ロング・ロング・ロング・ロード Ⅰ 十勝の空 編 7
雨がしとしと降っていた。
俺はホテルのロゴ入りの傘を開け、昨夜は見ることが出来なかった帯広の夜の顔を知るために、乾く暇もないアスファルトに一歩を踏み出した。
北海道に梅雨はないと聞いていたのだが、さっき見た天気予報では、明日、明後日が曇り時々雨に変わっていて、来週の半ばにも三、四日、雨のマークが並んでいた。天気が良くないと、相棒に乗る気にもならない。
本当なら、もっと楽しいだけの旅になっているはずだったのに、まだ俺自身が過去に決別出来ていないからなのだろうか、面白くもないことを引き寄せている気分がした。
それなのに、どこか心が躍っている。
これを乗り切れば、思い描いていた愉快な旅を、独りのんびりと楽しむことが出来るだろう。そう願いながらも、何かがフラフラと揺らいでいる自分がいることに、俺自身、不思議でしかたがなかった。白か黒か、はっきりと物事を決めて生きてきた性分なのに、あれ以来、曖昧なものが住み着いてしまっている。ああ、嫌だ、嫌だ。今は出来ることだけに集中しよう。
この街の何処に何があるのかは、昨日の昼、腹ごなしの散歩で回り、だいたいの位置取りは把握出来ていた。さすがに北海道だけあって、街の空間に余裕があったが、多くのホテルや飲食店が犇めく繁華街と呼ばれるような場所は、東西は、国道236号線・大通~西3条通、南は、帯広駅前の南11丁目通。北は、「HIROKOUJI」のアーケードがある道までだった。
それ程広くはないといっても、俺が人探しをするなんて、死に損なう前にはなかったことだった。堅気だった頃まで遡らないと思い出せない。いつも何人か若いのが周りにいて、俺はそいつらに指示を出すだけ。俺の仕事は、見つけたい奴の情報を金で仕入れることだった。
十五分ほど人通りの少ない区画をただウロチョロして、尾行が完全にいないことを確認した俺は、津田のスマホに文句の電話を入れたくなった。松村の子分が俺を的にかける勢いなのかもしれないのに、自分の身は自分で守れってことなのかって。
もしかしたら、昨今の科学技術の進歩で、帯広の町全体が監視カメラで監視されていて、尾行という昔ながらのものは用済みになっている……、のかもしれない。安っぽいSFのように。
雨が強くなって、街中が薄いベールで被われた。それでも前後左右を確認して、カレーのインデアンの横の道を挟んだ電話ボックスから、俺は徳永に電話をかけた。徳永を巻き込むことには気が引けたが、今は徳永を頼るしか手はなかった。
番号がすでに津田に知られてしまった以上、俺の携帯から誰かに連絡を取るということは、警察に、現在の俺の交友関係を知らせることとなる。これからの動きには細心の注意が必要だ。至急、自由に誰かと連絡を取れるツールが必要だった。無実の罪で塀の中に落ちる可能性も高くなっている今、その時が来たと仮定して、今、どう準備出来るかが今後を決めるのだ。
「美瑛に行くのか?」と、呑気に電話をとった徳永に、事件に巻き込まれ、容疑者の内の一人として任意の取り調べを受けたことを伝えた。俺は、トバシのスマホを泊まっているホテルに大至急送ってもらうのと、松村進と花押会の高峰、センチュリー産興の関わりを調べてくれるようにお願いした。ちゃんとお願いしないと、タダで徳永は動かないのだ。
ケタケタと笑いながら徳永は、「なんだ、昔の血が騒いだのか」と言ったが、「血が騒いだ訳ではない。降りかかった火の粉を振り払うためだ」と断言した。
「それならいいが……。俺は、今のように、死ぬことを念頭において、クールに抑揚なく生きるお前さんの姿はまだ許せるが、ヤクザの時のお前は大嫌いだった。大昔のように正義感を持って生きてくれとまでは言わないが、あっちの世界から弾き飛ばされて堅気になったんだ。それを絶対に忘れるな。お前の死に水を取るのは俺だ。死ぬ時ぐらい綺麗な身の上で死ねよな」
強い口調は、大昔の徳永に言われたようで、少し心を躍らせていた俺が恥ずかしくなった。
「そうだな、気をつけるよ。だが、この旅だけは全うしたいんだ。このままじゃ、ここで俺の旅は終わってしまうかもしれない」
「わかった」とだけ徳永が言った。俺は二時間後にまたかけることを告げて電話を切った。いざという時用の百円玉が切れかかったからだ。今から百円玉集めだ。こんなに百円玉が早く消費していくなんて、北海道は極地なのだと再認識をした。
雨降る中、どうすることが正解なのかを考えながら、坊主頭を探して歩いた。
傘が道行く人の顔を隠す。これでは坊主頭を認識するのは難しい。それはこちの鶏冠も隠れるのでおあいこか。
今の坊主頭に連れはいないはずだ。
同行していた女どもは、金主だったプリン頭が死んだ今、すでに帰った……。いや、あの捌けた女なら、もったいないからと、坊主頭と別れて残りの行程どおりに、北海道を満喫しているかもしれない。早くこの地を離れたいと思っている、プリン頭が狙っていた若い女を道連れに。
よほどのことでもない限り、男女問わず普通の人間は、面倒事に巻き込まれるのは嫌なものなのだ。
たまに、他人の面倒事に自ら首を突っ込みたがる奴らもいるが、そのうちの九割は、単に好奇心が強いだけというわけではない。それまでの人生で、本物の面倒事にぶち当たらなかった運の良い奴らなのだ。そしてそんな奴らは、自分自身が本物の面倒事にぶち当たると、だいたいがその渦に飲み込まれて沈んでいく。周りを罵りながら、こんなはずじゃなかったと自分自身を憐れみながら、初めて悲劇の物語の主人公になったふりをして成り下がる。実のところ、悲劇も喜劇も、一人一人が自分の人生の主人公だということを、そいつらは皆、忘れて生きてきたのだろう。
残りの一割は、根っからの馬鹿とドМのド変態だ。
やはり、どんな手を使ってでも、坊主頭から情報を得る以外、方法は思い浮かばなかった。
坊主頭が土地勘のない場所で気楽に立ち寄れる場所を考えるのは、男やもめの旅人である俺にとっては簡単なことだった。まずは十勝乃長屋と北の屋台と名前が付けられた、帯広の観光地でもある小さな飲み屋が集合しているその二つから流すことにした。まずは十勝乃長屋へと向かった。
十勝乃長屋は西1条通と名門通の間に在り、作られた通りの両側に長屋が建っていて、そこに小さな店が並んでいた。その通りの中央付近には布袋さんの石像があった。名前のとおりの長屋だった。
二時間近く掛かって三軒、坊主頭の好みはわからないが、公衆電話で使う百円玉を作りながら店を回ったが、ここでの収穫は全くなかった。大阪からの四人組の旅行者のことや、殺された松村のこと、プリン頭のことを振ってみても、誰も興味を示すことがなかったのだ。松村の死は、あまりこの土地の人々の心に刺さっていないということだった。
また人気のない道に迂回して、誰も周りにいないことを確認してから、満寿屋近くの公衆電話から徳永へ連絡を入れた。
先程とは違い、いつもと変わらぬ様子の徳永の話では、松村と花押会の高峰は十五年ほどの付き合いがあったようだが、上の銀盛会が完全に割れた三年前、シノギの方向を変えた高峰の方から距離をとったようで、そこからは尾塩組が囲っている半グレのカドワキの人材派遣会社「ヒューマニズム・オム」と取引をしているらしかった。
俺の頭の中に“カドワキ”の名が引っ掛かった。
松村はそのカドワキの会社を通して、近畿一円の建築現場と東北の復興事業に人を送っているという。復興事業の方には、東京の霜島組のキタザトも噛んでいるようで、今は人が多いわけではないが日本全国から集めた人夫の仕切りをしているという。
カドワキは角脇で、キタザトは北里と書く。
昔なら尾塩組にも気楽に電話を入れられたが、今の俺にはそんなことは叶わない。部屋に帰ったら、マイクロSDに入っている昔から記録し続けている貸し借り帳を開けて、誰か尾塩組に近い奴から貸しを回収するしかないようだった。
二時間足らずでこれだけの情報を収集するなんて、いつもどおり良い仕事をする徳永には頭が下がる。俺は礼を言って電話を切ろうとした。
「知らない土地でお前一人だろ、大丈夫なのか?」
「なるようにしかならんやろ。やれるだけのことはやってみるけどな」
「こっちも霜島組に近い奴を知っているから、明日にでも聞いておくよ」
「ありがとう。よろしく頼む」
「それと、スマホは明日、高岡から受け取ってくれ。スマホが三台と充電器だ」
「ん、どういうこと?」
「スマホの台数のことか?」
「いや、高岡ちゃんがこっちに来るって方だ」
高岡ちゃんは、徳永が経営する表向き質店の店長で、俺が朝井に撃たれて蘇った時、「死ななくて良かった」と言ってくれた一人だった。
「偶然だ、高岡は明日の朝一番で北海道に飛ぶんだ。八時には千歳に着く」
「なんだ、どういうことなんだ?」
「明後日、釧路で友達の結婚式に出るそうだ。釧路空港行きは高いから、安い千歳便に乗って、レンタカーで向かうらしいよ。それに池田町で一人拾う予定にしていたらしい。池田って帯広の近くなんだろ?」
「ああ」
「なら丁度良かった。相変わらず、お前はツイてる」
明日の十一時に長崎屋の中に入っている100均で待ち合わせをすることにした。ヒップバッグのチャックを全開にしておけば、高岡がスマホをそっと入れてくれるそうだ。決して交わらないことは当たり前のことだ。最後に徳永が俺の目印を訊いた。「金髪のモヒカンだからすぐわかる」と、俺が言うと、徳永はケタケタと笑った。
受話器を置いて、落ちてきた百円玉を財布にしまった。
電話ボックスの外は雨。
明日、ポチ袋を買って高岡への駄賃を準備しようと思いながら、ボックスのドアを押し開けて傘を差した。
「お前はツイている」徳永の言葉を今一度胸に刻むと、今夜は坊主頭に出会えそうな気がしてきた。
北の屋台に行って二軒目、本日の五軒目になる店を出ようとした時、「向かいの店に行ってみれば」そう店の女将さんが言った。なんでも、向かいの店は大阪出身の店主がいるという。
その言葉に従って向かいの店に入った。何とか坊主頭の影でも感じれることを祈りながらの六軒目だ。
「いらっしゃいませ」
狭いカウンターの中から声をかけたのが、俺よりも年下に見える店主の男で、男のうしろには、調理をしているのだろうか、こちらに背を向けた女性がいた。
十人も座れないであろうコの字カウンターに、客は今、右手に男女の二人組、正面にサラリーマンの三人組が座っていた。
店主に促されて、俺は左手奥に座ると、おしぼりとドリンクメニューを渡された。
客は皆、常連のようだ。店主の話し言葉に関西臭は嗅げなかったが、張り出されたメニューの上には自然木の看板があって、そこに土手焼きとかかれている。店主は客からマスターと呼ばれていた。
「お飲み物は何にしましょう?」
「そうやねぇ、サッポロクラシックの生を。それと、しめ鯖をもらえますか」
「はい」
マスターはすぐにビールを入れて、付き出しと共にジョッキを置いた。
俺は、ビールを飲み、付き出しの烏賊と葱のぬたに箸を進めた。酢味噌の加減が俺好みだった。さっきは後ろを向いていた女性がしめ鯖を持ってきた。可愛らしい女性だった。年の頃からすると、二人は夫婦だろう。
しばらく一人で黙って飲んでいると、上機嫌なサラリーマン三人組が帰っていった。
片付けを済ませたマスターが話しかけてきた。
「関西からご旅行ですか?」
「はい。マスターも大阪出身なんですってね。向かいの女将さんに教えてもらいました」
「ああ女将さんに、そうですか。お兄さんも大阪ですか?」
「そうです大阪です」
俺はどう自分を隠すかを考えていると、何故か、憎い朝井のことを思い出した。俺以外の大阪出身者の身の上話が出来るのは、朝井しかいなかった。
俺が沢木に拾われて大阪に戻り少し経った頃、沢木から面倒を見ろと朝井を任された。朝井のことは、本人から良く聞かされて知っていた。昔から朝井は、酔うと必ず、ガキの頃の武勇伝や女にモテた話、けれど、硬派だったんで全部断ったなんて話を繰り返し俺に話していた。それに、よく朝井の地元へ連れて行かれたりもしていた。地理にも明るい。人は、嘘の中に混ぜ込んだ真実があると、嘘だとは思わないものなのだ。
「大阪はどこですか?」
「茨木ですよ」
「えっ、僕もです。豊川です」
ツイてないのか?こんな偶然があるなんて。朝井は、茨木市の三島で生まれ育った。もしかすると、マスターとは顔見知りの可能性があることに気がついたが、後の祭りだった。深堀された時には、昔過ぎて覚えていないで通すか。
「俺は三島です」
「えーっ、三島やったら、朝井って人知ってます?」
俺は喉に流し込んだビールを噴出しそうになった。
「ああ、2コ下のヤツかな。昔はよう蹴って可愛がってたわ」
本当は5つ年下だが、そうしておかないと、マスターの話に合わせ辛い。俺の下について、仕事を教えていた頃は、あまりにも覚えが悪くて、向う脛をコツコツと爪先で蹴ったことが何度もあった。
「えーつ」と言ったきり、マスターは少し固まった。それから声を最小限にして、
「もしかしてお兄さん、朝井と同業の人ですか?」
こそっと訊いた。
「えっ?朝井って、何してんの?」
俺はこれ以上ないとぼけ顔で訊き返した。朝井は地元でもタブー視されるような人間だったということだ。
「ホンマにちゃうんすか?」
「ちゃうもなんも知らんよ。朝井何してんの?もしかして、これか?」
俺は、右頬に右手の人差し指で傷をつける仕草をした。
「ホンマに知らんのですか?」
「知らんよ?」
ちょうどカップルがお会計を頼んだ。営業スマイルを作って対面へ振り向いた。
マスターが計算をしている間、俺は頭の中で朝井が話していた件を整理した。そして、こんななりをしたヤクザがいるものか。と、心の中でマスターを罵った。俺が今、こんな金髪モヒカンの目立つなりをしているのは、沢木の教えの反発からだった。
「目立ってナンボの時代は終わりや。これからのヤクザは、潜ってナンボのマフィアみたいなもんになるんや」
その言葉どおりに俺は、表社会を装いながら、裏社会でどっぷりと生きてきた。時々、派手に暮らしている同業者を羨ましく思い、沢木に反発したい気持ちにもなった。けれども時世の波は浮き沈みが激しく、浮かれ気分の同業者達は皆、あぶくの中に沈んでいき、確かな金というものにひれ伏していった。
「朝井は死んだんですよ」
カップルが店を出た途端、マスターが言った。
そんなことは知っている。その場にいたんだ。朝井が撃たれて死んでいく様を見れなかったのは、至極残念だった。俺は喉まで出かかった言葉を、ビールで腹の底に流し追いやって、
「えっ、朝井死んだんや……」
と、アカデミー賞俳優顔負けの芝居を見せた。
「5年ほど前に」
「なんで?」
「僕もこっちにいるから、はっきりとは知らんのですけど、なんや刑事と撃ち合いになって、撃たれて死んだらしいですわ。その時に巻き添え食って死んだ一般人もいるらしいですよ。まったく昔から人迷惑な人やったから……」
こんなものだ。自分が直接関わらないことに対して、人はあまり意識を向けない。向けたとしても、偽善的、独善的なことを民意と変えて発言する。それがあたかも正義で、当たり前であるかのように。
次の客が入って来るまでの間、俺とマスターとその嫁の女将と、話題を変えていろんな話をした。もちろん、マスター夫婦に一杯ずつ奢ってからの話だ。
もっぱら話題は、マスターが何故、ここ帯広に腰を据えたかだとか、女将との馴れ初めとか。その中で少しずつ、俺のことも話していく。バイクで旅をしていること。まだ腹部大動脈が乖離していることなど。本当と嘘を混ぜ合わせながら。
マスターは俺のことを先輩と呼んだ。少し信用度が上がったようだ。
「どう?帯広にも大阪の観光客、いっぱい来るんと違うん?」
「全体的にみると、そんなに多くないですよ。そういえば、一昨日、ちゃうわ、三日前に大阪からのお客さんが来ましたわ」
「へーっ、俺みたいに一人で?」
「いや、四人組でしたよ。確かここに……」
マスターはカウンターの中を探し始めた。
「これこれ。枚方の松村工務店の社長ですわ」
そう言って俺に名刺を見せた。
俺はチラリと見ただけで、すぐに興味のないふりをした。そうしながら、頭の中にしっかりと刻み込んだ。
「へー、そうやって何人かで旅をするのも、おもろいかもなぁ」
ビンゴだ。松村進で間違いない。それも三日前といえば、襟裳岬で俺が松村に絡まれた日、松村が殺される前夜だ。しかし、マスターは松村が死んだことを知らない様子だ。警察は来ていない?死ぬ前の松村の前足(足取り)捜査に、まだここは入っていないということか。
「なんか慰安旅行らしいですよ」
「慰安旅行?今どき?」
「男二人と女二人で来はったんやけど、この名刺の社長ともう一人は従業員の男の人で、社長が慰安旅行やっって言うてましたよ」
「それって、不倫旅行のカムフラージュちゃうの?」
「確かに。社長は若い方の女の子を狙ってたみたいですけど、一緒に来てた店のママのガードが堅かったから……」
なるほど、俺の読みどおりか。しかし、じれったい。ズバッと訊きたいところだが、巧い訊き出し方はないものか。
「従業員の人は辛そうでしたよ。俺だけ車と一緒に船で何時間もかけて北海道に来さして、やっと着いて空港に迎えに行けばオバはんの相手せなあかん。そんで、寝しなは社長の愚痴聞かなあかんねんって」
「ほー、そら大変やわ」
「けど、今泊ってるホテルが一人部屋で、温泉があるのだけが救いやて言うてましたわ」
温泉?一人部屋?そこにまだ、坊主頭が泊っている可能性も考えられる。
訊き出し方を悩んでいるうちに、客が入ってきた。松村達と同じく男女四人組だった。こちらの方は真面な人間達そうで、マスター夫婦の対応の様子から、俺と同じ観光客のようだった。
これでマスターから話を訊き辛くなった。訊きたいことは二つ、殺される前夜の松村の詳しい様子と、坊主頭が泊っている可能性の高いホテルの名前だ。松村が何故殺されたのか?そして、誰が殺したのか?その原因を探る手掛かりになりそうな気がした。
二人は新しい客のオーダーを熟すために、狭い厨房内を上手に動き回っていた。夫婦ならではの意志の疎通が出来ている。
そんな二人の姿を見ながら、俺はどう立ち回るかを決めた。彼らに松村進が亡くなったことを話して、その反応を見てみようと。
ガラケーで松村のニュースを探し当てるのには苦労した。スマホならものの数秒で検索、閲覧出来るものが、ガラケーでは画面が開けられない。やっとSNSサイトのニュースページで、音更町の十勝川の岸辺で発見された松村のニュースを探し当てた。最後に事件事故の両面で捜査と書かれてあった。これなら殺された殺人事件というよりは、受ける衝撃は少ないだろう。
一段落してマスターの手が空いたのを見て、俺はお代わりを頼んだ。
お代わりを運んで来たところで、俺は携帯の画面を見せた。
「これって、三日前に来た人ちゃうん?」
マスターはニュースの記事を読む前に、「ガラケー」と声を上げた。それから食い入るように画面を見つめ、俺の手からガラケーを取り上げて、ニュースの記事を黙読した。
「そうですわ。多分、この人です」
少し声が大きかったので、俺は小さく喋るようにゼスチャーをした。
「これ、一昨日の夕方に発見されたって……、死ぬ前の夜、ウチに来てたってことですやん」
「どんな感じやったん、その人?」
「あんまり僕は話してないんですよ。おお、なぁ、この前の大阪のお客さんの相手してたよなぁ」
ちょうど料理を出し終わった女将に言った。
「えっ、うん。けど、店のママさんとだけね。でもどうして?」
「ほら、これ」
マスターがガラケーの画面を見せた。
「えっ、エーッ!」
四人組の賑やかな会話が止まるほどの、声の大きさだった。
二人で四人組の客に詫びてから、女将は話を続けた。
「あの人がねぇ。まぁ感じが悪いって言ったらあれだけどねぇ」
「何かあったの?」
「結構横柄で、主人は嫌がってたから」
「そうなんや」
「だって、嫌な大阪人っているやないですか、言うてることわかります?」
「まぁ」
「そんな感じで、めっちゃ上から話してくるから」
俺のガラケーの画面をじっと見ていた女将が呟いた。
「仕事に行ったんじゃなかったんだ……」
警察は坊主頭や女達から、松村が仕事に行ったことを聞かされていないのか?だから関係のない俺のところへやって来たのか?俺の中の疑問は膨らんでいくばかりだ。
「仕事に行くって言うてたんや」
「そう、私が用事でちょっと出る時に、外で電話してたのよ」
「何て話してたの?」
「いや、私もちょっと聞いただけだったから」
「ええから話してみてよ」
「私が裏から出ようとしたら、そこにその人が立ってて……」
女将の話はこうだった。
屋台と屋台の間には狭い通路があり、そこには店員の出入り口がある。松村はそのドアの前で電話をしていた。女将は、松村が背を向けて立っていたので、声をかけて機嫌を損ねたら大変だと、少しの間ドアを薄く開けて、松村の電話が終わるのを待っていた。そこで聞こえたのは、「今は旅行中なのに仕事の話はしたくない」「明日、会おうって、こっちは従業員連れて楽しむために来てるのに」「ちょっとだけなら」の三つの言葉だった。
「そのあとすぐに電話を切ったみたいで、いなくなったのさ。でも、なして先輩がそんなこと聞くのさ」
「いやぁ、ちょっと刑事みたいでかっこええなぁって思て」
「ハハハッ、そんな頭してイヤァだぁ。ハハハハハッ」
女将とマスターは、手を叩いて笑いこけた。
「笑い過ぎじゃ」
俺はツッコミを忘れなかった。
「すんません。すんません。いやぁ久々にワロタ」
「それで、他の皆も知ってるの、この人が仕事に行ったって」
「どうやろ、知ってるかな?」
「知らないんじゃないの。普通に女の子、口説いてたもん。あっ、いらっしゃい」
また客が来た。そろそろ引き上げ時か。
「なぁ、さっき帯広のホテルに温泉があるって言うてたやん」
「いくつかありますよ。その人達は、新しく出来た帯広十勝ホテルに泊まってるって言うてましたけど」
「またすぐ帯広泊るから、今度はそこに泊ろうかなぁ」
俺の頭の中では地図が広がり、帯広十勝ホテルの場所が検索されていた。確か駅近にあるホテルだった。HPには、新しい温泉のあるホテルと銘打ってあった。俺の泊まっているホテルよりも、五泊の合計金額が高かったからやめた所だった。
「まだ少しこっちにおるから、また来るよ」そう言って会計を済ませ、俺は確証などないまま取り敢えず、帯広十勝ホテルへ向かった。単なるカンだった。
道中、頭の中を整理する。
松村は殺される前の晩、仕事関係者と電話をし、その中で、ちょっとだけならと翌日会う約束をした。もし、坊主頭や同行していた女達に、仕事で人に会うと言っていれば、警察の捜査の矛先も俺の方には向かなかったはずだ。松村はどんな理由を言って単独行動に出たのだろうか?少なくとも狙っている女よりも、その人間に会うことの方が、松村にとっては大事なことだったのだろう。そして、従業員にも言えない仕事相手。それは一体誰なんだ?そいつは果たして北海道の人間なのか、それとも違うのか?いや、俺が公衆電話から徳永にかけたように、その電話の主も、身元特定がされにくい電話から、松村にかけたのだ。着信記録からどこの番号か特定され、俺が浮かんだ。ということは、犯人は俺と距離の近い場所にいたことになる。三日前の夜は襟裳の宿にいた。公衆電話が何処にあったかは記憶になかった。そうとわかっても、今すぐ俺がどうこう出来るわけではない。今出来ることを考えろ。
人が殺される理由の九割方は、金か怨恨だ。犯人が仕事関係者だとすると、理由は金だ。怨恨なら坊主頭の方が、松村を殺したい気持ちが強いだろう。車と共にいなくなり、松村だけ河原で見つかった。車がなくなるということは複数犯か?そして、松村の死体が発見された場所から、どう考えても土地勘のある奴の仕事だとしか思えない。俺に出来ることは何だ。自問自答しても一つしか答えは出なかった。坊主頭を探し出し、兎に角、色々と訊き出すしか打てる手はないのだ。。
帯広十勝ホテルは、大通の線路に近い電気屋の隣にあった。自動ドアから中に入ると、真新しい物件の匂いがしていた。
一階には、ロビーの横にカフェレストランが併設されていて、その店の目の前には、エレベーターホールがあった。ロビーからも裏口からも、客室に向かうにはエレベーターを使うしかなく、坊主頭が通ればわかる場所に席を取った。
池田町の赤ワインの一番安いのを一本頼み、ツマミは十勝のチーズに生ハムを頼んだ。
通りに面したドアから幾人も客は出入りをしていた。池田のワインは、そこそこ美味かった。チーズもミモレットタイプやブリーチーズでワインによく合った。生ハムも美味かったが、これからの乾燥の進み具合が気になった。
途中、急いでトイレで用を足し、この間に坊主頭が部屋に戻っていないようにと願いながら席に戻った。
心の中で、「お前はツイている」という徳永の言葉を繰り返しながら、エレベーターホールを行き来する人々をチェックした。
ワインがボトル半分を過ぎた頃、俺の想像とは逆のことに遭遇した。
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