「受験」に対するわたしの様々な思い


 ↑ 大学受験についてははてなブログの方でも何回か書いてきたし、今回書くことも上記の記事などで書いてきたものと被る部分がある。しかし、朝起きて「今日は何を書こうかなあ」と頭をめぐらしていると、ついつい受験について書きたくなる。それくらい受験というものはわたしの人生や価値観に影響を及ぼしているし、わたしは受験というものが嫌いなのである。


 東京の街を歩いていてうんざりさせられることの一つが(東京の街にはわたしをうんざりさせることがいっぱいあるのだが)、予備校の多さだ。京都にも予備校はあったかもしれないが、東京のすくなくとも都心部にはほんとうに予備校が多い。それに、小中学生向けの塾も多い。いま調べたところ人口一人あたりの学習塾の数は東京よりも京都の方が多いらしいのだが、それはそれとして絶対数としては東京の方が塾が多い。

 予備校や塾が入っている建物は、玄関口や看板などで必ず「進学実績」を掲示している。それも当然で、そこに通うことで通わなかった場合よりも良い大学や学校に入れるようになる、ということが予備校や塾のセールスポイントであるからだ。しかし、「なんで、わたしが〇〇大学に。」だとか「〇〇高校に〇〇人進学」だとかの字面を見るたびに、わたしは無性につらくて悲しい気持ちになる。

 理想論としては「大学」というものに「ランク」はないはずなのだが、予備校の広告は、日本における大学というものが旧帝大や早慶などの「目指すべき大学」とそうではない落ちこぼれが行くべき大学とに二分されているという事実を突きつけてくる。そして、小中学生向けの学習塾の広告は、年端もいかない子どもたちですら「ランク争い」の世界に巻き込まれているという現実を示すのである。たとえばどこかの学習塾の玄関口に中学男子校や女子校の「御三家」に何人受かったかという広告が掲示されているのを見ると、そこの塾に通いながら「御三家」に受からなかった子どもたちの姿を想像してしまって、気の毒になってしまう。


 わたしが小学生のころに京都で中学受験をしたときの事情は以下のようなものだった。まず、基本的には「目指すべき中学」は洛南や洛星、あるいは立命館や同志社などとなる。わたしが通っていた塾だと、洛南や洛星は難し過ぎて誰も狙えなかったが、立命館や同志社程度であれば受かるかどうかは五分五分、という子どもが多かった。しかし五分五分ということは落ちる可能性も十分に存在するということだ。立命館や同志社に落ちたからといって公立の中学校に通ってしまったら受験勉強にかけた時間と塾に払ったお金が無駄になってしまう。だから、どの子どもも、本命の中学と並行して「滑り止め」の中学を受験する。わたしが受験した当時の京都では、二つの中学校が滑り止めの定番となっていた(どちらも中高一貫校だ)。これらの学校は学校側からして自分たちが「滑り止め」であることに自覚的であるフシがあり、毎年、受験日が立命館や同志社とは被らないように設定されていた。これらの中学に入学したくて入学する子供はほとんどいない。あくまで「目指すべき中学」に落ちてしまったときの保険である。そして、わたしは立命館中学の受験に落ちてしまったので、滑り止め中学のうちの片方に入学することになった。けっきょく、高校も合わせて6年間そこで過ごすことになったのである。

 繰り返すが、入学したくてこの学校に入学した子どもはほぼ存在しない。滑り止めの中学に入学するということは、よりランクが高い中学も受験して、そこに落ちたということだから。つまり、滑り止めの中学という場所は言ってみれば「敗北者」の寄せ集めである。そのため、大半の同級生が多かれ少なかれ挫折感を抱いていたし、ひねくれていた。わたしが大学に入学した当初に他の学校出身の同年代の学生たちを見て最も戸惑ったことが、彼らの多くが前向きで夢や目標を持っていて、目がキラキラしていたことである。わたしが通った学校では、中学受験の失敗により入学時点で抱かされていた敗北感を高校三年生になってもみんなが引きずっていたのであり、わたしだけでなく多くの同級生が後ろ向きでネガティブな言動ばかりをしていた。文字通り死んだ魚のような目をしている人間も多かった。「夢や目標を前向きに語る」なんて光景はほとんどなかったはずだし、誰かがキラキラしたことを言えば他の誰かが批判がましく揚げ足をとったり茶化したりすることが常であった。(もしかしたら京都という土地柄も関係しているかもしれない。)だから、世の中にはお互いを褒めあったり肯定しあったりしながら夢や目標などを素直に語り合える「まっすぐ」な中学校や高校が存在するということは想像もつかなかったし、そのような学校に通ってきた人たちと自分の間には「壁」があるという感覚が終始拭えなかった。けっきょく、大学に入学した後も、わたしはわたしと同じように揚げ足をとったりとられたり茶化したり茶化されたりしながら自己肯定感を培えない後ろ向きの中学生活や高校生活を過ごしてきたタイプの同級生と仲良くなることの方が多かった。そうではない学生とは、根本のところで共感が抱けないし仲間という意識を持つことができなかったからだ。


「目指すべき学校」に不合格となって「滑り止め」に入学してしまった人は中学だけでなく大学にも存在する。わたしが学部のときに入学した大学は立命館大学である。立命館を第一志望として受験して入学してきた人もそれなりにいたかもしれない。中学や高校からの内部進学組も数多くいた。中学や高校から内部進学してきた学生も多かった。そもそも受験勉強らしい勉強をせずに指定校推薦やAO入試やスポーツ推薦などで進学した学生も多かったように思える。そして、他の退学を受験して落ちてしまったから仕方なく立命館にした、というタイプの学生も数多くいた。(立命館は学生数が多い大学であるので、どんなタイプの学生についてもその絶対数が多くなるのだ。)

 中学受験と大学受験の違いとは、中学受験というのは多くの場合に受験する本人である子どもの意志が中途半端であることだ。大概の場合は親や周りの大人に言われるがままに受験勉強をさせられるし、どこを受験するかも親や塾の教師によって決められる。そもそも、小学六年生なんてまだ自我もロクに発達していない段階だ。だから、本命の中学に落ちたり滑り止めの中学に合格したりしても、たしかに受験の結果は自分の能力や努力の結果であるし、挫折感や敗北感はしっかり抱くことになるが、どこか他人事みたいな感じもある。すくなくとも中学受験は自分で選んで挑戦した物事ではないからだ。

 一方で、高校三年生になって大学を受験する頃には大半の人が自我が発達していて、本人の意志が明白になっている。だから「絶対に京都大学に受かってやるぞ」などと目標を自分の気持ちとしてしっかり定めて、それに向かって前向きに努力することができる。そのために、本命の学校に落ちてしまったときに抱くことになるネガティブな感覚は、中学受験に失敗してしまった人のそれとは異なる種類のものになる。わたしが観察したところ、中学受験の挫折と大学受験の挫折との最大の違いは「プライド」の有無だ。中学受験における努力は周りの大人から「やらされている」ことであり、その努力の結果として培った能力も、そもそもは自分の意志で取得したものではない。一方で、「目指すべき大学」に合格するために努力して培った能力は本人が意識的に取得したものだ。そのために、自分の能力に対して自負や自信を抱くことになる。だからこそ、本命の大学に不合格になったときには自分の能力が通じなかったという悔しさを抱くことになる。そして、滑り止めの大学に通い始めたときには、自分のプライドと周りの環境とのギャップに苦しむことになるのだ。

 わたしの周りでは「京都大学を不合格になったから立命館に進学した」という学生がとりわけ多かった。立命館と京都大学との間には偏差値だけを見ても私立・公立を問わずに様々な大学が存在するし、京都大学に落ちたところで次善の大学に進学していればよさそうなものだが、関西では「京都大学第一主義」みたいな風潮があって「京大に進学できないならどこの大学に進学しても一緒だ」みたいに考えている人が多かったようなのである。そして、本命の京大には落ちてしまったが浪人するのも嫌だ、という人が慌てて後期日程の試験を受けて立命館に進学する、というパターンが定番であったようだ。

 しかし、立命館と京大とでは偏差値にあまりの差があるし、大学の風土も違いすぎる。京大に落ちてしぶしぶ立命館に進学したタイプの人たちはいつもそれを嘆いていた。授業が終わるたびに「みんなが授業中に騒いでいてまともに勉強にならない。京大なら、授業中に喋る学生は他の学生から注意されるのに。」と文句を言っていた。そして、京大の「自由」や「自治」の風土や京大生の「ユニークさ」については憧れを込めて語る一方で、「立命館の学生はレベルが低いから自由や自治なんて分不相応だ」と吐き捨てるように言ったりするのである。当時は森見登美彦の全盛期であったので、京大の「自由」や「おもしろ」のイメージがとりわけ強かったということもある。それ以上に、京大を目指すことができるようなタイプの学生は大概が進学校出身であり、自分の高校の同級生の何人かは実際に京大に合格して進学していたことが大きい。その友人から京大の実体験を聞かされることもあるだろうし、もしかしたら自分もあと少し運が良ければ進学できていたかもしれない。だからこそ、自分の能力に比べてあまりに周りのレベルが低く見える現在の環境に耐えきれない、というところがあったようだ。

 わたしは学部生の頃は不真面目な学生であったので、京大落ちの真面目な学生たちからは「内部進学組」や「指定校推薦組」と一緒くたにされて馬鹿にされる側だった。そのことに関しては現在でも思うところがないではないが、そのことで他人を責める気持ちはもうない。受験というものは目指す大学が難関であればあるほどそれに費やす勉強の時間や労力は多くなるし、それに対する思い入れや感情も強くなる。そして受験というものは一発勝負であるからどんなに頑張ったところで不合格になるときは不合格になるものだ。それは理不尽なものであるし、その理不尽な経験が本人の考え方やアイデンティティなどに影響を及ぼしてしまうのは仕方がないところである。

 それに、必死で頑張って「目指すべき大学」に合格したところで、そのことが人を幸せにするとも限らない。「目指すべき大学」に入学した結果として、それまで自分が所属してきていたよりも「上」の世界を直視させられることになり、それで嫌な思いをすることもあるだろう。また、「努力や頑張りが報われた」という成功経験は、大学に入ったり社会人になってからでも成功のために努力をし続けるような人格を生み出してしまう。「上」の世界になればなるほど大学の入学後にも周りの人間たちは官僚とか一流企業とか研究者とか起業とかのハードルの高いゴールを目指すようになるのであり、そういう人たちと一緒にいるからには自分も周りに負けないように同じくハードルの高いゴールを目指してしまうものだ。しかし、純粋に努力だけで入学できた人と、恵まれた家庭に生まれたなどの理由から「余裕」を持って入学できた人とでは、その後の勝負の土俵はけっきょく異なってくるのである。余裕のある人たちに追いつくためには、入学後にも無茶な努力を続けるしかない。体力や気力があって努力に身体や精神が追いつく人間であれば問題ないが、そうでない場合にはかなり無理をする生き方をずっと続けてしまうことになる。わたしはそういう人間を見たことがあるのだ。


 つまるところ、わたしが「受験」というものが嫌いであるのは、その理不尽さと、それが人の考え方やアイデンティティに与える負の影響のためだ。わたしにとっては受験とは制度というよりも災害に近い。日本に暮らしている子どもや若者の一定数は、否が応でもそれに巻き込まれてしまい、自分自身の人格をどこからしら歪なものにされてしまう。


 わたしが日本のアカデミア系とか知識人系の人を見ていて「嫌だなあ」「なじめないなあ」「こいつらとは絶対に仲良くなれないな」と思ってしまう理由には色々あるのだが、そのひとつが受験という制度に対する彼らの屈託のなさ(そして、ひいては大学や研究や学問という制度全般に対する屈託のなさ)である。当たり前のことだがアカデミアで活躍したり知識人として活躍している人の大半は勉強ができる人であり、受験も上手くこなしてきた人が多い。彼らにとっては受験は努力が報われた成功経験であり、前向きな青春の思い出である。そのため、たとえば他のところでは日本社会の様々な制度の問題点に敏感な人であっても、受験制度の問題点については頑なに認めなかったりする。受験や受験勉強の思い出が自分のアイデンティティの正の側面と分かち難く結びついているために、すこしでも批判されると認知的不協和を起こすのだ(これに関しては以前にはてなの記事でもちらっと触れた)。ちょっと前に上野千鶴子の東大入学式祝辞が話題になってきたが、ああいう言説が公式の場で発信されて真面目に受け止められるようになったのはごく最近のことであるように思える。

 とはいえ、アカデミア系の人に限らず、受験や受験勉強がポジティブな成功経験として記憶されている人が数多くいることは知っている。出身した地域や通った学校の環境があまりに劣悪であったためにそれをバネとして受験勉強を頑張って、都会の大学に合格することで悪い環境から無事に「脱出」できた、という経験をした人は数多くいるようだ。それについても思うところがないではないが、このことについては、さほどひどくもない環境に育ってさほど劣悪でない学校に通ったわたしは何かを言える立場に立っていない。

 また、進学校の学生たちの間では受験がある種の「共通目標」として認識されるところがあるようであり、合否に関わらず「友人とお互いに切磋琢磨しながら受験勉強を頑張った」というポジティブな思い出が残っている人も多いようだ。受験を与えられた課題をクリアするゲームのようなものとみなして、効率の良い学習方法を会得したり各科目の回答のコツなどを学んだりしながら自分の偏差値が上がっていくことに成長感や充実感を覚えていった、という人もいるだろう。

 ……しかし、少なくともわたしの通った高校では、大学受験が近づくにつれて雰囲気が殺伐としていった。それは普通のことだと思う。なにしろ受験というものにはその後の人生がかかっているのだから。そして、勉強というものは多くの場合には楽しくないものだ。わたしは高校2年生までは世界史や現代国語の授業なら楽しんで勉強していたが、3年生になるとそれらの授業内容にも「受験対策」という色合いが強くなって一気に楽しくなくなってしまった。また、「お前は家庭の事情で勉強できなくても英語ができるから受験で有利でずるい」と同級生から言われてうんざりさせられてしまった。文系の友人と理系の友人との間の仲がこじれて、指定校推薦組が一般入試組に対して気まずそうにするなど、人間関係においても負の影響が目立つようになった。それもこれも受験というものに必然的に伴うストレスやプレッシャーのためである。すくなくともわたしの学校では、みんなピリピリしていた。受験は「共通目標」という前向きなものとしては捉えられていなかったのだ。

 進路や学校の成績のことで親ともめたという事情もあり、わたし自身も受験や進学に対してかなり投げやりな態度になってしまった。結局「どうせ勉強しなくても現代国語と英語はできるんだから、それらの2教科だけで受かる学校のうちで最も偏差値が高いところに行ければいいや」という態度で進学先を決定してしまった(立命館は受験方式が無限のごとくにある大学で、英語と現代国語だけの入試方式もちゃんと存在していたのだ)。学校の授業が受験対策ばっかりになったことから勉強自体に対するモチベーションも失ってしまい、それは大学入学後の学習態度などにも影響を及ぼしてしまった。世の中全般に対するひねた感覚や、「まっすぐ」なルートに乗って成功している人に対する近寄りがたさなども、突き詰めると中学受験と大学受験のせいで身に付けてしまったように思える。わたしの家庭の親子仲や両親の夫婦仲が上手くいかなかったことにもわたしの中学受験や大学受験が多かれ少なかれ関わっている。とにかくわたしは受験というものには灰色の思い出しかなくて、屈託がありまくるのだ。


 いまでも覚えているのだが、立命館中学を受験したときの国語の試験で、普段なら「物語文」が提出されていたパートに文章ではなく「いじわるばあさん」の4コマ漫画が載っていて、普段なら物語文に関する複数の設問が提出されるところを「いじわるばあさん」の4コマ漫画に関する大問が一つか二つしか提出されない、ということがあった。要するに、普段の傾向とは違う「珍問」なり「難問」なりがたまたまわたしが受験したときに出されてしまった、ということだ。……当時は過去問を解いても立命館中学に合格するかどうかはいつもギリギリのラインで、理科と算数が苦手なわたしは社会と国語で点数を稼ぐしかなかった。しかし、得意としていた国語で特殊な問題を出されてしまったために、試験を受けながらかなり不安でつらい気持ちになったことがある。けっきょく「いじわるばあさん」の問題はほとんど解けなった覚えがあるし試験にも不合格となってしまったのだから、その後にも理不尽でイヤな思いを引きずっていた。

 その経験もあって……センター試験の時期になるたびに「今年も英語の問題で面白い設問が出された」とSNSで話題になったり、アカデミア系の人たちがしたり顔で「この問題は良問だ、この問題は悪問だ」と論じてたりしているのを見ると、かなりイヤな気持ちになってしまう。受験には受験生の人生がかかっているのであり、問題が面白かろうと面白くなかろうと良問であろうと悪問であろうと、それらの問題に一喜一憂したり苦しんだりつらい思いをさせられたり場合によっては後の人生にまで影響するトラウマを抱えることになる子どもや若者が何人も存在しているのだ。わたしは彼らや彼女らのことを想像するととにかく気の毒な気持ちになってしまう。そして、過去に無事に受験をクリアして、現在でも安全圏から受験のことを楽しく思い出して「良問だ悪問だ」と気軽に論じている人たちに対しては、苦々しい思いを抱くのである。



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