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年齢は概念

今年度の大豆は本当に申し訳ないくらいほっぽらかしでだいぶ弾けてしまいました…。
そして昨年度の倍くらいの虫食いです。
趣味なので虫食いでもあんまり腹も立ちません。
「おいしく食べてるなぁ、ちょっとは残しといてね」という感じです😅


今回のテーマは「年齢は概念」
先日、40歳になりました。
いわゆる不惑という歳です。
自分が10代、20代の頃には随分先のように感じていたのですが、案外あっという間でした。

年齢ってほとんどの方が気にしますよね。
自分を構成する要素(性別、出身地、学歴、家族…)の中でも最も強い影響力を最もものの一つかもしれません。
「〇〇歳だからまだ早すぎる」
「〇〇歳だから足腰痛くなって当然」
「〇〇歳の割に元気」
などなど…。


でも正直言って年齢は数字に過ぎないなぁ、と30代後半くらいから思うようになりました。
同じ年齢でもメチャ若い人がいる一方でやたら老け込んでいる人もいる。
年齢が若くてもとても素晴らしい人格の人もいれば、どんなに年配でも全く尊敬できない人もいる。
だからこそ年齢は単なる目安程度の情報だと思います。


他者をみる時は年齢という物差しは便利です。
「〇〇歳ならこの年代で20日ではこういうものが流行った時代だな」という思考で患者さんとよく話します。
(思わぬところから馴染みのあるワードが出てくるとうれしくなるものです)
とはいえあくまでも最初の推測に使う程度にしておかないと痛い目に遭います。
人を年齢というカテゴリーにステレオタイプ的に当てはめてしまうとごく限られた部分しか見えなくなってしまいます。


そして自分を見る時に年齢はほとんど役に立たないように思います。
年齢で自分を認識する時はどちらかというと縛る方向に行きがちです。

「まだこんな歳だから…」
「もうこんな歳だから…」

とブレーキをかけること、けっこうありませんか?
行動にブレーキをかけるだけでなく思考にもブレーキをかけてしまいがちです。


40歳ともなると社会的にもなかなかいい歳です。
でもそれは外から見た話。
自分から見た場合、年齢という数字はあまり意味を持ちません。
自分が何をしたいのか、どう行動するのかな、ただそれだけです。
残りの時間を計算しても仕方がありません。
明日死ぬかもしれない中であれこれ考えても仕方ない。
考えてもいいですが、あくまで「今何をするか」ということからフォーカスをぶらさない方がいいと思います。
先を考えたとしても、あくまでも今から連続性のある先です。
未来に振り回されず「今何をするか」に集中する。
その先に「あー、おもしろかった」と心から言える最期の日が来るのだと思っています。


ちなみに…自分で言うのもなんですが年々パワーが増しているのを実感しています。
OTしつつ「めぐりや」もやって子どもを育て、畑を耕しジチカイチョーをやり、イベントを企画して勉強もして…。
我ながら「どんだけ動き回るんよ…」とツッコミを入れたくなります。
その原動力は全部やりたくてやっている、ということとやはり「自己管理」なんですよね。
どうすれば心身ともに良い状態でいられるのか、が徐々に分かってきました。
ある意味今が一番健康なのかもしれません。
だからこそ、この「智慧」ともいうべき私の持っている知識・技術を困っている方に役立ててほしいと思い、「自律整体めぐりや」をやっています。


今は月一回の出店ですが、やりたいことをやれる心身を皆さんにもぜひ手に入れてほしいと思います。
(また日が近づいたら出店情報をシェアします)
せっかくならこの人生、やりたいこと目一杯やりきりましょう😊

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