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失敗って、なに?

先日、社員のなっちゃんが国分寺の哲学カフェに参加してきたと言っていた。

参加者同士で話しあわれたテーマは「失敗って何?」だったそうで、その話を聞きながら、『これまでの人生で考えたことなかった』なんて思った。

彼女は「日常で当たり前に使いまくっている言葉」に疑問を持つ人で、自分なりに紐解こうとする。

私は彼女と話すたびに『あーそこまで考えたことなーい』と深く考えるきっかけをもらえるのだ。(余談だけど、疑問を持てる力って才能よね)

私だったら、なんて解釈するのだろうなあと考え続けること約2週間。

それこそ、「失敗は若いうちに」なんてよく言われたし今私も言ってしまっていて、でも基本的には誰も失敗したくないし、失敗の仕方もわからないよな。

わからないのに、「どんどん失敗しな! 責任は持つ!」なんてことを言ってしまっていた。反省。

考え始めて1週間は、失敗とはピノキオの伸びた鼻を削っていくためのものだと考えていた。

車の運転と一緒で、慣れた頃に人は事故を起こす。

仕事も、最初こそ緊張感たっぷりなわけで、準備しても準備しても心がソワソワしたものだけど

インタビューでいえば初めの挨拶から最初の質問までのすべての言葉を台本に書き、そこには(ここで録音ボタンを押す)なんてことまで書かれていて、そこまでしても緊張して挑んでいたものだが、「もう大丈夫かな」と思った次の回は必ずなんか忘れてたりなんかスムーズにいかなかったりする。

準備は大切よね、と思って次にまたいつもより準備して、そんでまた慣れて、また足らなくて、また気持ちを入れ直して……(エンドレス)

調子に乗らないために、謙虚でいるために、「すごいでしょーー」とニョキニョキ伸びてきた鼻をギコギコと減らすために、人は失敗するのだと考えた。

そう考えると、私にとっての大きな失敗ってなんだろう。
うーん……絶対いっぱいあるんだけど、思い出せない。なんだっけ。失敗、失敗……

そんなこんなで、失敗を考える、2週間目を迎えた今日。
眉毛サロンの施術中に明確な失敗を思い出した。

眉毛を剃りすぎた時と、前髪を切りすぎた時だ。
これらはまごうことなき失敗だ。ふざけてないから聞いてくれ。

しかもこれ、自覚だけじゃなくて人から見ても失敗の場合が多い。中学生の頃なんて、前髪決まらないだけで学校休んでたから大ごとだ。

これらがタチ悪いのは、自ら反省したところで今日明日でリカバリーできるものではない。

下手したら2〜3週間響くわけで絶望。

そこから必死で、眉毛であればアイブロウペンシルを新調したり、眉ティントしてみたり、眉毛の美容液を塗ったりする。

前髪であれば、かわいいピンを付けてみようか、帽子を被ればいけるか?、コテで巻けば誤魔化せるんじゃないか、もはやアシンメトリー!?(さらなる危険臭)と試行錯誤する。

この時の「どうにかする力」ってマジすごいよねって思ってて、それこそ文字通り必死。

鏡を見るたび自分を嫌いにならないように、あらゆる可能性を模索してトライしてやってみて、を繰り返すんだもんな。

なるほど、そうすると、「失敗しなね」と大人が言うのは、別に本当に失敗して欲しいわけじゃなくて、失敗はリカバリーできることを知って欲しいということなのだろうか。

2週目の着地点としては、自分にがっかりしない力を養うことなのかな、と思ったりした。



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