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「異日常」31/37

不甲斐なくも父さんのお陰でなんとか前を向けた俺は、無事自宅へ帰り着き日常へ戻った。
両親のいない家は閑散としていた。容赦なかった。寂寞とか寂寥とかいう概念が、毛穴という毛穴から染み込んできた。全身の皮膚が真紫に変色する。成る程、夜虹の彼女は寂しかったのだ。そして俺は、受け止めなければならない。あらゆる現象に両親の喪失を感じてしまう日常を。今日はもう寝ることにしよう。現状、俺の最善策は英気を養うことだ。

眠りに就く前、俺は必ず日記をつける。世間一般でいう日記とは少し違ったものかと思う。過去に書いたページの表題を見ると、「嬲嬲嬲♪」「五山のお尻火」「細い虹吐く子ども達」「異日常」「No 邯鄲の枕」「泡沫夢幻のトカトントン」…そういった感じ。要するに、その日あった出来事を材料に自由な創作をしているのだ。誰に見せるという訳でないが、それが俺の日記。しかもここ最近では少し工夫を加えて、今まで全く縛りのないアンソロジー的だったものを、「架空の職業」に我が身を置いてその人物になりきって書くといった趣向にしている。幾つか紹介すると、

【鷲掴み師】
「鷲掴み!鷲掴み!これがホントの鷲掴み!」

ドスの効いた嬌声で場を支配しつつ、私は客の中で一番身分の高そうな男の丸眼鏡を鷲掴みにした。そのだらしない巨漢は勿論のこと、客席全体が恍惚に震える。

「はい次ないか!次ないか!これがホントの鷲掴み!」

客達の止まないリクエストに次々と応え、私は来るもの皆を鷲掴みにした。轟音で鳴り響く和太鼓と客達の手拍子で、店全体が荒海のように揺れていた。

「鷲掴み!鷲掴み!我に掴めぬものは無し!」

大歓声。熱量はMAX。これが鷲掴み師の真髄てなもんだ。老婆の乳房、ニライカナイ産シーラカンス、六法全書、明日の神話、胎児の夢、自由、鷲、、、今日も今日とて、全てを鷲掴みにしてやった。結局私の鷲掴みショーは大盛況のまま朝九時過ぎまで続いた。
帰宅。一時間の筋トレ、傷んだネイルの手入れの後、正午には就寝。ZZZ。
十八時。目が覚める。疲れは取れていない。ふと、電話を掛けてみる。ふと、電話を掛けてみようと思える人に掛けてみる。

「どうしたの?」

「もしもし」より先に、「どうしたの?」と聞いてくれる感じが好きだ。しかもその声のトーンが、十中八九喜んでくれている様子であったりする。受話器を握る手が、大好きな人の手を握るような加減になる。それから他愛もない会話の後、互いの健康を気遣い終話。
自分の声を聞くだけで、これだけ喜んでくれる人間が世界にどれだけいるだろうか。
私はそんな人達を大切にしようと思うし、そんな人達を増やす作業に今後の人生を充ててみようかとぼんやり考えてみたりする。自分にできることは少ない。でも、大切な人の為ならば。きっと世界で一番強い動力はbecause i love youなんだろう、、、と、こんな感情が自分にもあったことに驚く。なんだか照れ臭くなって、これからずっと寒くなるであろう師走の空を見上げた。さぁ、今日も仕事だ。


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