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AIの子どもを育てる時代

オンライン化、AI化、ひいてはバーチャル化が進んだ世界での恋愛観はどうなるのか?という話。

バーチャル化が進み、仮想世界での生活が一般的になったとき、恋愛はどう変化するだろうか?アバター同士で会い、実際の声帯から出ていない声で話す。そんな世界で外見は好き嫌いの要素となり得るのか。ここを考えるには、今若い世代で流行っているアバターでのネット恋愛アプリを参考にするのがよいだろう。

このようなアプリでは、自分の代わりとなる可愛いアバターを操作して、友だちを作ったり恋人を作ったりする。会話はチャットであり、声質などは分からない。此処での判断基準は、主にアバターと話の内容である。

見ためが本物でないからと言って、声が作られたものだからと言って、恋愛が無くなるということはないだろう。むしろ現代よりも増えるかもしれない。それを後押しするのが、子育ての手間だ。

少し寄り道をしよう。1人の人間を定義づけるのにはどんなファクターが必要だろう。色々あるだろうが、綿は3つに大別されると考える。遺伝子、環境、選択だ。

スポーツの世界で、才能,努力,環境という3要素を上げることがある。これをスポーツの外の全てに当てはめることは難しいが、才能を持って生まれたものと捉えて遺伝子とし、努力する、しないを含む選択を上げることで、人が形作られる要因を全て包含できる。
遺伝子が全く同じ人間を、同じ環境で育て、本人の選択も全く同じたった、となるとその2人はもはや同一人物だろう。
またこの子が自分の子どもだ、と他の子と区別するとき重要なファクターは、環境と遺伝子だろう。勿論別々に暮らしてても親子、ということはあるし血は繋がって居ないけど親子、ということもある。しかし少しの時間も同じ環境で過ごしたことがなく、遺伝子も異なる親子、ということは滅多にないだろう。

選ばれた卵子と精子の遺伝子を解析して合体させ、通常と同じ成長の行程を何百倍の速度で体外で行う。すると従来通りの行程を経て産まれる子どもと全く同じ子どもが、母体の痛みを伴わずに誕生する。倫理的にはどうだか分からんが、遺伝子は同じ、両親がバーチャル世界で付きっきりで育てれば、環境も親が与えたものである。これはもう親子であろう。

でも実際の体がない子どもなんて…と思う人も多いだろう。しかし解像度が無限大に近づいた仮想世界では、アバターと実体はイコールである。親にとっての現実世界と子にとってのそれが異なる、と言うだけである。これが何世代も続くと、いま我々が暮らす世界は、幾つもある世界のうちの一つに過ぎなくなるだろう。既に身体の殆どをテクノロジーに置き換えた人も居るが、もっと進むと他の世界の人を、この世界のアバターに乗せて権限させることも出来るようになる。そもそも物体と情報の違いなど、解像度の違いに過ぎないのだ。

人は死ななくなる。身体とデータとテクノロジーが一体化した世界では、娯楽としての食事はあっても生存するための食はない。食料危機がなんぼのものだ、という話になる。まあその前に培養肉が市場に並ぶだろうが。土地も関係ない。無限に増やせる。
リアルとバーチャルが互いに歩み寄り境目が無くなるのは間違いない。脳をアップデートし続け、将来の子どもに「これだから平成のおやじは!」と言われないようにしなければ。

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