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「異日常」29/37

ブゥン。。。聞き覚えのある音で出現した光の穴に、それが福音かどうかもわからぬまま、俺は決死の思いでダイブした。極彩色の時液の中をBorn Slippyな気分で流転、渦、渦、渦、地獄行きの階段を転がり落ちるような、否、これは馴染みの大階段だ。一件落着。俺は無事ホテルへ帰還したようだった。よく似たパラレルワールドでないという確証はないが、まぁ戻って来れたとしよう。
夜風が恋しくなって外へ出る。柔らかい腕時計に目をやると二十三時、そろそろ仕事へ行かなくてはならない。
俺は夜空をビリリ紙でも破くように切り取って、その裂け目から自宅近くの職場まで直行した。場所は目白坂下の信号脇、坂を登ればノルウェイの森の舞台だ。
今日一日の俺を見ていると社会不適合の風天野郎と思われるかも知れないが、半分正解。一応、職はあるのだ。ショーパブというかコンセプトバーというか、世に言うバー経営といったところ。しかし実働はほぼ無い。学生時代から処世的な経済活動にどこか空しさを感じていた俺は、二十代半ばで自分がほぼ働かずしてお金が入ってくる業務形態を確立したのだ。と言って店に無関心という訳でなく。若い頃自分が努力した証のようなものだし、その継続に関わる全ての人に感謝しているし、俺はこの店を愛している。
閉店後の軽い事務作業をこなす為に顔を出すと、店内には誰もいなかった。というより、入口を開けるとなぜだか眼前に広がるアフリカ的風景。広大な大地に夕焼け。橙色と影のコントラストが、祈りを捧げたくなる程に美しかった。そこに佇む一匹の象。例のあの長い鼻をしゃなりしゃなりさせている。それを俺は見ている。店内での肩書きがオネエでありボクサーの俺は、それを見ている。今はなぜ店内で俺がオネエでありボクサーなのか、説明は省く。とにかく俺は、全てが変わり果ててしまった店内で、一匹の象を見ている。
なぜ、閉店後の、俺の店のフロアーに、象?
景色も奇想天外で、店内と大地の繋ぎ目は全くもってナチュラルで違和感がなく、今俺のいる場所が外なのか中なのか。確かに言えることは、自分の店の中に壮大な自然が広がっていて、象がいて、それをオネエでありボクサーの俺が見ている。そういう状況。
突如バブリーなサウンドが店内?に響いた。ジュリアナ東京を思わすあの曲だ。それと同時に店内とアフリカの茜空が暗くなり、ダンスに適した攻撃的なライトアップとなる。象の鼻先にはいつの間にやらド派手な扇子。ジュリアナ東京を思わすあの扇子だ。そして象はバブリーなサウンドに合わせて、ご機嫌に扇子を振り振り踊り始めた。徐々に気分が昂ったのか、曲に合わせて絶妙なタイミングでシャウトする。

「パオーン!パオーン!」

俺は、止めなければならない。何がなんでも、止めなければならない。バブルの象が大自然を舞台にパオパオ踊り狂うのは勝手だが、ここは俺の店だ。自分の店が破壊されていく様を黙って見ている訳にはいかないのだ。

「象ちゃんフザケロヨー!踊るのお止め!オカマアッパー!オカマアッパー!」

泥に灸。渾身のオカマアッパーは全く通用しなかった。象の皮膚は絶望的に硬いのだ。次なる策としてデンプシーオカマロールをお見舞いしてやっても良かったが、俺はもう諦めていた。というよりも、もう悟っていた。
それからバブルの象が渡してきた扇子をごくごく当たり前に受け取った俺は小気味よくステップ。アフリカ的なダンスフロアに「パオーン!」と「フザケロヨ!」の声が景気良く響き渡る。饗宴スタート。俺とバブルの象は何もかも忘れて踊った。

「夜は私達のものだよね?」「そう、朝なんていらない!」

俺とバブルの象は心の中で会話した。否、厳密に言えば会話でなく、心を通わせたと言った方が適切かも知れない。言葉ではない何かがそこにはあった。イデアと言うべきか、本物の兆しが。

「ああ、バブルの象、私わかったわ。貴女ってバブルの象であり、バベルの塔なんでしょう?オネエでありボクサーの私にはわかるわ。
言葉が一つだった人間達が天まで届く塔を作ろうとするんだけど、神様に言葉をバラバラにされちゃって結局失敗に終わるっていう教訓めいたあれよ。私、貴女と踊っていてわかったの。大切なのは、言葉じゃなくって心だってね?大切なものは目に見えないって、星の王子さまじゃないけれど。そういうことでしょう?バブルの象でありバベルの塔さん?」
「違う!徹頭徹尾違う!私はただのバブルの象!意味なんて求めないで!楽しければいいじゃない!意味なんて!意味なんて!」

烈火の如く激昂したバブルの象は勢いに任せて、店を全壊にしてしまった。
メキャズボボスルリン!
そのまま遥か地平線の彼方へバブルの象は走り去る。一人取り残された俺は茫然自失。もはや営業不能となった我が青春とも言うべき店の中から、雄大なるアフリカの大地を虚ろな目で眺めるともなく眺めていた。はぁ、溜め息×恒河沙。今日は厭に失うものが多い。涙が一筋。俺、何やってるんだろう?



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