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人は皆、幸せのために、狂ってもいいのだ

●2016ロンドンオリンピックの開会式は、ボランタリーな意思で営まれてきた社会が、近代技術に支えられた効率化と分担化により、労働でシステマチックに営まれる社会に変貌するドラマから始まった。そして、閉会式では、そうしたシステマチックな社会から人間性を取り戻してきた物語が音楽て綴られた。

●われわれ人類の『文化』は、ホンネでは、商品のようにやり取りされる『労働』を金塊に見立てた『労働本位制』の経済に見切りをつけたくて仕方ないのだが、何を本位に経済価値を認識したらよいのかわからないので、大半の人々は、未だに時間の切り売りや、声のデカさに応じた切り売り的な賃金を貰ってつつましく暮らしている。それが嫌な人は、自営の経済圏を設けて互いの喜捨で暮らしていたり、世を捨てていたり、脱落者として生きていたりする。
●食べ物を例にとる。そもそも食べ物は、自分が食べたいか、誰かに食べさせたいか、という二つの理由で調達される。だから、本来廃棄分なんてほとんでない。しかし、労働として作られた食べ物は、作り手と食べての間に関係がないから余剰や不足が起き、最後は商業主義の追い風に煽られて、廃棄量の増大を招く。
●一生懸命、給与のために働いて作られた食べ物が廃棄される。一見これは作り手である労働者の悲しみに見えるが、労働者は廃棄分の対価も貰っているから、可哀想でもなんでもない。『やってはいけないこと』をしているのだ。だから、止めることが一番なのだ。止めたあと、生活はどうすればいいのか?それは自力で考えるべきだ。まず『やってはいけないこと』をしていたことにピリオドをうつべく、更生しなければならない。
●当然、難しい。だから、断念も挫折も失敗も責めはしない。やろう!と決意して酒を呷るんだっていい。すくなくとも『やってはいけないこと』をやっていた、ということを肯定することをやめなければならない。
●言われたから働いて、貰うものを貰って帰る。そんな命令中毒に、日本人はオサラバしなければならない。

やりたいからやる。
やらねばならないからやる。
やってみたいからやる。

助けたいから助ける。
助けなければならないから助ける。
助けてみたいから助ける。

食べたいから食べる。
食べなければならないから食べる。
食べてみたいから食べる。

働きたいから働く。
働かなければならないから働く。
働いてみたいから働く。

生きたいから生きる。
生きなければならないから生きる。
生きてみたいから生きる。

●意思、世話、興味。そのためにひとは何かをする。意思の人は我を忘れ、世話の人は彼我を忘れ、興味の人は限界を忘れる。人は皆、幸せのために、狂ってもいいのだ。全員一斉に狂うことはないから、静かにそれを見守っている人もいていい。そして、互いの狂いが人を不幸せにしないようにだけ、気をつければいい。

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