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「異日常」35/37

その後に続いたのは料理番組。例の如く出演者は南米のタレントで、引退後のマラドーナを思わせる風貌だ。そしてつらつらと流れるは日本語字幕。画面右上には「パラグアイch」という血文字。

「まずですね、42.195kmの長ーい串を用意して下さい。その串にですね、マラソンランナーが一人ずつ刺さっていって、42.195kmの人間串を作る訳です。人種は問いません。ま、差別してもらっても構いませんが。
それからこの人間串、焼きまーす。じっくり焼くとこの巨大な串も、みるみる一口サイズになりますのでご安心を。ここでワンポイント。焼きながら選手達に優雅なるバロック音楽を聞かせると、一層お肉が柔らかくなります。
それでは焼いてる間、ソースを作りましょう。まずは、支配されて考えることを止めてしまった人間の脳をミキサーにかけて下さい。この時、ミキサーの中に、春画、カルト教団の聖書、工業汚染水も少々。これでソースは完成です。後は焼き上がりを待つだけなので少しお話でも。
最近でこそ人間を使った料理が多い私ですけど、昔は違ったんですよ?シンプルに牛、豚、鳥、使ってました。ただ普通の料理番組と少し趣向が違ったのは、それらを使って調理する様を、生きた牛、豚、鳥に見せつけながらやっていたんです。動物番組のように、スタジオに動物を呼んでね。牛を焼いてるところを、牛に見せるんです。何もわかってない牛もいれば、何かを感じて荒ぶる牛もいました。
そしたらですね、まぁー苦情が酷くて。私はその構図を通して、視覚的に命の尊さみたいなものを訴えたかったんですけどね?世間とは、どうも趣味が合わなかったようで。聞くに、牛、豚、鳥が可哀相なんですって。だから私は即決、人間にしたんです。そしたら、牛、豚、鳥は可哀相じゃないでしょう?単純な話です。昨今、人類における共食いの風習が廃れてしまっているだけで、人類が人類を処理する、後を濁さずの精神と言いますか。そこにはある種の清潔感すら存在する訳で、美徳であるとすら言える訳で。
だからその今日で言うスポーツとか、音楽、風俗、宗教、それから工業なんて料理に入れちゃうのはそういうこと。いわゆる人間のごった煮。考えろよ人間、ってことなんです。考えろよって。
あ、そうこう言っている間に、人間串が焼き上がりました。串をお皿に盛って、先程の脳のソースを掛けちゃいましょう。盛り付けが完成したら、それはそのまま捨てて下さい。そしてあらかじめスーパーで買っておいた、ミックスナッツを小皿に開けて完成です。出来ました、本日のお料理『ミックスナッツ』です。
あれ?どうしました?誰も食べないんですか?わっかりました。じゃあ一番前の僕、君にあげるね。ほら、喰えよ?噛め馬鹿。美味しい?良かった。」

スタジオ観覧客と俺含む視聴者全員の不快指数がピークを迎えたこのタイミングで、「不快bye-byeガールズ」のメンバーがサンバのリズムで軽快に登場。不快bye-bye!不快bye-bye!ダイナミックかつ情熱的なダンスが、胸糞悪い番組の空気を台風一過的に晴らしてくれた。なんと爽快なカタルシス。
俺はすっかりパラグアイchに夢中だった。



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