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「異日常」30/37

俺は力無く店を出て、ふらふら無気力に家路についた。何もかもがどうでも良かった。考えるのが面倒臭かった。全身を巡る血が鉛になってしまったような。自分が重い。生きたまま死んでいるような。空洞で透明。気怠かった。虚無感、自暴自棄、自信喪失、そういった類の感情を、俺という無機質な箱に詰め込んだだけ。そんな状態だった。俺はもう自分にさえ無関心だった。

やかんor股間♪ やかんor股間♪ やかんor股間♪ やかんor股間♪

父さんからの着信だ。が、俺は出なかった。霊界との通話料はこちらが負担することになる上、破滅的に高いというのが建前。本音を言えば、今の衰弱しきった自分を晒したくなかったから。着信が止むまで、俺は何とも言えない気持ちでやり過ごした。小さい頃から、息子というより一人の男として接してくれた父さんに弱味は見せられないのだ。
ようやく着信音が鳴り止み携帯画面を見ると、どうやら父さんはメッセージを遺してくれたらしい。

「とにかく本気を出せ。」

それだけだった。がしかし、父さんのこの「とにかく本気を出せ。」という言葉が、俺の脳味噌にへばり付いては離れなかった。
(そのへばり付きは、過去に祖母の遺産でハプニングバーへ行った際、終始俺を支配し続けた罪悪感と似ている。とにかく付いては離れないのだ。当時、どこか淋しさを埋めようとしていた俺が、ちょうどそこにいた亡くなった祖母と同じ位の年齢の老人(男性)と枕を交わしたことは、また別の話だ。)

更にその「とにかく本気を出せ。」という言葉はへばり付いただけでなく、強めの電流をビリビリと流し続け、脳味噌を絶えずドキドキさせる。ハッとさせられる感覚と言おうか。
(その感覚は、アヌスにタバスコを大量注入された際、思わず「辛い!辛い!」と叫ぶも「いやいやお尻じゃ味わかんないでしょ。」と冷静に第三者から諭された時のあの感覚に似ていた。因みに、ここだけの話。俺はその体験以来、アヌスにおける味覚を獲得したのだ。例の老人との関係が長らく続き知らぬ間に鍛錬された俺のアヌスは、それだけの奇跡を起こし得る準備が整っていたのだ。)

どうしてこれ程までに「とにかく本気を出せ。」という言葉が、俺を刺激するのか考えてみた。突き詰めて考えると、今日の災難の連続は殆んど無関係に思えた。原因は、自分の日々の生活に於ける無意識の怠惰。
父さんは今の俺を慰めるその場しのぎの言葉でなく、より本質的な俺の弱さを強烈に指摘してくれたのだ。俺は日頃、自分ではちゃんと人生に本気のつもりでいたが、「とにかく本気を出せ。」と言われたら、まだまだ全然本気を出せていなかったのだと痛感させられた。これは自分の潜在能力を大きく見せるが為の強がりでなく、自分の怠惰を心底恥じる気持ちから出た答えだ。
実働のほぼない仕事を生み出したのも、自分が全霊を捧げられるものを探す為の保険だった。生活する為、時間確保の為、こういう俗っぽい自分が厭だった。定型の範囲内で努力しても、定型の範囲外にはみ出せる訳がないのに。人ははみ出したものにこそ、心動かされるのに。性根が怠け者なのか、本気とは程遠い位置に身を置いてしまっている現状。無意識の怠惰。
本気ならば、とにかく強く、一歩を踏み出さなくては。より困窮したっていい。仮に自分にとって危ない道と安全な道があるとして、危ない道の方が本当の筈だ。なぜなら、単に危ないというだけの道ならば、元々選択肢として存在しない訳だから。危険だけれど、行ってみたいやってみたいが詰まっている道。そちらの方が断然健康的であり、本気の道と言えるだろう。しかし頭でわかっていても、実際行動に移せるかどうかはまた別の話で。とかなんとか言わずに、ちゃんと、本気なら、その革新的な一歩を、とにかく強く踏み出すべきだ。本気を恐れてはいけない。
俺は常々、世間体の為、何かにつけ、ちゃんと何かを出来ている人間であるフリをする悪癖がある。何ひとつ、ちゃんと、向き合って、本気で、出来ていないのにだ。自分が本気を捧げられると思った対象にさえ本気を出せないこの現状、なんと無様なことだろう!俺はそれが、全身全霊で恥ずかしいのだ!
(その恥ずかしさたるや、俺が知らぬ間に世間から「肛門亭味覚」と呼ばれていたことに気が付いた時のよう。あれは俺がエロ本をサーフボード感覚で乗りこなし、星間サーフィンに興じていた時のことだった。アンドロメダ星雲辺りで、ボロボロとなったエロ本を新たに買い替えるべくコンビニへ立ち寄ると、そこの店員が「肛門亭味覚師匠ですよね?」と話し掛けてきたのだ。初めて立ち寄った異星の住人に「肛門亭味覚師匠ですよね?」と聞かれた時の恥辱が想像できるだろうか。)

そういう訳で、これから俺は、とにかく本気を目指そうと思う。俺は、恥の多い生涯を送りたくはないのだ。
(肛門亭味覚と呼ばれたくないのと同様に。)

父さん、死んで尚ありがとう。父さん、こちらの惨めを汲み取って夢ある言葉を選んでくれる人。


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