えた9年間だった。

ラストは声音を大きく変えた黄前先生が滝先生のように自己紹介をする。そして、次の曲が始まるのです!


(7/3追記) 終わりに・続 自分語り

最終回を迎えて、もうユーフォに続編は無いのだと分かった。『立華』や『みんなの話』など、映像化可能な作品は他にもあるが、残したものが何も無いため、製作されないだろう。
原作のように、vs真由が解消していなければ有り得たかも知れないが、アニメは解決している。

自分語りになるが、2015年は東京の大学生として生活していた。『響け!ユーフォニアム』は京アニがアニメ化すると聞いて観て、原作を読んだひとりである。
それまでは「ギスギスしたアニメだなぁ」くらいだったのだが、1期8話は衝撃を受けた。

その後、大学院で宇治に進学した際に、「そういえば宇治と言えばユーフォか。暇な時に聖地巡礼しよう」と思ったら、なんと住んでいたアパートや大学院のキャンパスから、北宇治高校(莵道高校)が見えたのだ。

ユーフォ劇中でもたまに挿入される風景に、宇治大学京都のキャンパスや僕の家(旧)が描かれていた。

そこから、指導教官の教授や周りの学生にもユーフォを勧めたり、東京から来た友達と聖地巡礼したりしたものだ。
ちなみに、奨学金が出る8月までの短期ではあるが、黄前相談所として有名なサイゼリヤ宇治里尻店でバイトしたりした。トビケラに襲われながらチャリを飛ばしたり、夕方は真っ暗で転びかけたりもした。どれも京アニの描写のとおりである。

2019年に『誓いのフィナーレ』が上映されたので、友達とどこが聖地か探したりした。6月の宇治でお祭りフェスティバルも当時は簡単に参加できて、3年生編制作決定の缶バッジをもらったりした。

袋からも出していない宝物。池田晶子さんデザインの黒江真由。
宇治の文化センターにて、キャストの皆さんにもサプライズで発表された。この時は驚きと嬉しさばかりで、未来のことは何も知らない。

2019年の夏、カナダのモントリオールの学会に参加していた。指導教官の指導教官(祖父である)にあたる人と話した際に、まさかのユーフォファンであることが判明、また宇治に遊びに来てくださいと話をした。
その翌日、カナダ時間の深夜にスマホをいじっていたら、大変なニュースが目に入った。あまりのことに現実感が無く、そのままふわふわした気持ちで学会に参加した。
帰国時にはまた祖父教官に会い、大丈夫か聞かれて、「現実感が無いので、帰国してから改めて確認してみます」と話をしたのを覚えている。

僕は京アニに知り合いはいないが、住んでいたのが黄檗なので、すぐに火災現場にたどり着けてしまった。帰国時に京阪に乗っていて、六地蔵駅のあたりで目に入ってしまった。勘違いかも知れないが、黒い建物と燻る煙のようなものが見えた。

さらにそこから5年。僕は大学院を卒業し、東京で社会人として働いている。ユーフォの時間が止まっていた間に、僕も結婚して子供が産まれている。
ユーフォの舞台設定は2015〜2017年と言われている。(宇治川の花火大会があったのは2013年までなので、2013〜2015とする説もあった)
ユーフォ3の最終回Cパートでは、コロナ明けと思われる北宇治高校で吹奏楽部の副顧問として活躍する黄前久美子先生が描かれていた。

護岸工事を終えた久美子ベンチ周辺
煙突は1本になっている。
コロナ禍に使用していたと思われるアクリル板

黄前久美子は2018〜2022年に大学生で、2024年は社会人3年目だと思われる。それなら田中あすかはおそらく、僕と同じ社会人5年目だろう。京大法学部卒で、仕事は何をしているのだろう。もしかしたら結婚したりしているかも知れない。

アニメ『響け!ユーフォニアム』は終わるが、キャラクター達は今も現実に生きているような感じがする。それは現実と遜色ないクオリティの背景美術の賜物である。
このような体験を今後もたくさんできると嬉しいので、京アニの次回作も楽しみに待ちたい。Blu-rayなどのグッズも購入して、少しでも助けになれば……!


(7/4追記) 反応していただいた記事への回答

僕が「『みんなの話』を読んだ上で、この記事の感想を聞かせて!」と頼んだら、ツイッターどころかnoteでしっかりと書いてもらった。ありがとう!

早速感想から入る。
まず、「久美子の行動の意味」は、流石の整理だった。

この回は、北宇治高校吹奏楽部においても、非常に大きなターニングポイントだった。というのも、北宇治高校の実力主義はこの場で始まったと言っていいだろう。

これはその通りで、1〜2年次は全員に浸透しているわけではなかった。
『響け!ユーフォニアム』のメインテーマとして、この"実力主義"があると解釈するのも理解できる。
また、今回の再オーディションについては、久美子は部長としての役割も抱えているため真由と比べて練習時間も取れておらず、ある意味自然な結果となったと言える。
また、アニメの黒江真由は"麗奈に出会う前の黄前久美子"という解釈も同意する。(一方で原作の黒江真由は"進藤正和に会いたい田中あすか"に近いと思う)

ここで久美子がソロになれなくて、それでも結果を肯定したことだけを見ると確かに彼女の行動に自己犠牲的な側面を感じることも可能だろう。だが、ここには北宇治の実力主義の物語しかない。

で、案の定というか、僕が引っかかるのはこの部分だった。
もちろん、物語としては非常に自然で、アニメの展開は1ミリも間違ってない、"正しい物語"だと分かった上で。

アニメの久美子は実力主義を示す(筋を通す)ことが第一になっているので、感情移入せずに見てみれば、「思い出は?あなた自身がやりたいことは?実力主義も大事だけど、自分自身も大事にしていいんじゃない?」と問いたくなってしまう。
この気持ちが原作及びアニメ11話までの黒江真由、また奏や秀一など周囲の人達の本心に近いんじゃないかと考えている(もしかしたら、武田綾乃先生も?) 。

もちろん、強調するようにアニメの久美子の判断を尊重した上で。

彼女はその選択肢を悔いることはないだろう。これを悔いるということは、彼女の三年間の全てを悔いることに等しいのだから。

そして、この部分については、僕も本記事で似た内容を書いているように、その通りだと思う。
しかし、やっぱりここでも、"筋を通す"ために自分の気持ちに蓋をしていないか?と心配な気持ちになるのが、久美子の外から見た気持ちである。


反応記事を書いてくださった著者(Arcueidさん)は久美子に感情移入している。だから久美子の判断について否定的な感情は浮かばない。
そして、外から見た気持ち(僕の意見や真由の配慮)も、「私がこうやるって決めたんだから、見てろ!」という気持ちがある。指摘された時はおそらく少しイラついたりもするだろう。
例えるなら、「私は大学は物理学科に行くと決めた!先生の薦める就職にいい工学部?親の薦める手に職付けられる薬学部?知ったことか!私の人生だ!」という感じ。これは当然の反応だと思う。

では、彼女は死ぬ間際に幸せになれるのか。

それが、どうしても私には想像できなかった。

というのも、彼女は徹底して他者を求める存在である。彼女自身が作中で語っている様に、彼女は恋人などどうでも良いのだ。彼女が求めているのは友人であり、彼女が悪い男と付き合いそうというのはその点にある。詰まるところ、セフレを求める様なタイプの男性が好みなのだ。

そして、この感情移入があるからこそ、次の「みんなの話」の節では、かなりコテンパンに原作真由をこき下ろしている。

久美子が人生を賭けるほど真剣にやっているところで、原作の真由が水を差すようなことをしたらしいことがわかったら、「そんな根性でやってたら売女のような人生になるぞ」と言いたくなる。
彼は腹が立つかも知れないが、僕はこの記事を書いてもらってめちゃくちゃよかったと思ってしまった。原作の久美子も後々、例えば奏と居酒屋で話していた時にふとその事実を知ってしまった時に、そんなことを思うんじゃないかって。

最後に、僕は妄想の翼に乗り、真由側に立って返答する。
原作の真由は久美子を侮辱したわけではない。真由は本当に、「真由がソリストになること」よりも「久美子がソリストになり、麗奈との思い出を残すこと」の方が大事だったのだ。

真由は出来る限り、自分の求めるゴールに辿り着こうとする。
ソリストを譲るなら奏にも譲ればいい、という意見については「全国大会に進むためには、私がユーフォ奏者としてオーディションに通る必要がある」という判断。
ソリストを譲ることについては、「久美子が吹いても私が吹いても全国金を取れるだろうから、私がソリストになる必要はない。それよりも、久美子と麗奈のソリが思い出に残った方が良い」という判断。
真由は必要の世界で生きている。上でも書いたように、田中あすかと近い精神性である。

正直言って……心の底からどうでも良いよ。誰がソロとかそんなくだらない事。

ユーフォ1期 10話より。これは、"合奏"が好きな府大会前の田中あすかの本心でもある。この後、どうでも良くは無くなったのだが。

もちろんここまでも妄想だが、きっと黒江真由はそう考えた。
僕が過大評価しすぎている可能性はもちろんあるし、黒江真由がハッピーエンドにたどり着けない可能性ももちろんある。

それでも僕は、黒江真由は幸せになると思う。
ゴールを第一に考えて行動出来る真由は、周囲を笑顔にすることに尽力する。
当然、恋愛についても、ある種真似事のような形にはなるかも知れないが、ゴール≒写真に残したい風景(家族○人で田舎の一軒家で仲良く暮らす…など)を実現するために尽力する。
(恋愛はともかく、結婚になると冷静な方が上手くいくことが多い。)

ずっと妄想を語っていたが、僕は原作の真由にぞっこんになってしまった。
願わくば、大学で黒江真由が彼女の想像を超える男子と出会えることを。

アニメの久美子が"北宇治の実力主義"が好きなように、原作の真由は"北宇治の思い出"が大好きなだけの一人の女の子なのだ。決して久美子の敵ではない。

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