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終末期リハビリテーションの価値

以前も少し書いた大豆取りと選別がようやく終わりました。
ほっぽらかし農法(?)で三代目。
なんと5kgも収穫できました。
来季も楽しみです。


今日のテーマは「終末期リハビリテーション(以下リハ)の価値」です。
前回、余命わずかな方へのリハについて触れました。
「書いて表現する」

終末期もいろいろなものがありますが、特にがんの終末期について書きたいと思います。

私は病院で作業療法士(OT)をしています。
私自身、家族をがんで亡くした経験があるので医療者側、当事者側の両面を意識して書いていきたいと思います。
(OTについてご存知ない方はこちらもぜひお読みください)
「作業療法(OT)とは」

総合病院なので多くのがんの方をみてきました。
緩和ケア病棟も担当したことがあります。
緩和ケア病棟とはがんの治療はせず、心身の痛みをケアすることに特化した病棟です。
よくホスピスと混同されやすいのですが、ホスピスは亡くなる最後まで過ごす場であるのに対し、緩和ケア病棟は基本的に心身の痛みが落ち着いたら退院を目指す場所です。
いずれにせよ、余命わずかな方ばかりを担当するため立て続けに亡くなってしまうことも多く、タフさが必要な仕事です。
ただ、患者さんは更なるがん治療を選択せず終末期を迎える覚悟が概ね決まっているため、セラピスト側も覚悟を決めて関わることができます。

終末期リハはご本人の機能が落ちていく様子を目の当たりにするため、回復していくリハをイメージする方にはしっくりこないことも多いようです。
でも私は終末期リハは大きな意味があると考えます。
100人いれば100通りの人生があり、100通りの最期があります。
自分の生き方に納得できている方もいらっしゃいますが、後悔や死への畏れに苛まれる方も多くいらっしゃいます。
セラピストは相手の思いを受け止め、ただ側にいることができる存在です。
もちろん看護師や医師も同じ役割ができますが、セラピストはリラクゼーションなどで身体を緩めるのが得意なので身体を診ながらゆるやかに、共に時間を過ごすのにとても適した存在だと思います。

様々な思いがぐるぐると巡る中、その訴えを受け止めて側にいる。
それは簡単なようで非常に過酷な仕事です。
しかしその中で患者さんは思いが徐々に整理されていく。
その助けができることは大きな経験となります。
もちろん動作の練習をしたり、環境を整えたり、アクティビティをしたり…と色々な援助をしますが、一番大きなことは「そばにいる」ということなのではないかと思います。
私の緩和ケアでの経験はわずかですが、大きなものを得ました。

うまくいくことばかりではなく、何もできない無力感に打ちのめされることも多々あります。
しかし徐々に死が近づく方を前に、何ができるのか…ということを考えることは自分自身を深めることにもなると感じます。


そして緩和ケア以上にしんどいのはがんの終末期で治療を継続されている方だと思います。
治療を継続するということは改善を諦めていないということです。
しかし終末期まで進むと改善の可能性はかなり低くなります。
その中でご本人は衰えていく。
急に悪くなる方もいらっしゃいます。
そしてセラピスト側もかなりのダメージを受けます。
特に経過が長い、まだ元気な頃から関わっていた方だと尚更です。
でも長く関わるからこそご本人との信頼関係も築けていることが多く、深い関わりができます。
ここまで深く人と関われる仕事は少ないのではないでしょうか。


終末期でリハに取り組む方へ。
対象者と向き合う中で自分自身の中に色々と溜まっていくものがあると思います。
それを出せる相手は限られると思いますが、ぜひ思いを吐き出してください。
そうすることでその価値ある仕事を長く続けられるようになりますし、出すことで客観視できます。

数字として結果が出にくい終末期リハですが、その価値が世の人に伝わるよう、これからも発信していきたいと思います。

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