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違和感はコーヒーに溶かして

元カノと付き合った2ヶ月間

また別れた。今年2回目である。不幸なことに慣れてしまっている。昔からこうだった。すぐ付き合っては別れての繰り返し、振る振られの繰り返し。まるでメトロノームのテンポのごとく。

今回は振られる側だった、別れようか考えている矢先だった、先手を打たれてしまった。直前のラインで「あ、これ振られるな」と実感したのは久々だった。女の子って隠すのうまいからね。慣れているとはいえ、振られる感覚はあまり味わいたくない。死刑台に立たされて最終通告を告げられる気分。

彼女は前の職場の後輩の女の子だった。同じコミュニティの恋愛は久々だったが、やっぱりちょっと楽しい。秘密の共有と、そのコミュニティの中から勝ち取った感覚。彼女に対しては顔と愛嬌の良さに惹かれた。出会って一年半くらいだったから私にしては遅い方だった。時間をかけて気づいた愛情というものだろうと自分は認識して付き合った。顔がタイプというのもでかい。今回はうまくいくんじゃないかってね。

結局のところ付き合ってみないとわからないのが恋愛の難しいところ。
付き合う直前から、彼女との違和感はコーヒーに溶かしていた。

違和感って難しい。連絡頻度とか会う頻度とか報告義務とか違いがたくさんある。恋愛関係維持能力が欠如している自分にとっては、一番長く付き合っていた人がモデルケースになる。特段自分が不自由さを感じなければそれでいいのだ。でもそのモデルケースは普遍的なものではない。柔軟性が取り柄のはずなのに、恋愛関係維持ではそれができない。相手が何を考えているかを察知するのは苦手だ。そこに不安を感じて病むなどではなく、自分がこれで良いのかを気にしてしまう。
彼女に対しての違和感は拭えなかった。未来が見えなかった。過去にそれで振られてきて苦手だと自覚しているが故に。今回はうまくいくかもと思い、失敗しないようにしようとしたが故に。

相手を気にしすぎるのは自分の性に合わない。自分のことが大好きだから。
結局のところ、何人と付き合おうが、本質的な恋愛はいつまでたっても幼稚なままなのだろう。そのくせロマンチックな恋愛をどこか求めている自分がいる。相も変わらず恋愛という幻想に溺死しているのだ。

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