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「異日常」19/37

命の恩人である店長に感謝を伝えると、彼は「気にしないで下さい」と爽やかに微笑、何事もなかったかのように仕事に取り掛かった。彼の特徴であるさり気なさが好きだ。彼はカマキリなのだが、こういった虫柄が俺の足を毎度渋谷まで通わせる。当然仕事もファンタスティックで、まずは小粋なトークから。

「お客さん、今日ちょっと疲れてます?シンバルに熱いお湯かけたみたいな顔しちゃって。かけすぎですよ?一日冷蔵庫で寝かせたシンバルにお湯かけたらね、そりゃあジュってなりますよ。ジュってならない方がおかしいですもん。それは挟みシンバルでシャーンいかれても、何も言えないです。いきなりシンバルにピザのせて、良かったらどうぞって言われても違うじゃないですか?そのぉ駅伝でなんとかタスキを繋いで、大きいタオル掛けてくれるのかな、水を渡してくれるのかな、って時にシンバル渡されてもですね?それは挟みシンバルでシャーンいかれますって。ツーッツッツツーッツッツツーからのぉ?ってキャバ嬢ノリで言われましてもね、シンバルから龍は産まれない訳ですから。いくらシンバル積まれても、そこだけは譲れません。私の辞書にシンバルという文字はないって昔から言うでしょ?本尊にシンバルさえあれば、挟みシンバルもアルカイックシンバルなんですよ。でもまぁ、言って良いシンバルと悪いシンバルがあるから難しいんですけどね?悪いシンバルの中にいると、こっちまでシンバル?ってなっちゃいますから。そこはシンバルだろ!って強く言えるだけの真っ赤なシンバル用意しとかないと。昔アラブの偉いシンバルが、恋を忘れた哀れなシンバルに、琥珀色したシンバル渡してえ~らい怒られたらしいんです。その時ばっかりは、シンバルとシンバルの間にもう一枚シンバルがあるような気がする、って人の気持ちが少しだけわかりましたよ。シンバルの語源が『信じる』って説を唱え始めたのもちょうどその頃で。今思えばね、まだシンバルにも毛が生えてないような男がよく言いましたよ。だからお客さんもさ、そんなシンバルに熱いお湯かけたみたいな顔しなさんなって?」

一体シンバルとは何だったろうか?俺の中のシンバル観が完全に崩壊し、生まれて初めてのゲシュタルトシンバル。そんな感覚がどこまでもドリーミーで心地良く、俺は深いリラックスの世界へと誘われた。

それからカットが始まると、椅子が異常にせり上がる。はてな。そのまま椅子は自動で上昇を続け、どこぞのアイドルのドームコンサートステージ中央へ。五万人の観客からのお前誰だよの視線。その視線が一点に集まり、巨大な眼玉となってこちらを睨み付ける。怪奇。沸き起こるブーイング。「FUCK KAMAKIRI!」という初めて聞く英語。恐怖。横にいる店長に助けを求めると、電動バリカンの音で「君が代」を演奏。困惑。演奏が終わると、先程のブーイングが嘘のよう。五万人のスタンディングオベーション。万雷。「LOVE KAMAKIRI!」という初めて聞く英語。安堵。その歓声に応えながら、店長はすーっと景色と同化するように消えていった。すーっと。霧消というのか、すーっと。消え方が今朝のママンと同じ。トラウマ。発狂。ブラックアウト。

「お客さん、カット終わりましたよ?」

店長の声で目を覚ます。なんだ、俺は途中で眠ってしまい怪夢でも見たのか。
「こちら仕上がりをご確認下さい。」
鏡で自分を見てみると、顔がキュビズム。これが芸術か、否、悲劇。俺はわんわん泣きながら美容室を後にした。超越後悔。お土産にと貰った二つのマラカスを振りながら、俺は渋谷とアヴィニヨンの売春街を縦横無尽に駆け廻った。
わ~んわ~んわ~ん! シャカシャカ
わ~んわ~ん!シャカシャカシャカ
わ~ん!シャカシャカシャカシャカ
シャカシャカシャカシャカシャカシャカ
悲劇 v.s. マラカス、勝者マラカス!シャカシャカ
マラカスのポテンシャル、驚異。


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