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4つの名前

小学生の頃、「自分の名前の由来を調べてくる」という課題を与えられた経験はないだろうか。
どんな想いが込められて、貴方はこの世に生を受けたのだろうか。どんな未来を望まれて、どんな希望を注がれて、どれだけの愛をその名に込めて貴方は産まれてきたのだろうか。

産まれた時に与えられた「名」以外の呼び名を貴方は持っているだろうか。呼びやすさや親しみやすさ、あるいは貴方のキャラクターを表したニックネームが貴方にもあるかもしれない。私にも生まれ持った名前以外の呼び名が3つある。今回は私の本名に込められた想いと共にこの3つの名の由来を紹介したい。

ぶんぶん

この名を呼ばれなくなってから随分久しい。私は大学時代にあるサークルに所属していた。
文部省の推進する「フレンドシップ事業」の一環として、将来教員を目指す学生たちの学びと実践の場として設立された教育学部の公認サークル。
「こども理解」を目的とし、地域の公民館などと提携し、定期的に子どもたちと共に様々な活動を企画運営していくこのサークルでは、子どもたちに親しみを感じてもらいやすくする為にサークル内でのニックネームを付ける慣わしがあった。
メンバーのほとんどが教育学部の学生である中で文学部文学科に所属してた私は珍しがられ、「文」学部「文」学科の頭文字をとって「ぶんぶん」と呼ばれていた。結果的に私は教職という道に進むことはなかったし、文学を極める情熱も持ち合わせていなかった。しかし、不思議なことに大学を卒業してから3年の月日が経った後に保育士として「先生」と呼ばれる一年間を過ごす縁に恵まれた。文学の大海は私には広すぎたが、今もこうして文章を書くことを一つのアイデンティティとし、幸福なことに私の文章が好きだと言ってくれる友人にも恵まれた。

David

私は1995年の2月20日にアメリカ合衆国、カリフォルニア州のサンノゼという街の病院で甲斐家の次男として産まれた。両親とも日本人である純粋な日本人でありながらアメリカで産まれた私は父からミドルネームとしてこのDavidという名前を授かった。
Davidというのはイスラエルで最も有名で最も親しまれ、最も象徴的な王様、ダビデ王の名である。ダビデは貧しい羊飼いでありながら神の寵愛を受けてイスラエルの国を率いた。しかしダビデは何も完全無欠の王様だった訳ではない。ダビデは時に間違いを犯した。時に絶望した。時に道に背いた。しかしダビデはその度に神に立ち帰ることができた。心が折れそうな時に自分の弱さを認め、ただ神に寄り頼むことができた。過ちを犯した時に神の前に跪き、罪を悔いることができた。だからこそダビデ王は民に、そして神に愛された。
私はイスラエルで一年間、オーストラリアで一年半生活していたが、海外で生活する際にこのDavidという名を使う。本名である「りょうた」という発音は海外では難しいというのも理由の一つだが、このDavidという名で生活する時確かに私は「甲斐遼太」とは別の人格(というと少し大袈裟だが)を自覚するのだ。自信に満ち溢れ、困難にこそ勇んで足を踏み入れるスーパーヒーローDavidが私の中にいる。海外での生活は困難が多い。立ちはだかる壁が多い。困難に足がすくむ時、高い壁を前に臆する時、私の中のDavidはいつも臆病で不安げな私自身を鼓舞してくれる。お前はDavidだろう、と。お前にできないことなんてないんだ、と。逃げ出したくなる時に私を叱咤してくれる。困難にこそ飛び込んで行け、と。

ヘブライ

イスラエルから帰国して日も浅いある時、参加したイベントでの交流会で自己紹介をする機会があった。少しでもインパクトを残したかった私は「ヘブライ語が話せます」と自信満々に言った。その時それを聞いた誰かが言った。「じゃあ(お前の名前)ヘブライじゃん!」と。軽い、本当に軽いノリだった。これ以上ないくらい適当で浅い名付けられ方だった。その場にいた4,5人が私の事をヘブライと呼び始めた。
あの日から数年、今やもはや私の手には負えないほどにこの名は広く浸透してしまった。
気付けば名前が独り歩きし始め、会ったことのない人が私を、いやヘブライという名を知っている。そんな場面に幾度となく遭遇した。
そんな細かいことを気にする人などいないだろうが実は私は自分自身のことを「ヘブライです」とは基本的に自己紹介しない。「ヘブライと呼ばれてます」と言う。私よりヘブライ語が堪能でイスラエルに精通してる日本人なんてゴマンといるのに私が「ヘブライ」を自称してる、というのが非常におこがましく感じられて、「決して自分で自分のことをヘブライって名付けた訳じゃないんだよ」というしょうもない小さな抵抗だ。
ただ、私はこのヘブライという呼び名をこれ以上ないくらいめちゃくちゃ気に入ってる。
インパクトが合って覚えてもらいやすいし、イスラエルを愛してやまない私のアイデンティティを簡潔に表現してるし、自己紹介すれば必ず「なぜヘブライなのか」という問いが生まれ、その問いに答えつつ、存分にイスラエル愛を語ることができるからだ。どうやってイスラエルの話を切り出そうか、なんて考える必要は1ミリもない。
そして何より、私が「ヘブライ」として何かしらのイベントや集まりに参加して繋がる人たちは皆1人の例外もなく、刺激的で魅力的でそれぞれの人生を謳歌するクレイジーな人たちばかりだからだ。

甲斐遼太

私の本名は甲斐遼太という。出生の際に父が名付けた。産まれた直後の赤ん坊はまだ目が見えないという。しかし、父は産まれたばかりの私の目を見て、そうではないことを確信した。産まれたばかりの私の目は目の前の両親や看護師ではなく、その遥か先を確かにその目に見ていた。「遼」という字は「遼(はるか)」の意。「太」は日本男児の象徴とし、物質的にますます豊かになり、情報が氾濫していく世の中で物質的なもの、現実としての世界ばかりに目を囚われずに、その遼(はるか)先に確かにある本質を、真理を見据えてこの日本の未来を担っていく一人となって欲しいとの祈りと願いを込めて私の名は付けられた。
この名の意味に想いを馳せる時、私は私を誇り高く思わずにはいられない。この名に込められた愛と希望に奮わずにはいられない。
父が予見したように現代を生きる我々は物質的にあまりに飽和的に恵まれすぎてしまった。いつでもどこでも世界中の情報にアクセスできる夢のような機械は、我々の目を遥か先に向けることをいつしか忘れさせてしまった。町を歩いても、バスに乗っても、電車で揺られていても人々の目は下を向いてその手の中にある小さな世界から離れようとはしない。
私は何もスマホに依存気味な現代の病を批判したい訳ではない。ただ私は考えるのだ。誰とも目の合わないバスの車内に乗った時に。急ぎ足で顔を伏せ気味にして歩く人とぶつかりそうになった時に。私が目を向けるべき「遼(はるか)」はどこなのだろうか、と。私はただ盲目になりたくはないのだ。広く果てしない世界に、その遥か先までに私の目は開かれていたいと願わずにはいられないのだ。

大切な友人の結婚を祝う為に関西を訪れた。この機にオーストラリアで共に過ごした友人たちと数年ぶりに再会した。彼らは私をDavidと懐かしげな響きで呼んだ。祝いの席ではたくさんの人たちと初めましての挨拶を交わした。「ヘブライ」と呼ぶ声は驚きと好奇心に満ちた響きがあった。
時を同じくして、以前一緒に働いていた人のもとに新たな命が誕生した報せが届いた。また、大学時代の大切な友人から結婚式のスピーチの依頼があった。
これから彼らは産まれた命に、産まれてくる命に名前を与えていくのだろうなと思った。

懐かしい名前で呼ばれ、いつしか広まった名前で挨拶を交わし、これから育まれる愛を想いながら眠れない夜行バスに揺られてこんなnoteを書いてみました。


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