見出し画像

『余裕』と『余剰』

余裕
〘名〙 余りがあってゆたかであること。 ありあまること。 また、ゆったりとしていること。

余剰
〘名〙 必要な分を除いた余り。必要以上の余分。残り。

大きな違いがある。
余裕は必要。余剰は無くても良い。そんなニュアンス。

なんだか、自分にとっての『余剰』はなんなのか。『余裕』としていたいことはなんなのか考える。

人生も折り返し地点目前となった今。
自分の人生に必要な最低限はすでに手に入れたし、手に入れるために奔走したり、努力したり、時間を使ったりした。

俺には何が必要なのかを考えるが答えは自分の中でしか無いし、『余裕』も『余剰』も後からラベリングするものだと気づいた。


地価

先日、日本で1番土地の値段が高価い所へ行った。
銀座の山野楽器付近だ。
普段自分が住んでる辺りだと400坪→およそ1320平米の値段で1平米買えないらしい。
単純に価格差1300倍以上だ。
その価値はどれだけ沢山の人が欲しいかで決まる。と、おもう。
ここ最近は転売だなんだで、欲しい人欲しがる人のバランスで価格が乱高下してる様な気がする。
ある種正しいとも思う。
みんなAmazonの商品の値段てずっと一緒じゃ無いって知ってた?
あれって、ウチじゃこの値段だけどどう?買う?って聞かれてるんだよ。
気付きにくいよね。


若さと時代

人生折り返し目前の民である俺は先日、自分の年齢の半分にも満たない連中とライブする機会があった。
よく『こわい物知らず』と揶揄、比喩される事が多い若人だけど、あれは違うな。
『何も知らない』んだと思う。
今じゃ何にでもハラスメントとつけて規制したり、何もできない様にしてる。
学校で人道外れた事をしても大人にも親にも殴られなきゃ何も学ばないと思ってしまう旧式の人類なんだな。俺は。

しかしながら『無知』は武器だ。
何にも縛られない音楽は全く新しい物なのかもしれない!と期待した俺は演奏を待った

コピーバンドでした。
無念。

っつかめっちゃ縛られてたわい。
楽器を弾く欲求の1番の理由を忘れていた。
そして思い出した。

何処からか聞こえてくる
散歩していると何処からか聞こえてくる音楽がある。
TVからオーディオから、はたまた楽器を練習している。
そんな音。

近年、後者2つが減った気がする。
これは音楽を聴いているな、ピアノ、バイオリンを練習しているなっていうのは壁越し窓越しでも音圧で大体わかる。
別に覗きゃしないし、歩みを止めたりもしないけれど。
わかる。

それが減った。
住んでる場所は勿論変わったけれど遭遇率に大した差はない様に思っていた。
でも、減った。と思う。
別にこれに大きな意味なんてないし、何とも思わないけど、耳が悪くなっているのかもと思うと恐いし、キャッチできるアンテナが弱ってきたのかもと思うと少し気が引き締まる。

自分のアンテナは自分でどうにかするしかないもんね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?