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#80 「死にたい君」と生きている

うつ病になる以前から死にたいと思うことは多いし、うつ病になってから希死念慮という言葉も覚えた。
でも、こういう話は相談事と銘打ってもあまり口にできる内容ではなかったりする。ただ、1人で抱えるにはあまりにもしんどくて、きっと伝えずに実行したら怒られちゃうんだろうなと勝手に思ったりもする。

5月の最後の週あたりから頭の中に「死にたい」という気持ちや生きているのが辛いという感情が浮かぶようになり、徐々に脳内を洗脳するようになった。
今回は、こういう感情や希死念慮のことを「死にたい君」と呼ぶことにする。少しはポップになるかな。要するに、僕は頭の中で「死にたい君」を飼っている。

死にたい君は、最近とても目立ちたがりで要らぬところでよく出てくる。以前は、眠前の暇な時間とかメンタルの調子が特に悪い時とか嫌な時があった時とか時間やタイミングを見つけて顔を出していた。でも、最近はなんか常にいる。暇な時とかはもちろんだし、バイト中とかゲームしてる時とか。集中してる時は、あまり出てこないかも。でも、少しでも余裕を見せると真っ先に頭の中を暴れ回っている。キレと瞬発力が良いのだ。

死にたい君は、ネガティブなことをせっせと持ってやってくる。きっとうつ病と仲が良い。嫌な記憶、僕よりも優れた比較対象、嫌なこと、もの、人、などなどジャンルに問わず様々だ。最近は、「お前は生きてなくてもいいんだから死んだら?生きててもしんどくない?」と肩を組んでくるようなノリでやってくる。彼は、きっと性格が軽い。

でも、死にたい君には仕事がある。
それは、僕に心の不調を訴える危険信号の役割だ。「死にたいと思うくらいお前の精神状態やばい状態なんだぞ。」って知らせに来てくれてるんだと思う。彼は、実は良い奴で僕を守るために現れては体の不調を訴えてくれる。時には、うつ病を引っ張り出してきて強制的に体を動かなくされてベッドに誘導したり、寝させたり、あの手この手を使ってくるんだと思う。

だがしかし、生きるのに疲れきってる僕はそれがデフォルトかのように死にたいを抱えながら生きてしまっている。慣れって本当に怖いなとうつ病になってから度々思う。さっき、肩を組んでくるなんて表現をしたけれど、振りほどかず受け入れてるのは今の自分なのだ。

死にたい君とポップに言ったが、これは僕の中にある希死念慮や死にたいという少しの願望や自分の人生に対する諦めやその他諸々だ。でも、生きているというのはきっと死ぬには足りない勇気や残っている未練や思い浮かぶ誰かの顔があるからなんだと思う。

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