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ビジネスにおけるポピュリズム

 社会全体の潮流として、とりわけSNS、twitterの潮流として、大した内容もないくせに、時流に乗った、大衆迎合的な振る舞いをすることによって、批判力を持たない金魚的市民を扇動しようという動きが見られる。そういった動きを主導するファッションビジネス芸人は残念ながら現代の社会では幅を聞かせており、一つのビジネスモデルとして成功してしまっている。そして、その位置を狙おうとする「何者かになりたい」というプラカードを厚顔無恥にも提げた輩が量産されつつある。  しかしながら、このモデ

    • 自分の中の驕り

       最近、twitter上でひらりささんという方の書かれた『「ほとんど男子校」だった大学で求められた、「女子」としての役割 #それでも女をやっていく』という記事を読んだ。  1「東大男子」である私にとって、とても心に刺さるものであった。下ネタ、他人のジャッジなど「男子校」的なノリを学生生活の様々な場面で誰かに強要していた自分の過去を大きく恥じさせられたのである。そのジャッジの裏側にある傲慢さ、想像力の欠如......。それらの笑いは瞬間風速が強く、自分が「強い」という感覚を与

      • 今いる地位の危うさ

         最近、経済的に厳しい立場にいる者を描いた作品を見ている。映画「東京難民」、映画及びドラマの「闇金ウシジマくん」だ。  この中では、そのような者の厳しい現実が描かれる。ホストで借金を負わされて、必死に地方に逃れる者、借金の返済のために中国に死体の運び屋として売られる者、保険金をかけて自殺をさせられる者、風俗に売られる者など壮絶な現実だ。上記の作品は実際のインタビューをベースに作られた作品であり、このような現実は実際に社会に存在しているそうだ。  自分はたまたま恵まれた環境

        • 知るということ

           物事を知ると、それを放っておくことができなくなる。自分が正しいと思っていたことが果たしてそうなのかという疑いが差し挟まれる。そうなると、もっと考えなければいけなくなるし、自分がやることのちっぽけさも自ずと感じる。ちっぽけなことに気づかなければ盲目的に人生を楽しむことができたのに。しかしながら、知ってしまった以上、それを放っておくことは妥協のような気がしてより自分を磨かなければならないと思わされる。自分は何も知らなかった方が幸せだったのに、と最近ひしひしと感じる。でも、知る側

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          幸せとは何か

          幸せとは何か、これをこの一年しっかりと考え抜きたい。大学生になり学年が上がるに連れ、社会との距離が短くなってくる。そして、社会的な地位というのも伴うようになってくる。しかしながら、いくら社会的に優位であっても幸せにつながるとも限らない。そのヒントは今ここにある幸せをしっかりと受け止めることなのかもしれない。この愛を受け止めることを端緒に幸せ探しの旅に出たい。

          幸せとは何か

          人は何に動かされるか

           人は論理に動かされるわけではない。人の心に動かされるのである。大人になればなるほど、論理的武装が出来るようになる。そして理性的であろうとする。  しかし初戦は人間。理性的には動けなく、感情というものに左右される。自分の思いを暑く語る人の話を聞き、そう強く思った。

          人は何に動かされるか

          今回の帰省の意味

           筆者は、京都で育ち、東京で学生生活を送っている。そして、一人暮らしで怠惰な生活を送って太っている。  今年の夏休みは例年に比べて時間に余裕があったから長めに帰省をすることにした。今回の帰省は自分に生活を改め痩せろというメッセージを受け取るという意味を持っているように考えざるを得ない。  帰省初日、初めて会った祖母には、「あらまあ、こんなに太って。初めて会った人は名前より先にデブの人という印象を持つわ」と言われた。また、実家に早めについてくつろいでいると、帰宅して来た母は

          今回の帰省の意味

          人間にとっての承認欲求

           「あいつは承認欲求が強いやつだ」と嘲笑する人は少なくないように思う。しかしながら、承認されたいという欲求は誰しも抱えているものであるし、そのありたい姿を追い求める姿勢はむしろ素直で自分にはかっこよくも見える。  先日、親と離れ離れになった人の話を聞いた。彼は中学生ぐらいの時に親から虐待を受け、以降両親と引き離され施設で育てられるようになったという。彼とは1週間ぐらい一緒に活動を行っていたが、最後の夜、自分の人生において一番感動したこと、悲しかったことは何かについて共有する

          人間にとっての承認欲求

          人生は大いなる何かに導かれている

           前の投稿で触れたBari Challenge Universityで田坂広志さんの講演を聞く機会があった。その時に仰った「人生は大いなる何かに導かれている」という言葉が自分の心に深く刺さった。  自分のこれまでの人生は、何かを自分の手で「掴みにいく」という局面であったように今感じる。自分は「ストイックであれ。」という言葉を信条に生きて来たが、その言葉の裏には自分に打ち克つことができれば自らの力で大きな成功をつかむことができるという確信があった。努力すればするだけ、サッカー

          人生は大いなる何かに導かれている

          自分だけが正義ではない

          8月19日から26日にかけて、元サッカー日本代表監督岡田武史さんの主催されるBari Challenge Universityというインキュベーションプログラムに参加した。プログラムに参加を決めたのは、今年の6月。司法試験予備試験の勉強を始めて1年と少し、ずっと勉強しかしていない自分に嫌気がさしていた時にFacebook上で案内を見つけたのがそのきっかけだった。何かチャレンジングでワクワクすることをしたい、チームプレーで何か一つのものを作る経験をしたいと思っていた自分はすぐに

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          笑いについて

           自分は笑いの3種の神器というものを潜在的に意識していた。自虐、他虐、下ネタの3つだ。これらを手段に笑いを取ることは品性にかけるという批判をする人は多いと思う。自分もこの点については認めざるを得ない。しかしながら、これらの手段が強力であることには間違いない。人は何かをバカにする時につい笑ってしまうという特徴があるのがこの理由であると考える。自虐、他虐は自分、もしくは他人の滑稽な様を想像することで笑いに変わる。下ネタも実際にその場面を想像し、その様を滑稽に感じることで笑いに変わ

          笑いについて

          「べき」で生きるか、「である」で生きるか

           自分はこれまでの人生「べき」というものに駆動される形で生きてきた。  スポーツでもやる以上は上手くある「べき」と思っていたし、必死に練習をした。そして、部活動で時間を費やす以上は責任を伴って活動する方が自身に実り多いと思い、トップである「べき」と考え、部活動でキャプテンもしてきた。進路選択においては、可能性を狭めないためにも東京大学に入る「べき」と考え、そこに向けて必死に努力してなんとか入学できた。大学を入学してからは、勢力的に将来を見据えて動く「べき」と考え、自分を成長

          「べき」で生きるか、「である」で生きるか

          コンプレックスについて

           人は何かしらコンプレックスを抱えているはずである。自分自身もいくつかのコンプレックスを抱えている。教養がないこと、人に喜怒哀楽を持って向き合えないことは自分の抱えるものでも大きなものだ。  このコンプレックスは自分の奥深くにいて意識されないこともあるが、時に自分の頭の中に表出して、暗い気持ちにさせられることもある。  最近人のコンプレックスの告白に向き合うことが多い。ある大学に行けなかったことに対するコンプレックスや、精神障害についてのコンプレックス、人付き合いについて

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          試験を経て

           7月14、15日に司法試験予備試験を受験してきた。大学2年の春休みに、予備試験の受験を決意してから、ずっと自分の中でのプライオリティはこの試験に受かることだった。手応えとしてはまずまずという感じだ。限られた時間の中である程度やるべきことはやれたし、当日の出来としては持てる実力をほとんど出せたいう感がある。だから、試験を経た直後の今でもある程度自分の気持ちは落ち着いている。  試験勉強を終えて、自分はやっとこましな人間になったなあと強く思わされる。約1年の受験生活を経て自分

          試験を経て

          ユーモアについて思うこと

           昨日、岡口基一氏の講演会に参加した。岡口さんは「白ブリーフ判事」として知られているユニークな裁判官で、昨年分限裁判を受けられたことで一躍有名になられた方だ。  岡口さんのSNS発信についてはかねてよりチェックしていたが、直接お話を聞くのは初めての機会だった。お話を聞いて感じたのはとにかく笑いを大切にされているということだ。話の節々で自虐、少しの他虐を入れられ、会場は笑いに包まれていた。自分も大笑いをいくつかの箇所でしてしまった。  笑いが起こるに従って、周囲が岡口さんの

          ユーモアについて思うこと

          書き初め

          今日からブログを始めます。少しずつですが、自分の考えをブログという形でまとめて行きたいと思います。