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カバーニャ要塞の野良犬
カバーニャ要塞で一番記憶に残っているのは一匹の野良犬だった。
真っ昼間の炎天下のカバーニャ要塞、死んでいるかのように寝そべっている野良犬になぜか目を奪われた。
薄汚れて手厚く扱われている様子はないが、なぜか気高い印象を受けた。
カバーニャ要塞内ではよく野良犬を見かけた。
野良犬たちは、通りすがりの観光客に媚びてエサを貰っていた。
東京で見る、しっかりとリードにつながれた、毛がホワホワの、サングラスとファーで自分をごまかしているようなブスの飼い主に、甘えて尻尾を振っているような犬よりよっぽどかわいく見えた。
「表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬」より
リトルトゥースや若林さんの話をよく見聞きしている方は、このカバーニャ要塞で見かけたという野良犬こそが若林さんが憧れる姿なのだろうと感じたのではないだろうか。
そうなりたい、というのではなく憧れだと思う。
アイスランドの初日のくだりにあるように、若林正恭という人は極端に他人の目を意識してキャパオーバーになって逃亡してしまうことがあるほどナイーブな部分を具備している。
だけど、そんな風に他人の目を気にしてしまう若林さんだからこそ僕たちは共感する。
サイコパスと言われる人でもない限り他人の目を気にしてしまうのはあたりまえで若林さんに限ったことではない。
そんなあたりまえの誰もが感じている「弱さ」を隠すことなく、むしろ「俺もこんなだから大丈夫だよ」とでも言いたげにシンプルに言語化してくれる。そう、いたってシンプル。
余分な修飾語や詳細な説明を省いて驚くほどシンプルな旅行記。
場所や出来事の説明はご飯に漬物だけぐらいの感覚で、シンプルだけど漬物好きにはたまらないような仕上がりになっている。
淡々と話を進めながら合間に自分の想いを挟んでいく。
状況の描写を控えめにしてその状況にマッチする自分の想いを探り出しているような言葉に引き込まれてしまう。
「わかるー!!」
思わず声に出してしまうほどだ。
「性弱説」という言葉がある。「性善説」でも「性悪説」でもなく人は生まれつき弱い心を持った生き物であるという言葉。
若林さんを見ていると自分の弱さを受け止めようとしている姿勢が伝わってくる。
弱さを恥じるのではなく、弱いからこそ気付くことができた長所があるから弱くてもいい、そんな風に弱さを肯定する考え方。
誰しも弱さを内包している生き物であるという自覚が若林さんにあるからこそ、弱さを当然として受け止めて「自分の生き方はこれしかねぇんだ!誰にも文句なんて言わせねぇ」って面して道端で寝そべっている野良犬たちは気高く映ったのだろう。
生きるために人に媚びる野良犬と可愛がってもらうためにしっぽを振るセレブ犬は全く別世界に生息している生き物である。
弱さを受け入れて気高く生きる「カバーニャ要塞の野良犬」
しっぽを振りまくる「表参道のセレブ犬」とは僕のことかもしれない。
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